すっぴんの自分が普段と別人でも

私はすっぴん教素肌派。
入信してから早15年くらい経つんじゃないだろうか、なんて敬虔な信者なのかしら。

ちゃんと化粧をしてこなかった。

化粧は、どれだけ上手にしたところで洗い流してしまったら化粧がない「自分」に戻る。化粧をしている自分の顔を好きになったら、もともとの自分の顔をちゃんと愛せるのだろうか。

すっぴんになった時とは別人、ってどういう気持ちなのだろうか。

あと普通に、鼻を高く見せる不思議な影を書く時間とお金で、鼻を高くする手術する方が合理的なのではないだろうか。

化粧よりも髪型の方が面積が大きくて影響力があると思う。
髪型はオフにしたところで顔のかわいさは変わらない。
0をプラスに加工してくれる、髪の毛。
オフにしたとき、マイナスになってしまったら自分を愛せるのかな。
マイナスになんかならないのかな。
化粧でプラスにできたことがないから、わからないな。

高校時代、みんなが体育終わりに化粧を直しているとき、自分はいつも手持ち無沙汰だった。

きらきら光る粉を塗りつける乙女たち。

「どの化粧で一番顔が変わるの?」と聞くとみんなそれぞれの答えを返してくれる。学年でかわいい子ランキング2位に入ってたあの子の答えは、「眉毛、アイライン…あ〜やっぱりシャドウかな、シャドウだわ」。そんな、影で人生が変わるなんて。

「すごいねぇ」と観察していたあの時から変わらない。

当時一番自分がこだわっていたのは、うすい眉毛とウルフカットの盛り具合で、アリミノだ、ナカノだ、といろいろ試した結果、ヴィダルサスーンのワックスが一番よかった。

中学の頃にSEVENTEENで読んだ、アイラインを目尻よりちょっと長めに書くと猫目みたいになって、タレ目効果。が今も昔もわたしの中では一番「化粧」である。

思春期と言えば、鏡と向き合って自分と向き合って世界と向き合う年代のはずなのに…わたしは鏡と向き合わずに何と向き合っていたのだろう。

すっぴんの顔も、化粧をした顔も、そんなに変わらなかった。正しく言うと、変えられるくらいのスキルを持たないまま成長していった。

「化粧してなくても変わらないねぇ!」を、褒め言葉として生きていく。すっぴん教素肌派の誕生はその頃である。

地肌が強いのもあった。ニキビは出来ない。
出来たとしても、なんだか粘土のような・コパトーンの香りがする薬を塗ると次の日には取れてる。
この薬だって、自分で探したんじゃなくて母に勧められて使っただけだから、もう笑っちゃうね。でもお母さん、さすが、すごい。

きっと、悩むこともないから向き合うこともなかった。
自信があったわけではなく興味がなかった。
きっと、化粧とわたしの人生の出会いが「悩みを隠すもの」だったから悩みがないわたしには遠い場所のひととして生きてきたんだね。

でもね最近、良い感じに年齢を重ねて、肌に違和感があったり隠したいところだったりが出てきて、ちょっと変わってきた。

お化粧で人生変えてそうな子がまわりに増えてきた。煽りではない。でもみんな化粧してるときとしてないときで、全然違うから。お化粧って本当に意味がある。みんなの「なりたい」を簡単に叶えてすごい。幼い頃に憧れた魔法少女の変身のよう。コンパクトと、メイク道具を持って、ほんとに別人になってる。煽りではない。

すっぴん教素肌派歴が長いわたしは、ファンデーションの塗り方が分からない。だから10代の女の子のYOUTUBEをみて勉強している。

隠したいところを塗って、お気に入りのところをもっと光らせてる。

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