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不祥事に思う

新聞やテレビを見ていると不正や不祥事の記事を目にして心が痛む。
大体、この不正体質は、20世紀のもっと言えば昭和からの遺物なのであろう。

思えば、売上や利益の貸し借りは、普通に行われた時代があった。
期末になると、利益を出している会社から、利益や売上を借りて、翌期に返すとか、多少の擬装は目を瞑るということは、日本中どこにもあったように思える。

その文化が企業の中で、21世紀になった今でも深く生き延びて、上司は知っていてものらりくらりと次の人に送り、ある日表に出てきて大騒ぎとなる。

そこで、心が痛むのは、表に出た際に対処する人達のことだ。
偶々かも知れないし、正義感を持って不正を正そうとした人達が、自分がやったことでもないのに、不正を見つけて対応をして結果罰せられるということが起こる。そして、不正を見逃し続けて来た前任の人達はのうのうと生き延びるのである。
ましてや、以前の担当者が役員や会社のトップになっていれば尚更だ。
勿論、全社を揺るがす大ごとになれば違うのであろうが。

そういう僕もそのような目にあったことがある。
東京から大阪に異動し、他の部署の仕事を引き継ぐことになった。
半年ほどして、不正決算を見つけてしまった。
前任者に問いただすと、その前任者からのことで、俺は知らんと言う始末であった。
法務部や経理部の協力を得ながら、その取引先とも交渉をして、連鎖を止めたのであるが、結果として見つけて止めるため対応した僕は不正をしていたと言うことで評価を下げられて、前任者は一切お咎めなしという結末となった。
アンフェアな会社というかアンフェアな上司だなと思ったものだ。
元々、その上司と相性がよかなかったこともあるかも知れないが、僕が上司であれば不正を見つけて対処したことを高く評価をすることこそすれ、悪い評価はしないだろうと感じたのだ。

だから、一生懸命不正や不祥事に対応している人達が、その対応が終わった際に処罰されたりしないで欲しいとは思いながら、でもそうはならないのではないかと心が痛むのである。


そんな不条理にぶち当たった時に、
壬生義士伝に書かれていた
「あらゆる不条理を噛み砕き飲み込んで、すべてを自分の滋養にせよ」
という言葉が僕を助けてくれた。

それ以来、僕のこころの底にはフェアであるということがとても大切な指針となった。
それは、間違ったことは間違ったといい
素晴らしいことは素晴らしいと言えること、
不条理におかしいと言えること、
その結果をできる限りフェアに見つめること。
それは、いつの社会でも受け入れられないこともあるだろうけど、
そして世界はアンフェアで不条理なことも多いけど、
出来る限りフェアであって欲しいと不祥事のニュースを見るたびに思うのである。


追記、

今、政治家の裏金のニュースが流れている。
不正をしても開き直り如何に居座るかを考える政治家がいる限り、日本は変わらないのだろうなとも思う。
だからこそ、人が襟を糺し矜持をもって生きている姿はより一層清々しいしいのであろう。

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