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投票率90%を本気でめざす|福井県あわら市|三上ひろあき

「そろそろ、めざしているビジョンを発信していく必要があるんだよね」

5月某日。そう話していたのは福井県あわら市の市議会議員三上ひろあき氏。2021年に初出馬で当選してから、ちょうど一年が経とうとしている頃であった。よく彼が話すのは、より広い視野で見渡し、事を成すために必要な箇所に、必要なものをコーディネートすることが得意だということ。彼の中にはいつもビジョンがある。ただ、そのビジョンはとても明確だがとても抽象的で、なかなか他の人たちに伝わらない。伝わる形で言語化したり、イメージ化することが苦手だと本人も言っている。そのため、よく何を言っているんだろうか?という顔をされることも多いという。肝の部分が、各自の腹に落ちないことには、そのビジョンへと向かう推進力は激減する。そこには、私も同感である。

では、どうするか?

おそらくこの手の話に銀の弾丸は存在しない。
彼が市民ひとりひとり全員と会話し伝えるには時間もない。(そもそも、そうして伝わるのか?説もある)
だからこそ、様々な属性の人たちが、彼と話し、各々の理解を可能な限り発信していけるといいのだろうなと思う。その中には、きっと自分の中で、よりスッと理解しやすいものがあるはずである。だからこそ、この記事を興味をもって読んでくれている人には、彼と話しそれぞれの理解を発信してみて欲しい。

2025年 
あわら市市議会議員選挙 
投票率90%への挑戦

投票率90%。これは誰にとっても悪いことはない。
だが、そのはずなのに、少なくとも今はそうはなっていない。
選挙の投票率。今の政治への関心を表すいい指標ではないだろうか。
市民の暮しに直結しているはずの政治。理由は様々かもしれないが、政治への関心の低さが投票率に現れているのは言うまでもない。

市議会議員の任期4年間の集大成として、次の市議会議員選挙で投票率90%を目指すというのが今の彼のビジョンである。達成すれば、今の日本において、計り知れないインパクトだ。だがそれが逆に、絵に描いた餅に思わせてしまう要因にもなるのかもしれない。よく考えてみると、投票権は18歳以上に平等にあり、投票にお金がかかるわけでもない。投票所に足を運び、投票するだけである。当日、都合がつかない人は期日前投票を利用すればよい。具体的に見ると、実はハードルとなるような条件は限りなく少ない。つまり、実は実現可能なことなのである。それなのに、実現されていない現在。当然、根深い理由があるはずである。

2021年 
行政を体験し(知り) 
仲間を集める

2021年はとにかくインプットの年であったと三上氏。
あわら市という行政を中から知る。知るというよりも体験するという言葉のほうが近いかもしれない。驚きも気づきもとても多かった。

並行して、民間に近い感覚でアクションをおこしていける仲間が集うコミュニティも温めていった。予想以上に熱い仲間たちが集まった。しかもそこには、スピード感と当事者意識をもちあわせて、すでにアクションを起こしている人も多い。そのコミュニティの名は「あわらクラブ」。

あわらクラブの面白さは、メンバーの多様性だけではない。
よくコミュニティといえば、一枚岩になって、そのコミュニティ主体でイベントだったり、何かを行うことが多い。しかし、実はあわらクラブはそうではない。あくまでインフラである。何か成し遂げるために、アクションを起こそうとしている人に協力するコミュニティである。そのため、あわらクラブに対して、何かやってほしいと期待するのは間違いである。私の理解では、RPGの酒場がイメージに一番近い(最近のゲームでもあるのかな…)。そこで仲間を見つけたり、情報を交換したり、ときには意気投合したメンバーで何かアクションを起こしたり。あくまで主体は各々。あわらクラブというコミュニティが主体ではない。主体となっているメンバーが、あわらクラブに所属していることはあるという程度である。

2022年 
ビジョンの共有 
準備開始

そして2022年。ここからは発信が重要になる。
まずは、仲間たちへ。より近い温度感と感覚で伝わっている状態に到達する。ただ、前述したとおり伝わるところまでが一つのハードルとなる。
私としては、各々が、各々の理解を、各々の言葉で発信してくれるといいんだろうなと思う。私のこの発信もその一つである。ただ、得意不得意やスタンスもあるだろう。なので正確にいうと、そういった状態に結果的になっているといいんだろうなと思う。
それが、この先市民のみんなへ伝搬させていくときのキーになる。(という気がしている)

