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ウェルカム上海 ~飛んで火に入る渡航マニュアル~

サウナにはまりフログを書き始めたものの、サウナに行くことに忙しすぎてしまい、見事にNOTEの方は得意の三日坊主をかましてしまった。そうこうしているうちに、色々あって(はしょりすぎ)今、上海にいます。突然ですがこっちにしばらく住むことになりました。遅れてやってきたコロナ禍で極端なロックダウンを行って、世界をドン引きさせているここ上海に、わざわざこのタイミングで来てしまった。この記事は、そんな飛んで火に入る夏の虫な私の上海生活のプロローグです。かなり準備についてはドタバタかつ適当だったので、ズボラ女子の渡航&隔離生活マニュアルということで、これから上海に行こうとしている方の不安が少しでもなくなれば幸いです。※全ては2022年5月現在の情報です。

NOTウェルカム上海

実は2021年12月の時点で上海に行くことは決まっていた。モリコは本業がコメディアンでサウナーなので、副業の方で上海行きのミッションを言い渡されたという形にしておこう。正直、東京に少し飽きてきたところだったので、外に出たいなと思っていたものの、大の中国嫌いで知られる私は行くのをためらった。(語弊がないように言うと、中国全体が嫌いなのではなく中国政府が嫌い)
でも、周囲の人に相談してみるとポジティブな意見が多く、中国在住経験のある人たちは、「上海は中国じゃないよ」と言うし、先輩方も「お前のような怠惰な人間には上海は便利すぎて多分行ったら帰ってこれなくなるぞ」と忠告するし、「中国なんて国、仕事じゃなきゃ絶対住まないから面白いと思うよ」っていうディスってるのか褒めてるのかよくわからないコメントも頂戴して、だんだん中国嫌いより好奇心の方が勝ってきた。
決め手となったのは、女一人で香港に行って10年になる友達の「70歳になっておばあちゃんになったときに、この時代の中国に住んでたってことは間違いなくネタになると思う」という人生コメディアンにとってのパワーワードだった。中国嫌いなのにあえてこの年で住むという体を張ったギャグをかましに行ってみようじゃないか、上海。

ビザ取得までの長き道のり

いざ覚悟を決めたところで、上海に行くまでの道のりは長かった。渡航が決まったところで、まずはビザ申請。中国体格検査という怪しい名前の中国専用健康診断を受け体をくまなくチェックされる。(さすが共産主義国家!)スリーサイズとかで選考があるのかと構えたが、きわめて普通の健康診断だった。
他にも、大学の成績や、卒業証明、さらには犯罪履歴証明を取得する必要があり、色々と黒歴史を掘り起こす作業に1か月くらいを費やした。
無事に、学歴詐称と犯罪を犯していないことが証明され、向こうの勤務先からの招待状が発行される。中国の旧正月もはさんだのでこれに2か月かかった。ということで、12月に決まってからビザを申請するまでにまるっと3か月かかり、いざビザ申請へ!ここからは通常だったら2週間くらいで渡航ができるので、日通の海外引っ越し便も荷物を引き取りに来て、家を引き払い、いよいよ日本ともお別れの時か…おセンチになっている私を待ち受けていたのは、ビザ予約枠争奪戦だった。

コロナ禍やらウクライナ情勢(影響があったかはわからないが)で、中国大使館がビザの申請枠を通常よりもかなり狭めていたため、申請するための枠が毎朝秒で埋まっしまう状況だった。委託しているツーリストもお手上げ状態となり、せっかく発行された書類の期限が刻々と迫る中、予約が取れない悶々とした毎日が1か月以上続いた。毎朝、ツーリストから今朝も数秒で万枠となりましたという空しい連絡が届く。BTSのライブチケット並みの競争率だ。こんなことなら嘘でも中国ファンクラブにでも入っておけばよかった。

