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豆腐問題

「豆腐の角に頭を打って死ぬ」
という言い回しがありますね。落語に由来するそうです。

ところで豆腐の角って、尖っていないですよね?よく見れば丸い。どんなに気をつけて作っても、鋭角に尖った角をもつ豆腐はつくれません。豆腐に角はない。

よく研いだナイフの先はどうでしょうか?
これも、電子顕微鏡で覗いたら粒子の集まりです。どんなに鋭いナイフの先も、拡大したら点の集まりです。ナイフの先も角ではない。

極細のペンで精密に三角形を書いても…同じことですね。

つまりこんなことが言えます。
「角」は存在しない。

でも同時に、こんなことも言えます。
人の頭の中には、「角という概念」はある。

そうなんです、「角」って概念なんですね。
実在はしていないんです。

「線」「面」にも同じことが言えます。
実際には拡大したら点のあつまりですから、これもやはり実在はしていない概念です。
じゃあ「点」は実在するのか?これも、どこからどこまでが点なのかわからないですよね。

よくよく考えれば、経済も、法律も、文化も、人間関係も、実在していない概念なわけですから、今さら驚くようなことでもない。

点、線、面、立体、時間…
これらは数学的な概念であって、実在はしていない。限りなく鋭角な角を持った豆腐は、限りなく概念に近い実在です。

そうなると、すべては幻、人が認識していることはすべて幻想じゃないか、ということになるわけですが、ポイントは、「多くの人が共通の幻想を共有している」ということです。そこに意味がある。

こういう考え方を「共同幻想論」と呼びます。僕の断片的で偏った知識から見ると、哲学の進歩はこの考え方がもたらされたことによって、一時期停滞していました。
「だってぜんぶ幻想じゃん」でジ・エンドです。希望がないよね。

ところがその閉塞感に風穴を開ける考え方が出てきました。ドイツの若き哲学者、マルクス・ガブリエルの「新しい実在論」です。

いわば階段の踊り場で停滞していた哲学が、つぎのフロアへ向けて昇り出した…という感じです。

読み進めるほど頭が混乱してきますが、凝り固まった脳味噌がほどけていく(こんがらがっていく?)感じは心地良いです。

限りなく鋭角な角を持つ豆腐に頭をぶつけても、死なないですね。それが概念に過ぎないからでしょうか?違います。豆腐は柔らかいから。

なぜ世界は実在しないのか?

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