十二、荷造り場

山手線の通勤ラッシュは物凄い。家畜だってこんなに詰め込まないだろう。

出社してすぐ作業着に着替える。繊細なガラス製品が詰まった四階建ての倉庫。荷物専用のエレベーターで一階の荷造り場に下ろす。割れ物だから細かく木毛でパッキングし、束ねて俵で巻く。

製品は繊細だが、荷造り場はまるで柔道場だ。伸び盛りの小企業だから、出荷は止むことを知らない。やれ増産だ、やれ欠品だ、日がな一日怒号のような掛け声が飛び交い、何とかその日の作業を終える。エレベーターだけでは足りないから、階段を駆け上り駆け下りる。百キロ近いコンテナを日通のトラックの高い荷台へ一人で放り込む。

舞い上がる木毛と藁の埃。昭和通りを素っ飛ばすトラックの轟音、吹き込む排ガスの臭い。マスクは直ぐに真っ黒だ。

疲労が泥のように蓄積していく。ちょっとした気の緩みが事故につながる。俺は若い田上の足の甲をコンテナで砕いた。大事に至らなかったが、見舞い先の彼に心底詫びた。

田上が退院する日、警察に呼ばれた。退院祝いでつい深酒し、夜道で喧嘩したらしい。持っていた傘を水平に構える。突くつもりは無かったが、凶器と見なされた。貰い下げに行った俺に、いやー。と言って、頭を掻き苦笑いする田上。

明日は休日、と思った夜にダウンした。高熱が出て、体中から猛烈な汗が噴き出す。体中に重しを乗せられているようだ。

1957年。1月、中ソ共同宣言が発表され、社会主義諸国の団結を強調。相馬ヶ原演習場で米兵が農夫を射殺。2月、石橋内閣が総辞職し、第一次岸内閣が成立。毛沢東が「人民内部の矛盾について」講演。4月、インドのケララ州で共産党州政権が成立。5月、岸首相が「自衛権の範囲内なら核兵器保有も可能」と参議院で答弁。英国がクリスマス島で初の水爆実験。6月、ソ連でマレンコフ、カガノヴィチ、モロトフが失脚。立川基地拡張のための強制測量に反対した労働者、農民、学生らが警官隊に制圧された。

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