優しさとは何かー段階が違うと何を優しさと思うかがかわる、そんな話ー
「発する言葉に優しさがない。攻撃的というか。」
そんな言葉を今日もらいました。
そして思いました。
『それは大変だ。私は世界平和を目指して生きているのに。
そして私結構優しいんだけどなー。』とw
また、それからしばらく時間がたつと別の疑問も浮かんできました。
『一体優しさって何だろう?』と。
今は書きながら、さらに別の考えも浮かんでいます。
『あの会話の中でお互いが“優しさ”という言葉で指したものは、果たして一致していたのだろうか?』
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何を優しさと捉えるか。
これは私の今の主観だけれども、
この問いに対する答えには、
≪どこに照準を合わせているか≫というのがとても関係してくると思います。
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今会話にいる二人の間だけでものを見ているのか
その二人に関わる周りの数人まで範囲を広げて見ているのか
はたまたもう少し広く、共通のコミュニティ全体を見てるのか。
(広い人なら人間全体や宇宙かなw)
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更に突っ込むと、話は横の軸だけでなく、縦の軸にも及ぶ。
というのも、その人たちの今だけを見てるのか、
数か月後なのか、数年後を見ているのか。
(こちらも広い人は数百年後かなw)
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生きる上で、仕事をする上で、遊ぶ上で、
その他自分の人生の様々なことがらの中で
どこに照準を合わせているか、
それによって、同じ物事、人に対する≪優しさの答え≫は変わる。
時間の経過によって自分が変われば、またその答えが自分の中で変わる時もあるでしょう。
どちらがいい悪いとか、どちらが上とかの話ではなく、ただ違いが生じるのだという話。
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色んな視点を行き来して、
色んなところに臨機応変に照準を合わせられるのも一つかな。
(合わせる必要のない照準に合わせる必要はないけれど)
あとはお互い相手の今の段階を見誤っていないかも大事ですね、きっと。
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いつもどんなものでも原因は複合的ですが
こういうことを知った上でコミュニケーションをするのか
知らないままコミュニケーションをするのかでは
きっととても大きな違いが生じるのだろうなと思います。
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