2021ダブル

〇 W

いまさらTHE Wの話。

一番印象に残ったのはTEAM BANABAの藤本さんでした。

ネタの内容的に、山田さんのボケを結構長めの尺で待たないといけないと思うんですけど、ボケを待っている顔が本当に(言葉は悪いかもしれませんが)アホそうでめっちゃ好きでした。

胴体は基本客席に向けてて、ちょっと山田さん側に傾いてるのも素敵。ゆにばーす川瀬さんが少しはらさん側に傾いてるのも好き。よっぽどの時だけ山田さんに向き直ってるのも素敵。

ボケの人のキャラクターがネタやコンビの特徴に合ってる芸人さんはたくさんいらっしゃいますけど、TEAM BANANAの場合ボケのキャラだけでなくツッコミもめちゃくちゃ合ってるのって凄くかっこいいなと思いました。

漫才の上手さとか技術って、いろんな角度で語られていると思うんですけど、ある意味では、間や姿勢よりも、いかにセオリーを逸脱してキャラクターを説明できているかのほうが重要という場合も多いのかなと思います。

そういう意味では、例えばM-1なんかでいうと、まさのりさんやともしげさん、国崎さんなんかはめちゃくちゃ漫才が上手いんだと思います。

真空ジェシカのガクさんもほれぼれするレベルでツッコミが上手だと思う(あんなにがっつりコントに入ったまま、顔も体も客席に向きあいつつボケを説明することができている。声や体、顔立ちの細さは、川北さんの世界になすがままに翻弄されるのに非常に適している)。

金属も凄い。めっちゃむかし、先輩のネタをぱくって漫才をしてるのを見たことあるけど、その時友保さん猫背じゃなかったもんな。あの猫背は実はコントローラブルらしい。漫才の教科書やセオリーに「猫背でやるべし」なんて書いてないのに。

〇お題感と意義

他の漫才もみたくて動画を探したらM-1三回戦の公式動画があがってました。動画を見てみたんですが、THE Wのほうがはるかにウケててびっくりしました(M-1予選動画の録音システムを知らないので、実際にどのくらいウケてたのかは動画だけだと分からないんですけど)。

不思議でした。

話は変わるんですけど、料理漫画の対決のシーンで「テーマ」とか「お題」が出されることがあります。

例えば「お題:夏の食材」みたいな感じで。

そういったテーマ勝負の時に、何から何まで全部の食材を夏の食材にしてる料理人とかが出てくる事があったりします(皿までスイカの皮にしたりとか)。

それを読んで「そんなわけないやん」と思ってたんです。何から何まで夏の食材がベストなはずがない、と。別の食材の方が美味しくなる部分があるんちゃうかって。普通のお皿のほうが食べやすいんちゃうかって。

でもたぶん、そういう事じゃないんでしょうね。

「お題」があると、その「お題」にどう向き合っているかっていう<姿勢>が評価されるということがあるんでしょう。その<姿勢>次第で、味の感じ方さえも変わってしまうものなのでしょう。

「とにかく面白い漫才」をと謳うM-1で漫才をするのと、「女芸人No.1決定戦」を冠するTHE Wで漫才をするのとでは、ウケ方が変わる。

「そもそも違うネタをやっている」というくらいに。同じ料理だとしても、お題が違えば、違う料理のように感じられる

漫才っぽい漫才がウケる回のM-1もあれば、そうじゃない回のM-1もあり、女芸人っぽいネタがウケる回のTHE Wもあれば、そうじゃない回にTHE Wもあるんだと思います。

じゃあ女芸人っぽいネタってなんやねんっていう話なんですけども。

具体的なことは全然分かりませんが。

例えば『女芸人はこうであるべき』なんてことの答えはないんだと思います。

でもTHE Wがあることによって、『女芸人とはこういうものである』という不確かで流動的な概念の、いま現在における輪郭が、少しだけ見えるような気がする。

以前から、この大会の存在意義がよくわからんと書いてきた僕なんですが(https://note.com/morimuramorimura/n/n501e602502b0)、今回を見てそんな気分になりました。

〇審査員

全員女性にしてほしい。できればいろんな世代の方がいると嬉しい。そして点数制にしてほしいな。

審査やコメントを通して、これまで活躍されてきた女性の芸人の在り方みたいなのも見えると嬉しい。

どういう審査をするのか興味の沸く方はたくさんいらっしゃる。

〇段

ずいぶん昔、哲夫さんが何かのテレビでAマッソのお二人に対して、「10段のうち2段くらい降りても大丈夫」とアドバイスしていた覚えがあります。(おそらく笑けずり)

