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苦手な仕事を深掘りしてみた ②抽象度の高いイラスト

私の特技を友人に聞いたら十中八九「絵」という答えが返ってくるだろう。 なので、こう言ったら知人はみんな意外に思うだろうけど、わたしは美術の時間が嫌いだった。

もともと自意識過剰な自覚はあるが、絵に関しては変なプライドがあって、絶対負けられない!っていつも思ってた。でも絵の良さなんて比べられないから、どうやって勝つつもりだったんだ、その勝負?


で、どうしたかというと、絵の「よさ」みたいな好みに左右されるものよりも、「上手さ、実物そっくりさ」で比べていたんだ。(今なら言葉にできる。)模写は時間かけて、よくお手本を見れば、できるからね。絵が好きな子から、絵がうまい子になっていった。中学生くらいからだろうか。

そうして私は「絵のうまい人」ポジションを得た。だから人気者になれるとかは全然ないけど、なんかわかりやすい取り柄がほしかったんだろうね。私にとって努力でなんとかなるスキルはそれくらいだったし。

でも、そんなことをしているうちに、楽しみだった「図工の時間」は、アンビバレントな感情に苦しめられる「美術の時間」になっていた。

一番うまく描けているか、そうでないか、それが正直なところの私の関心であった。一番なら楽しい。もっとうまい人がいると苦しかった。

それが、高校生くらいからどっちでも苦しくなった。

写真みたいにうまく描ける?そこに創造性は要らない。もっというと人間も要らない。スマホのカメラでいいじゃん。(今見返したら、たぶん全然写真レベルじゃない。普通に手作り感満載。普通に生徒の絵。)そもそもうまい絵って必要か?

というか、そっくりに描くことばかりに執着した私には、なんもなかった。

創造性とか、独自性とかがないって致命的。(と、当時の私は思っていた。)

だから、美術の方面に進むって選択肢は、自分でポイした。

一緒にセーラームーンを見て、落書き帳を交換しあった幼馴染は、今はアニメーターになっている。すげぇよ。消費者から作り手になってるんだもん。

彼女が目の前に実物やお手本が無くても、絵を自由自在に動かせるようになった今、

私は実物や写真がなくちゃあ、なんにも自信をもって描けないんだ。だからもっぱら似顔絵や旅先の風景や食べ物を描いているわけ。

それも楽しいけどね、記録や交流なのであって創造ではない。


えーっと、話がどーんと逸れた!

戻しますね。

最近、あるイラストの仕事を頂いた。魅力的な世界観を持った素敵な友人が、お店を始める。そこに関連したお仕事!めっちゃ燃える!

・・・ただ、抽象度が高め(頼まれたキーワードである、カオスとか日本酒とか音楽とかパーマカルチャーって、形ないやん!)で、さらにもう少し質問したうえで一度きちっと描いてみた。が、「とてもいいんだけど、求めているのはこれではない」らしい・・・。「インスタに上げてる絵みたいな、あったかいラフな感じ」ですか・・・。ラフ?

それに対して私は「実際にみたもの、(お手本が)あるものしか描けない、急がば回れで実際にお店に行こうかと考えている。想像力、ここにないものを描く力がほしいところです」みたいな話をした。

けど、「想像力も描く力もめちゃあるよ!」というフォローを頂いたあとは、「ないものあるって言われてもな~インスタで上げてる150投稿中、妄想だけで描いたのは2枚だけですけど…。ほかは写真か実物みて描いてますけど…。なにをもってそう判断してるんだろう」とか思って悶々と悩んでいた。(この時点では、実際にお店に行って店内、周辺をスケッチして素材集めるって選択肢しかなかった。)

抽象度が高いイラストが苦手な理由に向き合ってみる


あるものを描くのと、ないものを描くことの違いはなんだろう。

うまく描かなきゃってプレッシャーが自分の中にすごくあって、実物っていうお手本があると安心する
上手さしか取り柄がないから、実物がなきゃ詰む。

というか、ないものを書いたときの下手くそさに耐えられない
(ダンスも一緒。どうやって踊ったらいい?って聞いて、「自由に踊ってるよ~」なんて言われたら、秒で何もしない係に徹する。微動だにしない。)
お手本がないと怖い
お手本がないと、失敗もないけど、その自由さで作ったり生み出したものって100パーセント自分由来だから人に見せる自信がない

あるものを描くときは絵に出る私は一部。ないものを描くときは、私のすべてが絵に出てしまう。ここに描かれているものは私からできています。それを見せるの、怖い!(人に見せない落書きは、お手本無くても抵抗なく描けてるわ。発見。)


