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Perfume、副詞、所詮人間

およそ七年前、よくPerfumeのライブに行っていた。代々木競技場、日本武道館、東京ドーム。大学の後輩や知人の知人などを誘って、東京中の大会場をめぐり、ライブを堪能し、「のっちはやっぱ変わってるよね〜」などと言いながら飲食店で飲酒をしていた。ビールで熱を鎮めながら、わたしの頭に浮かんでいたのはいつも、照明や舞台装置やプロジェクションマッピングではなく生身の三人の姿だった。

この一ヶ月間、まったく文章を書かなかった。原因を端的に言うと疲労で、もっと真実に近いのは憂鬱だ。書くという行為が虚しくなったのではない。心身の一定の健康を保つのに精一杯で、打鍵する余力などなかったのだ。

828。925。1027。数学的には正の数でも、感覚的には負の数だ。-828, -925, -1027と、満点のわからない試験を毎日解かされ、減点だけを通知される。もちろん、わたしたち一般人だけを対象にした評価ではないものの、slackやzoomを延々と眺め、ホテルや新幹線をキャンセルしてきた結果が「-1027」である。

さらにもうひとつ、孤独の問題がある。「おとなしくて手のかからない子」だったわたしは、あまりしゃべらなくてもいい人間なのだと思っていた。これ自体は正しいのものの、見落としていたのは副詞の部分だ。つまり、「あまり」は「全然」ではないのだ。

年末から春にかけて、わたしは調子を崩した。すべて「減点」のせいだと思っていた。なぜならわたしはしゃべらなくても平気な人間で、自炊にも読書にも睡眠にも、より多くの時間を割けていたからだ。それが誤りだったと気づいたのは、前回の宣言が終わり、出勤が段階的に再開され、「Suicaで」以外の会話をしたときだった。

2013年。クリスマスの東京ドームでわたしは、三人の女性が踊るのを生で観ていた。きっと何億円もかけた照明や舞台装置やプロジェクションマッピングは、生身の人間のダンスにとって彩りでしかなかった。わたしは所詮、人間なのだ。だから「他者」以上の具体性なんて、わたしには感じられないのだ。

次回の更新は5月8日土曜日です。
今回の記事は、伊藤聡氏の下記記事に影響を受けて執筆しました。https://note.com/campintheair/n/n78007b7190d9

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