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天使じゃないと気づいた話

たとえば、カレー屋に入る。家が繁華街に近く、飲食店の選択肢は多い。だが日曜日の夕方、一人で入って一人で食べようとすると、なんとなく店の方向性は限定される。かといって松屋やかつやは「平日」が過ぎるから、こじんまりした個人経営の、それでいてこだわりすぎないカレー屋が最高の選択肢と言える。わたしにはだから、日曜の夕方に行く用のカレー屋がある。

その店はいつも空いている。12席ほどのカウンターは、多くても2席ほどしか埋まっていない。わたしが入っても3だ。しかも多くの場合、わたしが入っても1である。

ではだめなカレー屋なのかというと、まったくそうではない。メニューは豊富だし、辛さは選べるし、サラダをつけても千円ちょっとだし、店員同士が適度に雑談を交わすほどの和やかさもある。そしてなにより強調したいのは、たとえわたしが入った時点では空いていても、わたしがサラダを完食したあたりで一組、二組、三組と客がつづき、いつの間にか店は賑わいを見せるということだ。そしてこういう事態が、ほぼ毎回起こる。

これはもう、天使だとしか思えない。天使であるわたしが店に魔法をかけ、千客を万来させたとしか思えないのだ。

万来はこの店に限らない。高校のときの伊勢の駅前のカレー屋、今週木曜日の三軒茶屋のカレー屋、大学のときの日吉のラーメン屋、先月行った池袋の古本屋、いつか行ったどこぞやのカレー屋……。やたらとカレー屋に強いのだが、わたしが来たときはゼロだった客が次々に増え店内が活気を得る光景を、わたしは何度も目にしている。

だが、無垢なままではいられなかった。わたしは気づかぬうちに賢くなり、ある仮説にたどりついてしまった。つまり、わたしは天使ではない。わたしは天使なんかではなく、ただ平均よりはやくお腹が空くだけなのだと。

しかし歩みは止めない。わたしはまた店に入るだろう。いくら客がいなくて入りづらくても、その店に入りたいのだから入るのだ。単なる人間であるわたしが、気になる店に入るだけの話だ。

俺がこのカレー屋で働いて三年になる。仕事覚えが悪く、ミスばかりする俺を店長はいつもかばってくれる。一度、チーズの焦げ目を作るためのバーナーで店長のノースフェイスのダウンを焼いたときも、そもそも調理着ではなくダウンを着てるほうが悪いと笑って許してくれた。今日は雨だから客足も悪く、なぜかウーバーの注文も来ない。夕食どきにこの調子では、今週の売上が目標に届かず、店長はまた焦げたダウンで金策に走り回ることになる。お願いだ。誰か来てくれ。誰か、ちゃんとサラダやドリンクも頼んでくれる客が来てくれ。誰か。誰か。誰か。そう祈りながらパクチーを仕込んでいると、カラカラカラとドアのベルが鳴った。俺は喜びを見せるのが恥ずかしくて、なるべくそっけなく、なるべくいつも通りに「いらっしゃいませ」と言った。

次回の更新は3月20日(土曜日)です。


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