次は、行政へ。時間をかけてジワジワと浸透させていくという根気のいる取り組みになるんだろうなと思いながら聞いていた。私の勝手な印象だが、表向きはサクッと共有されたように見えるが、頭の中、更にいうと心の中にまで響かせるのは、かなり難しい。行政の中にいる人達は、きっと作業は人よりもできる。しかし、今回の本質は作業をすることではなく、作業を考えだすことができる人が、どれだけ生まれるかだと思う。そして、個人的にこの辺りの動向には興味がある。(どんな方法でどうしたら、結果どうなるかという辺り)

あと、準備で必要なのは、この先アクションを起こしていくための原資の確保。この先、動こうと思った時に、すぐに動ける状態であることが重要になってくる。さらに、これを持続可能な状態で保つためには、成果がともなった事業が必要不可欠。その事業も、どのフィールドで、誰とどういった建付けでやるのか。考えることもやるべきことも多い。

2023-2024
市民への緩やかな浸透

目標としてまずは、2024年選挙一年前までに準備を完了めざす。
2023年は市民の温度感を少しずつジワジワとあげていく年。知らないことには興味は持てないし、分からないことには力は注げない。あがっている声も、遠ければ遠いほど、自分たちには関係ないと逆に線を引いてしまう。お膳立てしすぎると、やってもらえるものだと錯覚してしまう。その結果、当事者意識が薄まり、最後には他人事となる。
そこを理解しながら、よく見て、すばやく動き、方向転換の意思決定も迅速にやっていかないと間に合わないだろう。もし、トップダウン的にすすめるなら。

個人的には、浸透すべきは、様々な属性のアクターがOODAループをまわして自走するための大義なのではないかと思っている。大義やビジョンに向けて、皆がそれぞれできることをやろうという空気感。悟空が地球を守るために元気玉を作るのにイメージは近いのかもしれない。

「このオラに、ほんのちょっとずつだけ元気を分けてくれ」
("オラ"は"あわら市")

最後に

三上氏は自分の役割は、何かを先導してまとめ上げることではなく、定期的なうねりを作りだすことだといっている。組織も水も同じ。同じ状態が長く続くと、淀みが生まれる。淀みは、停滞を促進し、おもしろさを欠落させる。時にはかき混ぜ、時には水を抜いて外から新しい水を入れることが重要。

俯瞰して忖度無く物事を感じとり、感じたことに対してシームレスに動ける彼の特徴がよくあらわれているなと私は思った。政治こそ、定期的に循環が生まれるべきなのかもしれない。だが、どこを見ても同じ顔ぶれのような気がする。表向きオープンを謳っている行政というブラックボックス。中からじっくりと見てきた彼の行動と言動。それらを一個人としての理解と言葉で、微力ながら発信していければと思う。

今回話して、ひとつ新たに私の中でしっくりきたことがある。
それは「まちは市民が社員である、会社のようなものであればいい」のではないかということ。会社の勤め人は、仕事に対して温度感に差はあるものの、結果的に会社の目的達成にむけて日々動いている。誰しも意識高く動ける訳ではない。得意も不得意もある。でもそれでまわっている。
まちで暮らす人たちもまた、より良く生きる、より良く暮らすという共通の目的に、日々の行動が結果的に結びついていればよいのではないだろうか。そのためには、少なくとも興味や関心が政治の一端に向いている必要があるだろう。全くの無関心と、まるでお客さんという状況からは、おそらく結果的にすら結びつかない。行政にできること、民間にできること、個人にできること、できることは探せばいくらでもあるはず。その他大勢に対してではなく、ひとりひとりに対して、まちとのタッチポイントをもつことに予算なんかが使えたりしたらおもしろいかもしれない。

さぁ、これからがおもしろくなっていくところだ。あわら市全体の雰囲気がどうなっていくのか、少し離れたところから、私も俯瞰して見てみたいと思う。

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