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アラフォーになって『大人数』が苦手になった=我慢しない大人になった。


最近、
やりたくないことをやる、ということができない。


軸がしっかりされている人であれば、

そんなことは生きるうえで当たり前に
強い覚悟と決意のもとに
『じぶんのやりたいことを、やる』もしくは
『じぶんのやりたくないことは、やらない』というように
そこにずっと注力してこられているのかもしれない。



しかし
一方、わたしのような人間も…。



ちょっと前のわたしは、
やりたくないことでも
周りから求められればこなしていた。

そして常識みたいなものに、ドスンと乗っかりきり、
やりたくないことばかりやっていて

気が付いたら
とつぜんたおれて
救急車に運ばれたりする。ホント。


そんなわたしが、
『例えやりたくなくても、やらなきゃ!』という気力を
振りしぼることができなくなった。
やりたくないことをやることに、
耐える力がないのであります。




やりたくない残業や休日出勤。
気分屋の上司の機嫌をうかがうこと。
ぎゅうぎゅうの満員電車。
疲れているときの家事。
気分がのらない集まりに行くこと。
長くなりそうな電話に出ること。
人に合わせて、
さして食べたくないものを食べたり、
長話しをひたすら聞くこと。
ガヤガヤうるさくて落ちつかない場所。
きついブラジャー。


なにも我慢がきかなくなって
できなくなってしまった。


これはある種の老化ではないかと思う。




寝込みだすアラフォー女子。



大人になると
けっこう寝込み出す女子が多いのだと知った。


それを知ったのは、
じぶんが人生で初めて
寝込んだからであり。


去年の春に
3カ月ほど。


“寝込む”とは言っても
まったく起き上がれないとかではなく

とにかく、理由なく元気がない、という感じで

仕事には頑張って行けるレベル。

でもそれ以外の時間は、
ずっと寝込んでいた。し、そんなじぶんが
もう謎で。


調べてみると
“不定愁訴”というやつに当てはまるような…。

不定愁訴(ふていしゅうそ)は、臨床用語[1]で、患者からの「頭が重い」、「イライラする」、「疲労感が取れない」、「よく眠れない」などの、「なんとなく体調が悪い」という強く主観的な多岐にわたる自覚症状の訴えがあるものの、検査をしても客観的所見に乏しく、原因となる病気が見つからない状態を指す。

Wikipediaより



そして寝込み続けること3カ月、
ある日とつぜん
治ったのである。


急に元気になったので、
じぶんでも驚きと不思議さととまどいを感じ、

ますますじぶんのことが分からなくなった。

なぜ寝込み、なぜ治ったんだ。しかも急に。



これまた調べてみると
なんやかんやで東洋医学の“虚証”に、
じぶんが当てはまるのでは?というところに
なんとなく落ち着いた。


虚証、実証について↓↓↓

実証は、「正気」といわれる生命力・自然治癒力が高く積極的に「邪気」と戦うため、逆に激しくなりすぎて病気を引き起こします。実証は急性期に起こりやすい状態です。 虚証が起こる原因は、病気の原因が体の内側にあり、体内の栄養素などが不足しているため、病にかかりやすい状態です。虚証は「正気」といわれる生命力・自然治癒力が不足しており、「邪気」に対する抵抗力が低下しています。邪気と戦う力がすくないので激しい症状は起こりません。体の弱い人や病後などに起こりやすい状態です。虚証は慢性期に起こりやすい状態です。

クラシエの漢方より


はじめて聞く言葉。
虚証。

虚証かぁ。

実証が良かったなぁ。(※どっちが良い、とかではない)




さて
今回はこの不定愁訴の話ではなく、


この、寝込むことによって
じぶんのできること、できないことの線引きが
楽(?)になった部分について書きすすめたい。



複数人とのランチ翌日、寝込む。


3カ月間の寝込んだ春を終えて

ひさびさに
会社のひとたちと
何人かで食事をしたつぎの日、


丸一日寝込んでしまった。
もう、元気がなくて起き上がれないのである。


初めは、
きのう、なにか体に合わない物でも食べたかなぁ
と、原因を探っていたのだけど、
とくに心当たりがない。



また他の日には、
ランチの会話中に
急に目のまえがホワイトアウトしたり
耳が聞こえなくなったりするので、

もうどうしようもない
(パニック障害とかなのだろうか?)



