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【安曇野から発信する潤一博士の目】36~長野県西部地震(その2)〈御岳火山の山体崩壊〉

 1984年の長野県西部地震による大規模火山体崩壊を詳しく検討してみましょう。場所は、御岳火山の南斜面で(写真①②③)、標高2550m~2000mにけかての屋根(写真⑨)が、一気に滑り落ちて、大きな谷地形(写真④)が出現しました。崩壊土石は、3600万m³(10トンダンプ720万台分)で、土石流となり、谷にそって、約8㎞を7分で流れ下りました(土石流の詳細は、次の㊲で)。
 この山体崩壊は
(1)地震のゆれが引き金となり
(2)御岳山南斜面の尾根(写真①②③⑦)が崩落し、古い谷地形(写真④)が現れました。この谷を埋めて、火山噴出物が厚く堆積していました(写真⑤)。
(3)古い谷は、5万年前の千本松軽石層に厚くおおわれ(写真⑥⑧⑨⑩)、軽石は風化・粘土化がすすみ、その表面は、滑り易い状態になっていました。また、軽石層は、水をとおしにくい難透水層となっていました。したがって、この谷を埋める火山噴出物層には豊富な地下水が貯えられていました(写真⑪⑫)。
(4)地震前月の9月12~13日には、120㎜の降水があり、谷を埋める火山噴出物中の地下水は、更に増加していたものと推測されます。
  
  以上のような条件が重なり、まれに見る大規模な山体崩壊が発生したものです。

写真①、南東から見る御岳火山。南斜面に大きな崩壊跡が見える。
写真②、南斜面の崩壊跡。(1984年9月20日頃)
写真③、田ノ原駐車場からの崩壊地(1984年9月26日)。
この日、信大地質調査隊が、初めて崩壊地に入った。
写真④、崩壊地全景(1984年9月26日)
写真⑤、崩壊地最上部に現れた火山噴出物(厚さ約100m、崩のトップは海抜2550m)
写真⑥、崩壊地に現れた古い谷を被う千本松軽石層。厚さは2m位。風化・粘土化が進み、難透水層である⑧で、黄色の部分。
写真⑦、崩壊前と後での地形変化(1/25000地形図)。崩壊前は尾根、崩壊後は谷。
写真⑧、崩壊地の地積図(信大地積調査隊、9月26日に作製)。黄色の地層は、千本松軽石層。軽石層は、崩壊地に出現した谷の表層を形成している。崩壊地に広く露出する。
写真⑨、地積断面図、海抜2550m~2000mを形成していた屋根が、
軽石層より上で、滑落したことがわかる。
写真⑩、地積横断面図。屋根を形成していた火山噴出物が崩落し、谷地形が現れた。
写真⑪、崩壊直後(9月20日頃)の様子。崖のあちらこちらから地下水が流れ出した跡。
写真⑫、同上の地下水流出跡(9月26日)


〈引用文献〉
 信州大学自然災害研究会(1985):昭和59年長野県西部地震による災害、信州大学。
 ただし、①②③④⑤⑥⑫の撮影者は酒井潤一、⑦⑧⑨⑩は信大地質調査隊作製。


(地質学者・理学博士 酒井 潤一)


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