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子どもによくガン見される話

子どもが好きだ、と公言する人が信用できない。子どもにもいろいろいるからだ。好きな子どもも嫌いな子どももいて当然なのに、それを一緒くたにするところが大変うさんくさい。だが一方で、ヤングコーンが好きだ、と公言する人は信用できる。ヤングコーンはどれもだいたい同じ味だからだ。そしてわたしはヤングコーンが好きだし、子どもによくガン見される。

帽子のせいじゃないですか、と指摘されたこともある。確かに一理ある。ワークキャップ、ニットキャップ、トラッパーハットなど様々な帽子を普段被っているし、それが子どもたちの興味を惹くのは理解できる。ただ、被っていてもいなくてもガン見の頻度に影響がない。よって科学的に考えて、帽子のせいではないということになる。また、服装もとくに奇抜ではない。

だからガン見の理由は大雑把に言って、「バイブス」ということになる。ガン見されやすいバイブス。わたしはそれを抱えて生きている。宣言下でもにぎやかな東京の街なかでベビーカーに乗った幼児とすれ違い、前世で因果でもあるのかというほどに延々と見られることがざらにある。公園でサンドイッチを食べていたらてくてくてく、と音もせずに近づかれたり、保育園のそばを散歩するときには柵越しかぶりつきで五、六人の園児の熱視線を受けたりする。

最近三田線に乗った。神保町から巣鴨に向かっていた。わたしの右にはプラレールのリュックを背負った五、六歳の男の子がいて、しっかりと靴を脱いで両立膝で車窓をのぞいていた。神保町には鉄道グッズ店があるから、その帰りなのかもしれない。

いやいやさすがにないだろうと油断していた。バイブスの保持は自覚しているが、鉄道ファンの視線を(地下鉄とはいえ)車窓からはがすほどのポテンシャルはないだろうと高を括っていた。だがふと東京新聞のアプリから顔を上げて右をチラ見すると、彼がわたしをガン見していた。わたしは車窓に勝ってしまった。電車に乗っていて車窓の景色じゃなく人間に興味を持つなんて、海鮮居酒屋に行って唐揚げばかり食べるようなものじゃないのか。うん、ごめん。まだきみには海鮮居酒屋とかわからないよね。お酒飲めるのは十五年後くらいかな。そのときには生しらすでも食べるといいよ。

当然だが、この世のすべての人間は「子どもにガン見される側」と「されない側」に分かれる。わたしはやはり、前者にいられて幸運だと思う。完全な偏見だが、カート・ヴォネガットからぼる塾の田辺智加にいたるまでわたしが敬愛する人生の先輩たちはみな前者にいるはずだし、前者にいるという自覚があれば、ポイ捨ても汚職もできないのだ。

五十年だか六十年だか先、わたしはその辺の公園のベンチに座り、杖を立てかけて水筒から熱いほうじ茶を飲む。ぼんやりと池の水音に身を任せているとそばで生き物の気配がして、思わず振り返るとプラレールのリュックを背負った五歳くらいの男の子がこちらをガン見している。わたしは老人らしい微笑を浮かべ、男の子は適当に開いた手を小さくふる。水音が大きくなり、木漏れ日が傾斜を変える。明日は上着がいらないだろう。

次回の更新は2月20日(土曜日)です。


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