センスを重視しがちな2人に対して、もっと分かりやすくしても大丈夫っていう意味で、センスの高さを段で表現されたんだと思う。

その哲夫さんの前で、1本目は0段のネタをした。凄いですね。

最近のAマッソを知らないのでどのくらい珍しいのかが分からないのですが、個人的にあんなに0段のAマッソは初めて見ました。

十分に必然的な展開で、表現力も素晴らしくて。

面白いと思ったかどうかは人によるのかも知れませんが、何が起こってるのかが分からなかった視聴者はいないように思います。

なんだか少し感動しました。

〇段

ちなみに「10段のうち2段くらい降りても大丈夫」というアドバイスはあんまり好きじゃなかったです。もちろん意図は分かります。とても大事なことだとも思うんですけども。

別に、段って、高けりゃいいってもんではないはずです。段の違いなんか、ラーメンとハンバーグの違いみたいなもんで、人それぞれの好みです。

10段の人がえらいわけでもない。10段の人間でも、20段の高さの笑いは10段の奴には理解できない。

(余談ながら、最もダサいのは、高さを誇示することで、「段」を信仰する客に媚びることのように思います。

だいたいの場合そういう表現者も客もたいして「段」は高くないし。

誇ってる高さに反比例するように低劣です)

それでも、10段の高さが面白いと思う人間は基本的には10段の高さのことをやるべきです。自身が面白いと思わないようなことはなるべくやるべきではないです。20段の人や0段の人には伝わりにくいとしても。段を下げたりするべきではない。

(サービス精神で段を下げるのはやるのはいいことだと思います。小島よしおさんは子供むけに全力を尽くしますが、非常に素晴らしいことだと思います)

10段の高さの事がやりたくて、その高さが原因で伝わりにくいのならば、まずは10段の高さから伝える努力をするべきです。お笑いじゃないけど、映画のマトリックスなんかはアホほど難解なテーマなのに、テーマのレベルを落とすことなく大ヒットしました

伝える努力は表現力や丁寧さに向けられるでしょう。あるいは10段の高さが見えるように双眼鏡を配ってもいい。声が届くように拡声器を使ってもいい。プロジェクションマッピングを使ってもよいのでしょう。

〇PM

二本目のプロジェクションマッピングも画期的で素敵だった。

ワードだけでは分かりにくいボケを視覚的に補助できる効果もあるのかもしれない。よくもこんなことを思いつくものです。

アイデアが面白いので、ああいう仕組みでやってみたいことを思いついてしまう人は多いんじゃないでしょうか。いろんなことをやってみたくなるような、とても魅力的なシステム。

例えば、(実際やっておもろいかどうかは別にして、、、)漫才で太鼓の達人みたいなこともできそうです。ディベート系の漫才に体力ゲージがついててもいいのかもしれない。4分くらいの相撲の取組の映像とディベートの優勢・劣勢を連動させたい。一時的に聴覚が麻痺して、アンジャッシュのコントみたいに違う台本同士で漫才をしてしまうとかも考えられる。舞台上の人間を操作するボリュームのフェーダーや表情のメーターが表示されていても面白い。キャイーンやいつぞやのM-1のニューヨークの漫才を誘い笑いメーターでコントロールするゲームみたいな映像もありえる。ランジャタイみたいなタイプの漫才の後ろに、彼らの手書きのネタ帳の台本が表示されてたら面白そう。無限にいろいろ思いつく良いシステムですね。いずれAマッソのお二人にはプロジェクションマッピングM-1を開催してほしい。

〇オダウエダ

優勝はオダウエダのお二人だった。当日にマイルド軍団のライブを手伝ってたこともあり、みんなで応援したのを思い出します。優勝してくださってめちゃめちゃ嬉しかったです。

オダウエダらしさ満開の変なネタで優勝されてて嬉しかった。

Aマッソも単独だとあれに匹敵するくらい(昔の単独しかしりませんが)変なネタをしていたような記憶があるし、ヒコロヒーさんもデビュー当時のネタがめっちゃ変だった気がするので(デート相手に爆弾を投げつけられるだけのネタとか、待ち合わせ相手の身長がでかいだけみたいなネタがあった気がする)、みんな、もっと変なネタで挑んでほしい。個人的な願望ですが。

〇意義

話は変わって将棋について。

たまに、「将棋の女流棋士はアマチュアより弱い」なんて乱暴な意見を見かけます。

女流棋士になるにも厳しい条件がありますから、ほんとは全員ハチャメチャに将棋が強いのですが。

一方で、女流棋士が部分的に、一部の超強豪アマチュアよりも弱いのはたぶん事実です。

女流棋士はいま、里見香奈女流5冠と西山朋佳女流2冠の二強というべき状況です。2人とも、奨励会で3段まではたどり着きましたが、3段のリーグ戦を勝ってプロ棋士になることはできませんでした(西山さんは一度次点まで肉薄されています)。

