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第28話「最悪の評価」

僕がメンターをしている、
ある役員から連絡があった。

細かいことは、相手も話せないから
聞かないので分からないが、
どうも社内の風土文化調査で
主管しているある部署の部員からの
その部署の評価が最悪だったようなのだ。

昨年まではそんなことが無かったらしいのだが、
驚いてとても憂鬱になったとのことであった。

確かに悪い評価は、
それも部下たちからの評価の悪さは、
気持ち良いものではない。
裏切られた気持ちになるのかもしれない。
そして、自分を責め、
その部署の責任者たる部課長を責めそうになる。

憂鬱になって、相談と言うか
話を聞いてもらいたかったのだと思うが、
僕は「良かった」と思う。

先ず、物事が大ごとになる前に、
問題が表面化したことは、
とても良いことだ。

どこに問題があって、
何を解決すれば良いか考え、
結果、その部署は活性化する。

問題は表面化せずに
ある日、問題が爆発して
事故が起こって初めて
問題の内在化していたことを知ることだ。

それまでを「知りませんでした」と言う、
経営幹部の見苦しい言い訳じみた謝罪会見ほど
醜いものは無い。

そもそも、とても良い評価が続くこと自体が、
内部崩壊が進んでいる表れではないか?
と思った方がいい。

どんな組織でも、一年の間には
なんらかの問題を抱えるものである。
それが表に出てこない文化より、
出てくる文化や風土の方がいい。

完璧であることこそ、
その裏に渦まく危険性を
含有することにはならないか?

多様性や自由闊達とは、
反論、反感、反骨があるのだ。
だから、高評価にはなり難い。

大学院で教えていると、
学期の終わりに院生から評価がされる。

ありがたいことに、多くの人には高評価なのだが、
その中に悪い評価をつける人がいる。

一瞬アレっと思いながら、
実はホッとする。
悪評も評なり。

僕の講義は、
本来とんがっている部分があるはずだから、
合わない人がいて当然なのだ。

さて、

どのように悪評に立ち向かうのか?

それが、人の人に対する対し方であり
生き方を表していると思うのである。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

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