正直なところ、

とくに嫌いなだれかや
苦手なひとがいたわけではないにも関わらず、
どこかでずっと居心地の悪さを感じていたのは、いた。



数年のコロナ禍によるブランク

一気に“集まり”が苦手になってしまったのかもしれない。




わたしが感じた居心地の悪さというのは、

複数人で集まると、
それぞれがすこしずつしゃべることによって、
そのひとりひとりの情報の薄さとまんべんなさが
非常にしっくりこなくて、

そのうえ
ご飯も、どんな味だったか覚えていない。

結果、
なにもかもが、よく分からずに数時間が過ぎ去った。(おバカなだけでは)

そして、つぎの日は寝込む

(※もともと人見知りをしないので、大人数でも知らない人ばかりの集まりもコンパもどちらかというと得意だった。)




しかし、
一対一でのランチだと
楽しいのである。


相手の話しをよく聞けるので
へー、このひとって、こういうひとなんだ!
こうゆうことに、こう感じるんだ!」などが分かって楽しい。




だから一対一で会うのが、しっくりくる
し、つぎの日寝込まない。



さらに関係性について欲深く言えば、

もしも
間抜けなわたしがドタキャンしてしまったら、
気になってた店だから、ちょっくら行ってくらぁ
くらいに言ってもらえるとありがたい。


わたしはそうするしな。
どうせ行きたい店だったら、
その日ひとりでも行きたい。

そうしたら
「あの店どうだった?」
「美味しかったよ!」
「え、じゃあ今度こそ一緒に行こうよ!」
のように仕切り直せる。




気が減っている?


ひとには
先天の気後天の気、というものがあるらしい。

先天の気(せんてんのき)…生まれながらに両親から受け継いだ気。
後天の気(こうてんのき)…生きていくなかで、自ら摂取し補充される気。

先天の気は、原気とされ原動力となり、もともとの量や質には個人差があって、年齢を重ねるにつれて減少していくのだそう。

また、年齢だけでなく、乱れた生活習慣や過度なストレス、病気によってもすり減り、
住んでいる場所、仕事などから多くの影響を受けているのだとか。


後天の気は、呼吸や食べものからエネルギーを得るということらしく、
大人になるほど、この後天の気をうまく取り入れられるかどうかが健康のカギとなってくるのだとか。




このことを知って、
『最近のじぶんに元気がなかったのは、これだったんだ!』と思い、
そして
『やりたくないことをたくさんやって、先天の気をじゃんじゃん遣っている場合じゃぁ、ない』と心の底から思った。



生きれば生きるほど、初期装備の先天の気は減る



それはまさに、老化だと言えよう。




先天の気が減っても
後天の気を生活の中でうまく補っていけばセーフ。

後天の気チャージ方法は、
自然にふれたり、住まう土地で育った季節の野菜を食したり、深呼吸してストレスをためないようにしたり…。
そのどれもが簡単なことなのだけど、
忙しい日々の中では、おざなりになりがちなことを、
少しでも意識的に日々の暮らしにとりいれることが大切なのだとか。



しかし
後からチャージできるとしても“先天の気の遣い道”は、よく考えたい。
無駄に消耗させたくないのでして。

それに
せっかくチャージした後天の気も、
わざわざやりたくないことに遣いたくないしな。


何に“気”を遣うのか。


じぶんの持っている“気”を、なにに遣うのか
なにに遣いたいのか
なにになら遣ってもいいと思えるのか、

その視点をもって生活していきたいと思う。


でも、そうは言ってもやりたくないことも
回りの関係性の中で
ときにはやらなければならないことも、ある。


が、
先天の気がすり減っていて、すぐに元気がなくなるわたしの場合、
じぶんの心に反することをすると
たちまち体が弱るので、


『ストレスになるようなことは避けよう!』と、
心がけさえ心がけられない強制力で
じぶんの人生上から、
じぶんに合わないものを
とり払わなければならなくなり、

ある種、
もう選択肢が一択なので、楽である




寝込みたくなければ、快適に生きろ!みたいな…。
楽しさを優先させよ、さもなくば寝込むぞ!のように…。


我慢しない、我慢できない大人になった。(なれた?)


きょうも、
なにに“”を、遣い
なにを“”にしようか。





イヤイヤ嫌なことばかりをして、
これ以上
気をすり減らしている場合じゃない。

ので、
とりあえず大好きな甘酒ココアでも飲んでおこう。




☕︎ Have a nice day! ☕︎





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