奨励会の3段リーグは年齢制限があり、基本的には26歳で強制的に退会になります。つまり、奨励会3段まで上り詰めながらプロ棋士になるのを諦めてアマチュアになる男性が結構いるわけです。

おそらく、年齢制限のため3段で退会し、アマチュアとなった男性の大半は、もし女性であったならば、里見さん西山さんに負けない程度の活躍をして、各タイトル賞金などももらえていたかもしれません。

同じように奨励会3段まで到達する実力でありながら、女性であることを理由に里見さん西山さんは女流棋戦という女流棋士としての仕事があり、プロとして対局で稼ぐことができます。

能力を基準にすればきわめて不公平な話です。女性が優遇されることで男性への差別になっている。

けど、それでも女流棋士というシステムはあったほうがいいと個人的には思っています。そもそも女性への普及のために創設された仕組みのようですし、おそらく実際に女性の将棋人口を増やしているだろうからです。

現状、プロ棋士に女性がいないのは競技人口の問題でしょうから、いずれこういった努力が実って女性のプロ棋士も生まれるはずです(現在も、中七海さんという方が三段リーグで頑張っていらっしゃるそうです)。
いつか、棋士の男女比が人口の男女比に追いついたころには、女流棋士という仕組みも過去のものになるのでしょう。

ところで、オリンピックにおいて、創始者のピエール・ド・クーベルタンは女性のスポーツ参加は望ましくないと考えていたらしいです。女子の枠は様々な人の努力で少しずつ増えていったそう。

ていうか、クーベルタン以来オリンピックではアマチュアリズムを唱えてきましたが、これは、「スポーツは有閑階級がやるもんであって労働者階級がやるもんじゃない」という、ものっすごい古典的な差別意識に基づいたものだったらしい。オリンピックは事のおこりからしてだいぶ差別的

いやまあ、オリンピックやスポーツだけが差別的だったんじゃない。世界のいろんなことが全体的にそうだったんだと思います。

選挙制度だって、たいてい「貴族→富裕層→男性→女性」の順番で選挙権が認められていったような記憶があります。日本で女性が参政権を得たのはたしか1940年代とかだったはず。

話が逸れましたが、何がいいたいかというと、、、

僕は女流棋士のシステムを良いものだと思っているので、その観点からするとTHE Wの存在そのものはよいもののような気がするということがまず一点。お笑い芸人の男女比が5:5に近づくまで、これはこれであっていいのかもしれない。

くわえて、オリンピックにパラリンピックがくっついたように、バリバラ的な、お笑いにおいても障碍者への優遇が始まってもいいのかもしれないということ。

将棋においても同様のことが言えます。いま、プロ棋士は百数十名いますが、女性棋士が0人なのは先に述べた通り。

加えて、身体障碍者の棋士も一人もいない。人口比からいうと、なんらかの構造的差別が原因になっているとしか思えない。障碍者差別が存在しなければ、障碍者棋士の人数は人口比にもっと近づいているほうが自然です。自然な人口比にたどり着くまでは、『障碍者流棋士』みたいな仕組みが始まってもいいのかもしれない。

こういった優遇(=不平等)が正しいのかどうかは分からん。でも、そういう優遇はあるべきだと思う。

どうせ、差別なんて、解決しやすい差別から順番に解決していくしかないのではないか。どんな順番でもよいからとっとと解決されてゆけ。それで、みんなが幸せになる未来に近づくのならば。支持したい。

〇オマケ

西村紗知さんという方の評論が面白い、というのを何かで見かけて文學界の1月号を購入した。金などないので出費は痛い。書いてあることも難しすぎてよくわからん。でも、なるほどな~面白いな~と思った。

西村さんの言う”外部”や”善性”が具体的にどういうことなのかが、何度読んでもさっぱり分からないが、たぶん、例えばななまがりやガクヅケ、可児正さん、山が動く寺岡さんなんかにもあてはまるだろうなと思った。

おそらく、(個人的な用語になるが)『現実的な劣位性』に立脚しない笑い全般に当てはまるのではないだろうか。すぐれたお笑い表現において、善性が劣位性抜きに善性として剥きだされていた場合、必ず外部性に、劇的に侵される。劇は必ず劇的であることを志向するように思われるが、似たような意味で、善性は劣位性抜きには必ず侵される気がする。そういうこともまたNOTEに書きたい。超楽しかったのでもっと書いて欲しい。まだ全部は読めていないが、矢野利裕さんの文章も、知らないことばかりでめちゃくちゃ面白かった。

以下はさらなるおまけです。どうでもいいことしか書いていませんので買わないでください。

ここから先は

1,170字

50記事2

200円

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?