もはや家を引き払ってしまい、実家も東京にないので公式にホームレス認定された私は、心優しい友人夫妻の家に居候をさせてもらいながら、ビザ予約が取れるのを待った。そうこうしているうちに上海ではコロナが深刻になり始め、ロックダウンが発生。政府が直行便の数を週に1本に減らしてしまったせいで、フライトのチケットも取れなくなるという事態に。4月頭の時点で次に予約できるフライトは5月15日と言われる。受け入れ側も、最初は緊急性の高いミッションなので大至急来てくれと言っていたが、ロックダウンしてしまいリモートになったので、もはや急がなくてもいい雰囲気に…。このままもしかしたら来年までいるんじゃないかと真剣に思い始める。ありがたいことに送別会ラッシュも2周目に入るが、いつ行くのかわからない中で送別してもらうのも申し訳ない気持ちがある。そして、上海に行けないことより、酒量と美味しいごはんのオンパレードに、激太りをして中国体格検査で提出したデータとの差異が異常値となり入国できないんじゃないかという不安の方が大きかった。
その後、ビザ予約が取れたのは、書類の期限が切れる2日前。おそらく書類の期限順に優先順位が決まっていて順番に予約となっているのだと思う。
同じ状況になっている皆さんに言いたいのは、いつか必ず順番は来るということ。

有明のビザ申請センターへ申請してからは意外に早くて、1週間ほどでビザは発給された。ここまでほぼ4か月。そしてフライトは相変わらずキャンセル待ちが続いていたが、急遽5月8日の便にキャンセルが出たため、ようやく飛び立てることになった。長らく待たされたけど、別に上海行きを楽しみにはしていなかったので、その分日本のサウナを巡ったり、ゼロベースで中国語を勉強したり、家族や友達との時間もできたので、私としてはベストな結果だと思う。

最後の関門、健康コード 

渡航するためには、中国政府が管理する「健康コード」の申請を行い、それが青信号にならないと飛行機に乗ることができない。

↑長ったらしく堅苦しい説明書を熟読するように言われたが、つまりは、用意する書類は①3回分の陰性証明 ②7日間の健康観察表 ③ワクチン接種証明(2回までで大丈夫)で、この3回のPCRには以下のルールで受ける必要があるということがわかればOK。
・中国政府が指定する医療機関で受ける(東京が多い。現在上海は日曜日発の便しかないので、1週間前のテストを受けるために土日祝日もやっている病院を探すのがちょっと面倒だった)
・フライトから7日前に1回目
・3日前以内に24時間以上の間をあけて2回
・渡航の前日20時までに上記資料を全て提出するのが必須。(私のような適当な人間は、資料出し間違いで出し直しなどがあるので、できるだけ早い時間に提出できるように逆算し、3日前になってすぐにPCRは受けられるようにしておくとよい)

絶対慌ててまとめて書いただろ的な健康観察表

これができれば、もうあとは何とかなります。資料を全てそろえてから3時間くらいで青信号が点滅。GOサイン出ました!

健康コード。これは日本国内版。こういうやつをついてからも何種類か持たされる。

ただ、これに関してはルールが突然変わることもあるみたいなので、最新のルールは各自チェックしてください。
ちなみに私は、こんだけ待たされたのに健康コードでつまづいて渡航できなくなったら会社に顔向けできないというプレッシャーで、全エネルギーをここに集中させた結果、携帯電話解約や現金の両替などなどわりと重要なことをするのを忘れて、健康コードだけ持って上海に飛び立ってしまいました。

快適な空の旅の落とし穴

引っ越ししてから実際に渡航するまでに2か月かかった上に、ロックダウン中の渡航となるので、大量の食糧と生活用品を持ってくるように現地からアドバイスがあった。隔離の最初の2週間は政府指定のホテルになり、その後+1週間の自主隔離はホテルでもいいし、隔離を受け入れているサービスアパートでも良いということだ。なので、最初の2週間は食事も安定供給されるものの、+1週間からはロックダウン下にいきなり野に放たれてしまうことになる。食料も自分で調達しないといけないが、口座を現地に持っていないので一人で生き抜くのが大変な状況になるらしい。まあ隔離期間中にダイエットしたいから、そんなに食料はいらないし!って言っていたら、周りから上海なめんなと怒られる。ということで、生きるための食料と生活用品を爆買いしてスーツケースも追加で買ってつめこみまくった。
 その結果、スーツケースの数は5個に。芸能人でもないくせに、渡辺直美ちゃんのNY移住時くらいの荷物量で出発。ちなみにBTSも直美ちゃんも使っているリモワの一番でかいサイズのスーツケースが角柱型のもので101㍑。この形、ホテルの隔離生活でも場所をとらないのでかなり便利なのでおすすめ。

