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おむすびに入っているもの

 北関東の里山より、こんにちは。misa+(ミサト)と申します。今日は家族におむすびを握りました。おむすび…。私の人生に深く影響を与え、今もなお、心に響き続ける佐藤初女さんのおむすびのお話と、まだしていなかった自己紹介をします。

森のイスキア

 今は亡き佐藤初女さん(享年94歳)の活動をご存じの方も多いと思います。初女さんの周りにはいつも自然と、悩みや問題を抱える人たちが集まってきたそうです。初めは自宅での活動から共感者が集まり、青森県に森のイスキアという場が作られました。そこに訪ねてきた方々の話を、初女さんはただ黙って聴き、心のこもった食事を作って一緒に食べて、訪ねてきた人は元氣になって帰っていったそうです。

出逢いは「母」の文字から

 私が初女さんに出逢ったのは、カフェに勤めている時でした。カフェのバックヤードに初女さんの書があり、「母」の文字ににじみ出る優しさや愛の波動を感じた事がきっかけでした。私がその存在を知った時には、すでに他界されていて、森のイスキアを訪ねてお会いすることは叶いませんでしたが、書籍や映画「地球交響曲 第二番(ガイアシンフォニー)」、講演会の録音を聴いて伝わりくるものに、ハートの奥の方がとても震える感じがしたのです。

おむすびの祈り

 初女さんのおむすびは、海苔に包まれた丸いおむすび。お米ひと粒ひと粒が呼吸をするように、掌でふわっと握られています。おむすびを握る姿は、目を瞑って祈るよう。そのおむすびはラップには包みません。タオルに包んでお米が呼吸できるよう心を配ります。

響き合う命

 初女さんは、「癒し」という言葉があまり好きではなかったそうです。「癒されたと言われれば嬉しいが、人の心はとても深いものだから、簡単には癒すことはできない。人を癒すという言い方は、傲慢に聞こえる。」と。癒しというのは、その人の内側でただ起こること。こちらが癒そうとか、ヒーリングしよう、というのは何か違うと私も感じます。

 ただ、心のこもったおむすびには、その人の何かが入るような氣がします。同じ材料で、同じ手順で作っても、その人それぞれに味が変わる。イライラして作ったら、そういう味になる。初女さんの書籍には、おむすびを通じて、心が入ると書かれていました。そのおむすびを食べた人には、初女さんの心が通じて、元氣になったのかもしれません。

 誰かが誰かを想い、丁寧に握ったおむすびも同じだと思います。料理や家事、仕事においても、その人の肉体を通じて沁み出してゆくものがあります。それは日々の生活に自然と現れくるもの。その人の作る料理は、なんだかほっとして美味しいな、とか。この家は陽だまりのようで安心する、とか。あの人と仕事をするとすっきりして氣持ちがいい、とか。そんな日々の生活に現れて、響き合う命の繋がりが、今必要なのではないでしょうか。

私について

 私は1978年にこの世界に生を受け、田んぼと森に囲まれた自然豊かな里山で育ちました。小さい頃からお菓子作りや料理が好きで、大学では食物学を学びました。ただ真っ直ぐに食の道には行けませんでした。大人になるにつれ、沢山の仮面を付けて生きてきたのです。本当の私はどこにいるのか、すっかり分からなくなり、人生迷子になりました。

 そんな時に、あるシェアハウスにご縁が繋がり、そこで本来の自分を見つめ直すきっかけとなりました。その場は、初女さんに共感した方が自分なりのイスキアを表現した学び場。皆でご飯を食べたり、聴く聴いてもらうの傾聴の中で、「私」が本当に望むことに意識が向けられるようになりました。私はようやく食の世界に飛び込んで料理修行をしていました。

体が動かない

 料理の世界に飛び込んで一年が経ったころ、さまざまな体調不良が現れました。顔に出てくる沢山のニキビ、貧血、倦怠感、どうにも起きられないような眠気。小麦を食べるとその症状は顕著に現れ、はじめはアレルギーを発症したものと思いました。

 仕事を辞めて実家に帰ることを決め、久しぶりに里山に帰ってきました。無理をしてでも動いてしまう私でしたが、氣が付くと横になって寝ていたり、もう体が動かなくなっていました。医者からはピロリ菌による慢性胃炎と診断され、貧血が進みすぎて体が動かなくなっていると伝えられました。

 病気を通じて、自分の体に敬意を払えていなかったことに氣付きました。養生する時間を自分に許して来なかった。自分の体を物のように扱って来たのかもしれません。その盲点に氣付かされました。里山の自然の中で安らいで休息し、お米中心の食生活を送るうちに、いつしか元氣になりました。

望み

 これからは自分に素直に「私」を生きます。私に出来ることをただするだけ。私の相棒は森です。行き詰まりを感じた時、ひととき森に入れば不思議と心がほどけてゆきました。柔らかな土の感覚、様々な匂い、木漏れ日、木々のさざめき、そこは自然に促されて五感が開き、本来の柔らかな心に還るようなフィールドです。

 そんな森のそばに、ひとときの安らぎと休息が出来るカフェがあったら。それは達成すべき目的ではなく、この望みがスピリットの望みなら前に進むし、そうでなければ進まないものと思うのです。

 私は体調が悪い時も、お米を食べると元氣が湧きました。釜戸で炊いたご飯を握ったおむすびに、旬のお惣菜やお漬物に温かい汁物を添えた里山ランチ。四季折々の果物のジャムやソース、それに合うお米のお菓子、地元の小豆を使った甘味や蕎麦粉のパンが楽しめる。森の山椒や柚子を使った調味料、畑の野菜のサラダなど、食べものの命が感じられるカフェ。里の恵みが循環するような場を。人と自然、自然と人、そこに垣根はなく、人も自然の一部だったと思い出せるような場が在るようにみえるのです。

 想像から始まるイマジン森カフェ。この旅を共に楽しむ仲間を募集しています。何かを感じられた方、共感のフォローをお待ちしています。どうぞ宜しくお願いします。


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