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死ぬなよおじさんの話

わたしの通っていた小学校には、「死ぬなよおじさん」がいた。なんとなく志村けんの「いいよなおじさん」と語感が似ているが、システム的に似た妖怪だと思ってくれて差し支えない。ただ、これを言わないと差し支えるので義務的に言及するならば、「死ぬなよおじさん」は教頭だった。バリバリの、現役の、現職の教頭だったのだ。

あなたはゲゲゲの鬼太郎をご存知だろうか。大抵の方は肯定する。ただ、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の初回放送を観たことがあるかと問われれば、その割合は急落するだろう。それと同じくわたしには(というかO小に通っていた生徒全員にも)、死ぬなよおじさんがいつ誕生したのか、一介の地方公務員だった教頭がいつその任を自らに課したのか、定かではない。

死ぬなよおじさんの出没時期は明確だ。なんなら「日」や「時間」まで歴然としている。終業式の最後、縁台からの校長の演説が終わり、年中冷たい体育館の地べたに厚紙か?というほどのペラペラのスリッパで立つ教頭が締めの挨拶をする。校長先生もおっしゃったように休みの間も健康を保って夜ふかしもせずよく学びよく遊び、でも十分に気をつけてみんな……死ぬなよ。その言葉を聞いてわたしの前で体育座りをするMくん(瞳はきれいだが底意地が悪い)も思わずふきだし、会場全体が田舎臭い潮風の混じった笑いに包まれる。これだよこれ、と思いながらわたしたちは、明日からの自由な生活を想像する。

「いやあやっぱ、教頭の『死ぬなよ』がないと終業式って感じせえへんよな」
「たまに聞くからええんやよな」
「ていうかあれ以外に教頭の仕事あるん?」
「N先生は笑ってなかったよ」

90年代の小学生だったわたしたちも、その言葉が下品であることは承知していた。だが下品だからこそあの体育館は密室となり「笑えるおれたち/わたしたち」が強化されるのであり、さらには文意を読み取ればあれは「健やかに過ごせよ」ということなのだ。だからHくん(足が速いという理由でモテる)もNさん(目元のほくろとまっすぐな鼻筋が印象的な美人)もMくん(瞳はきれいだが底意地が悪い)も、というか生徒の大半が擁護派だったのだ。

「あれめっちゃ怒られとるらしいよ」

その通信社が誰だったのかは忘れた。わたしは盗んだバイクで走り出したくなった。最悪、漁協に捨てられたチャリでもよかった。言葉狩り、という言葉はまだ知らなかったと思う。

最後の「死ぬなよ」がいつだったのか、いまとなっては思い出せない。めずらしく地べたではなく壇上に立つ教頭が、とつとつとこの学校の思い出と生徒への思いを語る離任式の様子が頭に浮かぶが、きっと偽の記憶だろう。教頭は突如として似合わないスーツを脱ぎ、おなじみのだるだるのポロシャツ姿となって舞台を降りる。そして上手のマイクスタンドの背後に立つ新教頭を力で押しやり、マイクをつかんで口を開ける。カパ、という動物の音と「やめて!」「なにしてるんですか!」という大人の音がハウリングを起こすが、それには構わずに教頭の喉がふるえる。みんな、

次回の更新は1月23日(土曜日)です。

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