つまりこんな感じ

フライトは、キャンセル待ちが出たのが幸運にもビジネスだったので3個まで無料で預けて、追加1個は1万円で預けられた。残りは気合で機内持ち込み。
週に1本しかない成田-浦東便は、今はANAしか飛んでいない。しかも朝9時便ということで、前日夜に成田のホテルに前泊して空港に向かった。
ようやく少しずつ海外が解禁されたGWでも、成田空港の人は少なく、お店もほとんど空いていなかった。健康コード入力がまたあるので、2時間前には空港にいた方がよいと聞いていたので、その通りにしたものの、やはり時間がかかって渡航前はラウンジで優雅にゆっくりなんてできず…。猛ダッシュで買い忘れたものをマツキヨで購入し飛行機に汗だくで乗り込む。


ラウンジでは大急ぎで牛乳一気飲み。

1年ぶりの国際線。葉加瀬太郎さんの音楽も久しぶり。機内はガラガラ。え、あんなにキャンセル待ちなのに空席ばっかりじゃん!というのも、中国政府が席数を極力絞っているということがうかがえる。ここで、ビジネスだし、最後の日本食楽しみだな~と思っておなかをすかせていた私に、パーサーから信じられない一言が告げられる。

「本日は、中国政府の要請により、機内食は簡略化されることになっております」

なんですと…?!これから3週間も隔離をされる我々に、なんという仕打ち。
そして、菓子パンとおつまみとペットボトルが入ったパッケージが配布される…。そう、これはANAで深夜のヨーロッパ便とか乗るとごはんの代わりに配られるあれだ。ANAに罪がないことはわかっているが、中国政府、恨めしや。
3時間半しかないので、機内食がないとなると寝るのも映画観るのも中途半端で、パッケージの菓子パンを頬張りながらカフェオレ発注しまくって、ぷりぷりしながらマイインターンを観る。

上海便は朝早いので、手前で朝ごはんいっぱい食べれてない私のような人たちがきっと沢山いたと思うので、これから乗る皆さんは当日悔いのないよう沢山ご飯を食べてきてください。

諸事情により、眼帯での入国という怪しさ(入国審査通過済)
しかしこのおかげで後に救われたラッキーアイテム

あっという間に到着した上海。出国ゲートまで送ってくれた母親が泣いていたのを「いやいや近いから」と慰めていたが、マジでこの距離は近すぎワロタである。母の涙を返せ。今まで行った海外の中で一番、海外な感じがしない。時差も1時間しかない。なんなら東京から名古屋の実家に車で帰るより早くついた。
着陸した後は、検疫が入り、防護服の人たちが乗り込んでくるのでしばらくは降りることができない。
ぼーっと窓からみえるターミナルに掲げられる赤い上海という漢字。チャイナならではなトーン&マナーに、近いけどここはもう海外だということを認識する。

このターミナルの看板が、中国本土に上陸した感

いよいよ上陸。修羅の国へ

空港ではめちゃくちゃ待たされるのかなーと覚悟していた。しかし、結論から言うとわりとスムーズだった。まず1便に乗っている人がかなり少なく絞られているので、出国審査も検疫もあまり待たずにできる。飛行機全然取れなかったのは、ちゃんと漏れなく管理できる最小限の人数しか入国させていないということだったのかとここで気づく。先に広州に入った先輩曰く、「入国時に消毒液のシャワーを浴びさせられて、服もバッグもびしょびしょになるし、バスも人生で一番汚いものに乗せられて、シートベルトが錆びすぎてて服が汚れた」と聞いていたので、覚悟して臨んだが、上海の場合はこういった手荒い洗礼はなく安心した。
ここでの手続きでは、QRコードでまた新しい健康コードの申請を行い、上海での滞在先を記載する。私の場合は、まだ住む場所を決めておらず隔離期間中に家探しするかなくらいなノリで来ているため、とりあえず会社の住所と、社長秘書の方の連絡先を記入して乗り切る。現地での電話番号を書く局面が多いので、誰か信用できる方の持っておきましょう。

盲点だったのは、空港の中はロックダウンの影響でエスカレーターもエレベーターも動いていません。機内持ち込みも相当な量で来てしまったので、毎回階段が立ちはだかる度に、大げさなアメリカ人ばりに「Oh God」と天を仰いでしまった。でも神は助けてくれず、米俵ぐらいの重さの荷物を持ちながら階段を上る。