もうひとつ、発見してしまった理由があって、

非常に抵抗はありますが、正直に申しますと、

ふだんから無意識に(実物とか見ないで描いてる)人の絵を馬鹿にしてるんだわ。下手だなって。おまえ何様だよって感じですが。


でも、実物見ないで書描いたら自分が馬鹿にしてる「だれか」以下だから、自分のジャッジに自分が刺される。
ブーメラン。

でもバカにしようと思ってないし、むしろ見ないで描けるのすごいなって思ってる。頭ではね。(好き嫌いはあるだろうけど)


理由がはっきりした後にやってみた3つのこと

①人生の先輩に助けを求める。

ちょうど会う機会ができた人生の先輩に、

抽象度の高いイラストを描いてみたがボツになって途方に暮れていることを相談して、

ラフな感じってなんだ!?とか
やわらかいとは?
みたいなことをインスタの絵とか見てもらって、推測したりしていた。

「こんなかんじの、さささ~って書いた感じがいいんじゃない!?」(なるほど、ボールペンのかすれ具合がいい感じなんだな)とか

「そのお店のある地域に有名な門みたいなのがあるから、それとか、その地域の日本酒のボトルとか描いてもいいかもね~」とのことだった。

②依頼者に過去作品を見せつつ、求めるものの確認、こちらの思いや現時点のデザインを伝えてみる。


①の内容を踏まえて、依頼者に過去の自分の作品を見せつつ、求める雰囲気の確認と、自分の思いや現時点で考えてるデザインを伝えてみた。

このやりとりのなかで、クライアントは「こちらのイメージでこんな感じって言ってもつまらんかなぁと思って、具体的には指定しないようにしてた」ことが判明!

それに対して、こちらからは、その方式はしんどいけれども、「自由度高めで、かつ相手の求めてるニーズを満たせるものを描くってこと」は修行であり、いつかは通らないといけないと思っていること、を伝える。


ルールや縛りがあるなかで作る方がやりやすいこと。

たしかに、「こういう感じで~」って言われてやった仕事を「これはもはや私の仕事じゃないじゃん」って萎えるタイプもいるけど、
私は「自分だけではできない良いものができた!わーい!」ってなるタイプなので、具体的な注文はむしろありがたいこと。

(もともと慎重なので、法外に出ないでいかに成果を出すか、って工夫を学生時代から無意識にしてた。法外に出る憧れはずっとあるけど。不良やルール気にしない人に憧れる。なりたい。)

やりとりを重ねて得られたものとして、

そのお店の横のワクワクするモチーフ(鳥居)、全体的な構成(とそれをイメージするのにぴったりな画像まで!)、背景や文字の色、必要であれば協力を仰げるスキル(画像編集)、絶対に描いてほしい具体的なモチーフなどなどが明確に。至れり尽くせりすぎる感はあるが、クライアントと一緒につくるってそういうことなのかもしれない。

イラストレーターさんって絵を描くのが仕事じゃないんだね。コミュニケーションなのね。


③とりあえず、テーマと自分のなかの妄想だけで絵を描いてみる。

例の人生の先輩に「私、お手本ないものは描けない〜むりです~」と弱音を吐いていると、その娘さん(8歳。以下Jちゃん)が、

「じゃあさー、一緒にお絵描きしよ!」
って言ってくれた。その時の話題で出てた「作りたいカフェ」をテーマに、描いてみることに。

そしたら、描けたんだ、これが。

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そりゃ、実物見て描いたほうが全然「上手い」けど、
これもいいじゃん。素敵じゃん。

なんだ、妄想と記憶だけで、いい絵を描けるんじゃん、私
って気付かされた。(自画自賛)


ちなみに、使う色(女の子のワンピースとか、椅子の色とか、植木鉢の色、熊の)はJちゃんに聞いて決めたんだけど、だんだんふざけて「金色!」「銅色!」しか言ってくれなくなって、結局自分で選んだ。
全部セピアにする気ですかと。


Jちゃんの絵はすごい色使いが綺麗だから、カラフルな色選んでくれるだろうって思ったら、黒!とか紫!とかメタルカラーで来るから、甘い考えだったと気づかされる。


最後に、Jちゃんに頼まれてリスを線だけ3匹描いたところ、エメラルドブルーとべリーピンク、銅メダル色に塗っておられた。「おお、リスがえらい綺麗な色になってる!自由だねぇ」って言ったら、
「だってこれ自由帳だから」とのことでした。

そうだね、本来絵は自由だったなあ。ありがとう。

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