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ア、秋

 noteからの通知が来た。9月30日までに記事を書くことで連続投稿を17ヶ月に伸ばすことができる、と。
 そういえば今月は何も投稿していなかった。なんなら他のSNSも疎かだ。
 noteでは日記を書いたり小説を載せたりしている。月一の投稿は義務ではないけれど、ここまで来たら続けられるところまで頑張りたい。
 近況報告をつらつらと書き綴るのもいいけれど、Twitterに投稿するつもりだった下書きに少し付け加えた。

 ラジオで「秋の蚊」という季語を聞いた。文字の如く、秋になっても生きている蚊を指す。虫の名前+四季といえば「冬の蝿」しか知らなかった。
 ある日、「み」と「ぷ」の間と言えばいいのだろうか。か細いながらも存在感のある音が聞こえたと思ったら、一匹の蚊がパソコンの画面に止まった。なるほどこれが「蚊の鳴くような声」なんだと感心しているうちに、蚊はどこかへ逃げてしまった。
 そうして私が痒みに気付いた頃には、脛の辺りがぷっくり膨れていた。

秋もすすみ、気温も下がってくると、蚊の動きも幾分鈍り、気のせいか羽音さえも弱々しく感ずる。刺されるのには閉口するが、何となく哀れさも覚える。

インターネット歳時記「きごさい歳時記」

 車窓から見える景色。河川敷の斜面の緑にぽつぽつ混じる彼岸花の赤や、こまこまとしたうろこ雲。日差しに反して吹き抜ける風の冷たさ。なんとなく給湯温度を1度上げるようになって、季節の移ろいを感じた。

 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。

太宰治『ア、秋』

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