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解離性障害

ふぅ………。
もう既に、動悸がヤバい……。でもどこかで吐き出したかったうちの本音……。世界で1番大好きで愛してて、信用しとる彼氏殿にも、誰にも言えない。言いたくない。知られたくない。弱みを握られたくない。

同じ【解離性障害】持ちの方のnoteを参考に、今回初めてnoteを投稿する事にしました。


何から話そうかな…。

うちが体の不調を自覚し始めたのは、中2の頃。無意識に右手が小刻みに震えるようになった。
友達のお母さんが看護師で、友達も将来看護師を目指していた。だからある時、その子と遊んだ時に「○○…。無意識かもやけど、なんか手震えてない??」って言われて、ギクリとした。自分の勘違いで済まして起きたかったんに…。
さっと手の隠して「なんのこと??」って誤魔化した。
その子も、家庭環境が複雑で色々あったらしく、よく2人で、お互いの家の近くの中間でだべってお互いの家では言えない愚痴を話していた。

……小2の時、ある事件が起きた。先に嫌な事を言われたから、うちが怒って殴ったら、モンペア→担任に話が行き、放課後呼び出された。
担任に手を出せと言われたから出したら、つねられた。痛がるうちに「○○ちゃんも痛かってんよ。謝りなさい。」と言われた。「なんでうちだけ??隣に突っ立っとるコイツからそもそも喧嘩吹っかけてきたんに??ざけんな」と思って、絶対謝らんと心に誓って、痛みに耐えた。その後、家に帰ってから泣きながら叔母にその出来事を伝えると「でも○○。それは先に手を出した方が悪くなるんやよ。」って言われた。
だから、腹が立っても手は出してはいけないんだと思った。

反抗期になると母親や母方の祖母から「怒った時にその顔はするなって言ったやろ」って説教された。意味がわからなかった。腹が立っても手を出すなっていうから顔に出したんに、それでも言われるのか…。何故いつも自分だけ感情を抑え込まなければいけないのか分からなかった。
何故なら目の前にいるこの2人は、それをしていないからだ。何故自分達は出来ていない事を、うちにしろと言うのか理解出来なかった。


高校に入学し、何故か奴も同じ高校に通うことになった。まぁ、奴が中3の進路を決めるタイミングで「介護士になりたい」と聞いて、そんな仕事があるのか…。お年寄りは好きやから自分も介護士になろうかなと思い、進路を決めたためだ。
何を勘違いしたのか、奴は「○○はうちの真似をしてきてんよ」と言いだした。
真似ではない。介護士になる決断をしたのは、うちだ。人見知りも相まって同じグループにいたら、2番目に省かれた。
グループを省かれた最初の子に、こんな思いをさせてしまったのかと痛感し、反省した…。幸いに同じクラスの違うグループの子が、話しかけてくれてその子達のグループに入らせて貰った。
いっぱいバカやって、いっぱい笑って、同じ部活に所属して…。とても楽しかった。

高校を卒業してすぐに介護士になるのは、不安だった。だが頭はよくないし、勉強は好きな方ではない。"専門"ってついとるし、まぁ多分専門的な事を学ぶのだろうと福祉専門学校に入学した。


…そこで彼と出会った。


最初の印象は、むしろ悪い方だった。ある日クラスに入り、クラスメイトに挨拶すると、クラスメイトのそばにいた彼が「ふっ、おはようやって」と馬鹿にしてきたのだ。
ここは介護のうちのクラスで保育のお前は、2Fやろ??大体お前に挨拶してない。クラスメイトにしただけだ。その日から、うちの中で彼は敵認定だった。
同じクラスの留年した先輩から、彼がうちの事を好きだと言っているとの事を聞かされた。あの高身長イケメンが、こんな低身長ブスにそんな事思うわけない。お世辞を真に受けたのだと思った。
それからも彼はよく介護のクラスに来ていた。コミュ力の高い陽キャだなと思った。益々陰キャの自分のことなど眼中に無いと思った。
入学して2ヶ月後バス停で「一目惚れしました」と告白してくれた。初めての経験で頭の理解が追いつかなかった。まだ彼のことをよく知らなかったので「友達からでもいいですか??」と返答した。それから1週間もしない内に、自分も彼のことが大好きになった。誰にも取られたくないと想うようになった。
休日に一緒に遊ぶ約束をしていた2016年6月26日(日)。告白しようしようと思いながら、緊張と恥ずかしさで中々言えなかった。「ズートピア」の映画を観る約束をしていたので、映画館の椅子で顔を真っ赤にしながら顔を伏せて「一緒に帰るようになってから、大好きになりました。こんなうちでよかったら付き合って下さい」と告白した。そのせいで彼の表情を見ることは出来なかったが、その日から彼と付き合うことになった。

それからは、楽しい学校生活だった。彼が、コミュ力があるので、学校の殆どの人が彼のことを知っており、こんな陰キャブスのうちが、学校内で有名なラブラブカップルとして認知されるようになった。何もかもが新鮮だった。



………。その年のいつだったかに母が倒れて緊急搬送された……。ICUで沢山の管に繋がれている母の姿が現実とはどうしても思えなかったのだ。
あの時、彼がそばに居てくれたから、何も言わずに抱きしめてくれたから、張り裂けそうな心をどうにか保つことが出来た。
初めて車の事故を起こしたのは、そんな時だった。無理もない。慣れない現場での新社会人として働きながら、お見舞いに誰も来ないと可哀想だと父に言われたからだ。
仕事後、その足で病院に行き、家に帰っては家事を手伝うようになった。そんな日の帰り道だ。

眠気に襲われ気づいたら、視界が真っ暗なままハンドルを握っていた。幸い人身事故にはならなかった。初めての事故……。
両手は震えパニックになった。地元のよく知った通りだから、人が家から続々出てきた。
震える手で父に電話すると怒鳴られた。


………。2021年(R3)3月1日。職場から緊急搬送された。2021年(R3)3月12日。
【解離性障害】の診断がつけられた。


長々と長文失礼します。
読んで下さり、ありがとうございます。

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