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どちらにせよ嫌われていて、どちらにせよ愛されている。【前提の持つ力について】

私自身できているわけではないが、備忘録として書いておこうと思う。

潜在意識と言うものがある。

言い換えるとしたら、「世界に対する自分の前提」なんじゃないか、と最近思う。

「潜在意識の書き換え!」なんて言うと、いかにもスピリチュアルって感じがするから、もっとラフにいきたい。

前提を変える質問


私は誰かにコメントをするとき、相手に伝えてるようで、自分が自分に言い聞かせてる、励ましてるメッセージなんだなぁって思う時がある。

最近のメッセージは
「どっちにしても〇〇だとしたら、あなたは本当にそれがしたい?」
というものだ。

たとえば、大変なルートと楽なルートがあるとして、どちらにしても自分の求めているものが手に入るなら、どっちをいくか。とかね。

大変なルートをいかないと、欲しいものは手に入らないって前提を持っていると、やり方・行き方なんていくらでもあるのに、わざわざしんどいほうを選ぶことになる。

だって欲しいから。その人にとって、苦しむってことが手に入れるための努力なのだから。

別の例えなら、
パートナーに認められたい・愛されたいって思ってる人が、そのためにバリバリいろんなことに挑戦して、外に出て、成果を出したい!と思ってる場合。

もうすでに、そのままで認められてて、愛されているとしたら、それでもまだ挑戦したい?それがやりたい?
と聞いてみる。

そうすると、そのしたいことが、純粋にしたいことなのか、それをしないとほしいものが手に入らない、と思っているからしたいと思っていることなのか、見分けることができる。

そして。
それでも挑戦したいなら、したらいいと思う。
もし、挑戦して成果を出さないと愛されないと思ってやろうとしているなら、それはおすすめしない。
前提が認められてない、愛されてない、だからだ。
結局その前提から出発したことは、その前提に戻ってくるように感じている。不思議なことに。

承認のために努力をして、いい学校・会社に入っても、承認が満たされないのはそういうことだと思う。

最後の例は、私自身のこと。

年末に見た舞台が、全然よいと感じられなかったってことがあって。
私の尊敬してる人や仲良しの中には、よかった!って人も多かったから、「正直私は全然でした」というスタンスをとるか、一瞬悩んだ。

だけど、2:6:2の法則というものがあって、
何をしても、どれだけ気を遣っても、2割の人からは嫌われるんだって。
逆にどんなに自由に生きても、自分を抑えても2割の人からは好かれるらしい。

だから、しかたないんだよね。

どんなに素晴らしい舞台でも、私のように響かない2割の人間がいるように。
どんなに無害で「素晴らしい」私でいたとしても、嫌いと思ったり傷つく2割はいて、
どんなに正直で「人間くさい」私を出しても、好いてくれる2割はいる。

頑張るか、楽をするか。
このやり方をするか、あのやり方をするか。
感じたことを言うか、言わないか。
レディースセットにするか、ビリヤニにするか。

どっちにしてもすでに嫌われている
どっちにしても既に愛されている
としたら、あなたはどうしたい?

どっちを選んでも、私のためのギフトには、結果的に出会えるとしたら?

ちなみに私は
直感に従っていたいな。
(結局スピ。笑)

あとAかBどっち?って言われたら、
どっちも!!
(タイトルの画像は、インドカレー屋さんでレディースレットとビリヤニ、どっちも頼んだの図。笑)

あと、べつにCでもいいよね。って話はまた今度。
するかも。

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