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源義経のゆかり義経神社に寄り、十割そば工房「小十郎本家」で、さらしなと天婦羅

   仕事の前にちょっと気分転換のドライブ。花巻市大迫町へ向かった。
特に理由はない。

  前にも通り気になっていた場所。

 車を停めたのは、今、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の影響もあったかもしれない。
 井戸はまだ水が湧いている。

 150メートル先に義経神社とある。

 急な坂道の斜面に山吹。

 すみれ。
 日影がよく似合う。

ひっそりと佇む鳥居の奥にお堂があった。

 この辺り、赤沢は藤原清衡の誕生した地で、奥州藤原家のゆかりの地の様だ。説明板によると、
 「往時は金が採れ、清衡の父経清(つねきよ)が金の管理者として派遣された。その後、経清は前九年の役で惨殺されてしまう。子供時代に長い戦いの悲惨さを経験した清衡。
 後三年の合戦後、1094年に先祖供養のため、華蔵寺と阿弥陀堂を建立したと伝わる。その後、秀衡がこの地を訪れ、神社を再建し社殿を守る
ため、周囲に堀を巡らせ毘沙門堂と薬師堂を建立した。」
と書かれていた。

 そして、
 「1175年平家の追討から逃れてきた源義経を藤原秀衡が赤沢の地に匿った。義経が弓矢の稽古をした的場、騎馬戦法の訓練をした鐙越(あぶみこし)、喉を潤した井戸などが残る。 
 やがて義経は、村の娘ハルと結ばれるが、頼朝の挙兵の知らせに南部馬にまたがって家臣と共に鎌倉へ。
 ハルは、白山神社別宮に義経の形見の弓と刀を捧げ、武運を祈り続けた。
いつしかこの神社は、義経神社と呼ばれ、義経とハルの子孫の大角家は、判官堂と呼ばれるようになった。」
と続いていた。



 鳥居からお堂まで一面にカタクリが咲いていた。

 隣の林檎畑、もう咲きそうに膨らんだ蕾。

 この辺り、赤沢周辺の歴史は興味深い。いつかゆっくり探索してみたい。 
 新しい事を知ると頭が冴える。
 大迫へ。
 昔は大いに栄えた町。宿場町で近くの金山、そして南部葉タバコなどで繁栄した。名残りが家並みや豪華な雛祭りなどの行事に残る。

 大迫に来たら必ず寄る高鉱菓子舗。銘菓「峰の山河」と奥さんとの楽しい話。いつも昔の言い伝えなどを聞く。
 今日は忙しそうだ。買物して早めに店を後にした。

 12時を過ぎた。
 支所の向かいにある。十割そば工房「小十郎本家」へ。

 暖簾が風に揺れる。少し風が出てきたが心地良い。車の温度計では25度もあった。

 初めて入る店。ちょっとした緊張感と期待感が入り混じる。中は昔ながらのそば屋という感じ。

 そば粉十割のざる蕎麦と天婦羅を頼んだ。揚げる音、そばを洗う水音。
 しばらくして出てきた天婦羅の盛合わせ。

 続いて、ざる蕎麦。

 挽ぐるみ系だと予想していたが、さらしなだ。
 御主人と話しが出来た。
 店を初めて16年。元々は蕎麦好きの営業マン。出張の度、あちこちの蕎麦屋を回った。遠くに転勤の話が出た時、そば屋を始める事にしたそうだ。

 丁寧な手打ちの十割蕎麦。蕎麦の風味、しっとりとして美味しい。
いくらでも胃に収まっていく。時間があれば、もう一枚、食べたかった。
 そろそろ盛岡に戻り、仕事しなくては。

 大迫で美味しい蕎麦に出会った。
 盛岡に帰ったら、仕事しながらおやつは高鉱菓子舗の「峰の山河」、これは捗るに違いない!

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