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自分らしく生きるということは、静かな戦いだから。Lamp harajuku営業終了によせて

Lamp harajukuがなくなってしまった。
正しく言うと、なくなってしまっていた。

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2022年は大凶なはじまりで、ほとんど仕事もできず、ずっと横たわっていた。
4月に力を振り絞って小さく結婚式を挙げて、じょじょに元気を取り戻してきた5月、大好きな原宿のセレクトショップLamp harajukuのSNSを見たら驚きのプロフィール。

2022年2月28日をもちまして営業を終了いたしました。
22年間に渡る、温かいご愛顧に心より感謝いたします。
ありがとうございました。

2月28日、そんな前に?私が横たわっているあいだに、大切な場所が終わりを迎えていた?

SNSを見たら「Lampありがとう!」なんて投稿がちらほらあって、そんなカラッとした感謝なんて言えないでしょ!と小さく怒りがわいたあと、スマホを握ってわんわん泣いた。

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自分らしく生きることは、小さな戦いの連続だから。

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高校・大学時代、私は最強で、怖いものなんて何もなくて、思うがままに過ごしてた。
何をするにしても、なんか余計なオリジナリティを付け加えては人に喜んでもらってた。

Lamp harajukuに初めて行ったのは多分、高校3年生のころ。原宿の古着屋さんを巡っているときにふらりと入った小さな家みたいな場所だった。

背が低くて線の細い、そばかすが似合う店員さんと話しながら見つけたリネンのブラウス。丸い襟で鳥の刺繍がされている。これは絶対に似合う、絶対にかわいい、と確信して値札を見て仰天した。当時の自分のお小遣いではとてもじゃないけど買えないような値段だった。minä perhonenとの初対面。
悲しいけど買えないよ、でもこのときめき、なにかで持ち帰りたい。そんな気持ちをもってANTIPASTのレースの靴下を買って帰った。靴下1足だけで3,000円を払ったのも初めてだった。

大学に入って、オムライス屋でバイトを始めて少しずつLampの服を買えるようになった。アルバイト代はほぼ全てLampのために。
あの線の細いそばかすの店員さんはOさんといって、私が社会人になってもずっと担当でついてくれた。

Lampで取り扱うブランドやデザイナー・作家さんたちのコンセプトや物語を聞いて、その服を着ることで自分でもその物語を身につけていく。なんだか自分自身が強くなった気もした。

就職活動。特にこれといったやりたいこともない私はうまくいくはずもなく、いろんな説明会にいってどんぶらどんぶら就活の海をただよっていた。
流れついた会社の面接は「私服可」。当時の私は自分中心の考えを捨てきれていなかったので私服可、を「あなたの思うとびきりおしゃれなかっこで来てね!」と解釈して毎回SUPER・SUPERおしゃれをして行った。頭に花さしていったこともあったし、最終面接はSOWAのサロペットを着ていったの。役員にひとこと目「…なんかすごいね…」と言われたのも、褒め言葉として受け取ったんだ。おしゃれでしょ。

社会人になり、思い通り生きてきた私のピンチ。すべてが怖くなった。今まで、まぁちょっとやったら人並にはできるでしょ…と思っていた自己評価はあっけなく沈没。
提案書は想像している2倍以上の時間がかかる、自分なりに考えてみたことがことごとくダメになる、だんだん怖くてまともに会話することもできなくなっていった。

ありがたいことに入社前から自由な服装キャラでいたのと、本人の意思を尊重する素晴らしいOJTの方に巡り会えたので服は基本SUPERおしゃれのスタイルのままでいた。

でも、仕事は全然できなかった。

うまくいかない、悲しい、言われたこともできない、せめて言われた通りのことをやりたい。

早いうちにささっとオーダー内容は済ませて、余計なことをトッピングするのが好きだったはずなのに、その余裕が全くなかった。

余計なトッピングが好きで、大好きで、そこを喜ばれてきた人生だった気がしてたんだけどな。オーダーに応えるだけだったら誰でもできるでしょ?って。応えることもできてなかったんだけど。

「スーツ着てきた方がいいよ。謝罪するときに、なんか気まずいよ」と言う同期。
なんで謝罪する前提で仕事しなきゃいけないんだ、って思った次の日くらいにめっちゃミスして社内で謝罪してた。でもスーツじゃなくても気まずくなかったよ。

「みんなが言うオフィスカジュアルをしてみようかな」って服を探したこともあったんだけど全然欲しいと思わないし、これを着てしまったら「私」が本当に消え去ってしまうんじゃないか。と怖くなって、着れなかった。

どんなに怒られても、どんなに悲しくても、かわいい服を、意思を持ってつくられた服を着ている。それだけで何かが守られるような気がしたの。

残業・残業・残業…で自分が幹事の飲み会にも行けない日々。月に2度ほど週末Lampに通い、残業代で稼いだ給料の半分はLampのために。

どんな服を探しているのか、なんだかこういう気持ちだ、なんて話しながら店内をまわってひたすら試着。
子どもっぽい服が好きだった私に「そろそろ年次も重ねて先輩になるから」とか「パーティに呼ばれてもいいように」とか色々提案をもらって自分では選ばないけど似合う服、にもたくさん出会った。(パーティに行ける服は大事…と思ったけどパーティにはそんな行くことはなかった)

付き合うひとが変わったり、なんか今はLampが違うかも、って時期もあったけど、やっぱり最後はLampだった。

自分の好きなものが分からなくなってきた、好きなものがどこにも見つからない、って気持ちのときにLampに行くと絶対に好きになるものがある。気持ちの駆け込み寺でもあった場所がなくなってしまって、本当に悲しい。
親友の結婚式に着たピンクのシルクのワンピース。それが最後になっちゃったな。

ただの悲しいnoteだよ。

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Lampが終わってしまったあとにブログに書いてあった言葉

自分らしく生きるということは、静かな戦いだから。

最後まで本当に私の好きなことを言ってくれる、って涙が出た。

自分の気持ちを守りぬく静かな私の戦いの最強の鎧、世界でいちばんかわいい鎧。

作家さんのコンセプトや物語だけじゃなくて自分の人生も乗っかりはじめているお洋服たち、静かな戦いをこれからも一緒に生きていくんだ。


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