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あのとき桜を見に行っていたらの話

歴史に「もしも」はない、とよく聞く。意味はよくわからない。「なるようにしかならなかった」とほぼ同義だと思われるが、これを言うだけでほんのり賢さをまとうことができる、たいへん便利な言葉である。

でも歴史にはなくても、わたしにはある。日々蓄積されていく「もしも」を抱えていて、それはわたし本体よりも大きい。そして先日なにかのきっかけで (たぶん一瞬嗅いだ梅の香りか何かで)、わたしの奥に埋もれていた、十一年前の「もしも」が出てきた。

K大学の四年生だったわたしは、M田線のH山駅が最寄りの通信教育大手、Z会でアルバイトをしていた。業務の詳細には言及しないが、わたしは英語科の一員で、そこにMさんがいた。Mさんはたぶん、A大学の女生徒だった。

フロア全体にデスクが広がる、いたって普通のオフィス。「島」は教科で分かれていて、我々の住む英語島は入ってすぐ、いちばん手前にあった。メンバーは社員の二人が固定で、それ以外はわたし、Mさん、Oくんなど個性派大学生が揃っていた。

席は固定されていなかったが、わたしはMさんの向かいに座ることが多かった。こちらで書類作業をしていると、帰国子女のMさんの流暢な発音がよく聞こえてきた。相手の目線に立てるひとだと、電話の仕方でわかった。

うん、うん、そうその通り。じゃあここどうなるかな? うん、うん、ああ惜しいね〜!

わたしはMさんに好感を持っていたが、そこに留まっていた。Mさんもわたしのことを、まあ同僚としては嫌いではないのだろうと、それくらいに思っていた。

そして大学生活が終わり、バイトも退職となった。もちろん季節は春だった。送別会が終わってしばらくして、Mさんからメールが来た。肩のこらない遊びの誘いだったが、当時サークルの仲間と思い出を残すのに注力していたわたしは、忙しいからと断った。

あのとき誘いを受けていたらどうなっていたかと、卒業して十一年が過ぎ、突然に思いはじめた。十一年無意識にためていた後悔が表現を微調整しているとはいえ、わたしまだ、その文面をおぼえている。

ねえ森くん、○月×日ひまだったら、代々木公園に桜見に行かない?

次回の更新は3月27日(D曜日)です。

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