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五、再建

「釣りをしてのんびりしています。」
兄は軍事郵便でそう寄越した。仏印からタイに進駐した頃だ。束の間の休息だったんだろう。その後ビルマへ転戦した。

インパール作戦からの敗走に次ぐ敗走。悲惨な撤収であったと言う。

兄がどんな辛い思いをして死んでいったか。知る術もない。「なぜあんな良い兄が…。」声も涙も出なかった。

「腹あ空かして帰ってくるだらあ。」
そう言いながら鍬を振ってきた父と母。打ちのめされた。

姉が結婚した。兄が親しかった友人からの申込みだった。この娘には幸せになってもらいたい。両親の勧めを受けて、嫁いでいった。

北隣の小さな家から、日がな一日赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。元法務官さんが、若い二号さんに産ませた子だと言う。本妻さんがミルクも与えず、骨と皮のようになってしまった。

死んだ者、生きる者。生殺与奪を握る者、人知れずその命を捧げた者。

俺はこの自分自身の命、どう使う?

金時芋がたわわに連なり、陸稲が首を垂れる。大きな南瓜がごろごろ転がっている。西瓜も実った。

畑泥棒が毎晩やって来る。寝ずの番に立ったが、不発に終わる。向こうも飢えているんだ、仕方ない。

原の西側、小滝橋通り側に都営アパートが建ち始める。

「おーい、もっとコンクリ入れろ。固まらねえよう。」
上から怒鳴っている。コンクリートをけちって、砂利が多すぎるのか。

三階建ての強度しかないのに、四階建てを造っている。そんな噂が立った。

東京は再建に向けて猛スピードで走り始めている。

荻窪の家が売れた。その金で、戸山ヶ原の軍艦小屋を本格的な居宅に改築した。

戦争を生き延びた知人友人が遊びに来る。
幹部候補生として出陣した渋井は、四国で終戦を迎えた。今は都庁の役人だ。暫くのあいだ家が見つからず、我が家に居候して有楽町へ通った。

俺は大学に編入学した。昼間は懸命に百姓仕事をして、夜学で経済学を学ぶ。

戦後180度の価値基準の大転換。日々高揚していく民主化の嵐。共産党に入党する畑仲間もいる。俺は今度こそ流されたくない。地に足をつけて考えるんだ。この国は変わろうとしている。俺は、どうするのか。自分で決めねば。

都から農地明け渡しの話が舞い込んだ。
都営アパートをここに建設すると言う。

「立ち木一本まで補償します。引き続き営農を希望する方には代替地を用意します。」

都の事務官、市場氏は小柄な体に精気が漲る。
てきぱきとした物言いで、条件を提示した。

「そんな馬鹿な…。」
国の方針でここを開拓することにしたんじゃないか。それが僅か四年足らずの朝令暮改だ。

荒涼とした赤土の土地を、やっとの思いで黒々とした農地に変えた。やっと軌道に乗ってきたのに。誰よりも百姓仕事に打ち込んできた父と母。落胆ぶりを見るのが辛い。

この土地は、山手線の新大久保と高田馬場、中央線の大久保の三駅に近い。新宿も遠くない。

「東京の住宅難は深刻です。ご協力頂きたい。」

俺たちと真摯に向き合ってくれる市場事務官に、恨みはない。彼は自分の仕事を誠実に遂行しているまでだ。都の言い分も、良く分かる。

でも、あの戦争にだって大義名分はあったんだ。俺たちはそれを信じて疑わなかった。「これはおかしい。」そう思っても、皆呑み込んだ。お国のために。

そして殺し合い、命を失い、生き残った者もすべて失った。

俺たちの命は、生活は、そんなに軽く扱われて良い筈がないんだ。お上の意向一つで、市民は何でも言うことを聞く。そんな国では駄目だ。


だから、戦うことにした。

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