PCRや入国審査を終えて、荷物をピックアップするまでに1時間もかからずに下界へ。想定外の力仕事を除いては意外に順調。しかし、忘れていたのだが…、ここからさらに預けていたスーツケース5個あったわ。

 カート2台にそれぞれ荷物を載せて、片手で1台、もう片手に1台という両手押しスタイルで進むことになった。直進はいいが曲がるときのコントロールがマジ難しい。苦戦していると、日本人の紳士が手伝ってくださった。捨てる神いれば拾う神あり。
 実は、日本にいた時に偶然出会った弟の友人Y君が、私と同じように上海赴任予定だったのだが、彼の上司が私と同じ便で赴任すると聞いていた。そして、私は眼帯をしているという極めて怪しい風貌であることを上司に伝えてくれていたらしく、その上司の方が「Y君に聞いていたのですぐにわかりました!」と話しかけてくれたのだ。紳士は、カートを押すのを手伝ってくださっただけではなく、私がすっかりスルーしようとしている税関手続きをすることも教えてくださった。
 ここで税関でスタンプもらわないと、船便や航空便で送った荷物を受け取れないのでかなり重大なミスを犯すところだった。(まったく説明を読んでいなかった自分)ここで知り合った神は、上海で初めてのお友達となった。

 このあと我々の運命を左右する、隔離ホテルの決定が行われる。
まるで、閻魔大王の前で天国か地獄か左右されるようなドキドキ感がある。
隔離後に滞在する区にあわせて隔離ホテルも割り振られており、私はどこの区か把握していなかったので、適当に会社の区を記載したところ、长宁区(中国語でタイプできるようになった☺)に分類された。日本人が多い区らしく、他にもほぼ日本人の方々と一緒に待機。どこに振り分けられたかわからないまま呼び出しがかかり、みんなでバスへ。

必殺カート二個押し。審判が下されるのを待つ時間


 防護服のスタッフたちは、みんな優しくて、カートを一緒に押してくれたり、中国語まったくできない私に英語で一生懸命説明してくれたり、これは前から思っていたことだけど中国政府はいただけなくても、中国のローカルの人ってやっぱピュアで優しいなって早速感じる。みんな働いている子もそうなのだけど、防護服に落書きしてたり、かわいいんだよな。

なお、空港についてから現地で両替するスタイルの私ですが、今回は中国で両替できないと聞いていたのにもかかわらず、日本で両替するのを忘れたため、現地通貨は所持金0円で入国。日本円も極度の円安ということで、あまり両替したくないのでとりあえず10万円だけ持ってきた。まあ上海は現金ほぼ使わないと聞いているのできっと大丈夫だろう。

さて、バスに乗り込んでドナドナされた私たちが向かうのはどこなのか。とりあえず街は車が走ってないし人もいないし、ゴーストタウン状態。リファレンスがマニアックだけど、ドラえもんの鉄人兵団で、鏡の世界に入るやつあったけどまさにそんな感じで、この中に2500万人も人が住んでいるなんて信じられない!
海外に住むのはこれで2回目となるが、初めてその土地について空港から街へ向かうときのわくわく感は、たとえそこが中国だったとしても一緒なんだなぁ。コロナのおかげで下見出張にも行けていないため、見るものすべてが新鮮だ。上海は初めてではないものの、10年前に乗り継ぎで12時間くらい空いたので、一瞬街に出て豫園だけ見て小籠包食べてマッサージ受けただけで、ほぼ初めてだったりする。仕事では何回か中国に来ているものの、上海は意外に一回も出張もなかった。

どの辺かわからないが、誰もいません。
トルクメニスタンもこんな感じで誰もいなかった
電車も動いていないロックダウン状態


30分くらいで到着したホテルは、メルキュール。この区の人たちはどうやら2種類ホテルがあるらしく、こっち側は当たりだと現地の先輩から聞いてガッツポーズ。確かに、広州組に聞いていたより広いしバスタブも冷蔵庫もある。全然住める。

バスタブ~♡


ここからロックダウン下、3週間の隔離生活のうち最初の2週間をここで過ごすことになる。隔離生活のマニュアルについては、隔離が終わったところで次回まとめることにします。


毎日眺めることになる最初の上海の風景












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