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コロナと家族 |濃厚接触者生活|【前編】

「完全に油断していた」
それが正直なところだ。

2022年6月某日。週末会食していた親戚からコロナ陽性の連絡。
今思えば、たしかに少し風邪のような症状がみられていた。
それでも発熱はなく、まぁ大丈夫だろう。その時は、そんな感覚でいた。

週明け、一通のLINE。会食していたメンバーに陽性反応がでたことを知る。そこで初めて、濃厚接触者になったんだと理解した。

月曜日|1日目

知らせをうけたのは夕方だった。
その日は通常通り、息子たちは小学校へ、娘も幼稚園へ。
出社していた妻と連絡をとり、今後のことを話した。
いろいろ話した気はするが、結論はシンプル。

まず、検査をして結果がわかるまでは小学校も幼稚園も休ませよう。

そして、幸いにもその日のうちに、こどもたちと私はPCR検査をうけることができた。妻は仕事もあったので、帰りにドラッグストアで抗原検査をうけた。抗原検査はその日のうちに結果が分かり、陰性。ほっと一息。PCR検査は翌日の午前中に結果がメールで知らされるということだった。とにかく、結果がでるまでは、こどもたちも大事をとって休ませることにした。

濃厚接触者にあたる、他のメンバーもそれぞれ抗原検査を受けていた。皆、結果は陰性。安堵した。だがしかし、その日の晩、その中のメンバーのひとりが発熱。抗原検査をうけたメンバーは、念の為PCR検査を受けようということになった。なんとなく、嫌な予感がした。

火曜日|2日目

こどもたちと私のPCR検査の結果がでた。全員陰性。陽性が分かった人との接触率を考えると、うちの次男が一番怪しいと思っていたのだが、病院でのPCR検査結果による陰性の知らせを受けてホッとした。妻も念の為ということで、この日のうちにPCR検査へ。だが、その途中で発熱。結果は翌日待ちとなった。この日も、小学校も幼稚園も休ませておいてよかったと心から思った。もちろん、習い事もこの日は休ませることにした。

濃厚接触者に認定された時点で、一定期間の自宅待機を求められる。
とにかく、一番苦痛だったのは自分の予定調整。
元々苦手な上に、人と合う予定を詰め込んでいたので、一件ずつ連絡し調整をお願いしていった。プログラミング教室の予定も何件かあったので、オンラインの方向とPCN武生の他メンバーへのお願いでなんとか調整がついた。こんな状況下で不謹慎かもしれないが、仲間のありがたさと、仲間の頼もしさを再認識ができたのは、私の中でとても嬉しく大きなことだった。パンデミックで世界が加速したように、状況が後押ししてくれることもある。そのためのベースはできていたんだというのが、単純に嬉しかった。

ひとまず、妻は2階の部屋で隔離生活を送ってもらうことにした。2階をしっかり片付けておかなかったことを悔やみつつ(妻にゴメンと思いつつ)、濃厚接触者生活2日目が過ぎていった。妻の結果が陰性であればよいが、そうでないケースも考えて動かないといけない。この日改めて、生涯で最大級の危機感をもった。

水曜日|3日目

この日もこどもたちは休ませた。
朝方、メールで届いた妻の検査結果。陽性。
熱でつらそうなのが気がかりであったが、結果に対するショックはなかった。まぁそうだよね、さてこの先どうするか。そんな方向に、迷わず頭は動いた。まずは食の確保。一週間分計画をたてて、食材の買い出しを実家の母に頼んだ。こういうとき、近くに身内がいるのは本当にありがたい。ここ数年で、私もクックパッド片手に食事の用意が普通にできるようになっていたのは大きかった。いざというときに、家族の他の誰かが、どうにかできるという状態はやはり大切(結果的にではあるが)。

2日目から家庭内でも常にマスク着用でこどもたちにも生活させていた。状況を理解しているというよりは、おそらく雰囲気を感じとって、皆守っていたように思う。一番下の娘はまだ3歳。それでも、兄の振る舞いをみて、真似してやっていたんだろうなと思ったのを覚えている。この先、私が感染したらこどもたちを守れない。食事もわたしはキッチンから遠巻きに子どもたちを見ながら、娘をお風呂にいれるときにもマスクのままと、できる限りの感染対策を心がけた。

この日から、少しでも子どもたちの気を紛らわせるために、夜映画を一本ずつみようということにした。この日は「ヴェノム」。最近よくやっているゲームにでてくるキャラクターらしく、見たいというこどもたちのリクエスト。意外とおもしろかった。

木曜日|4日目

4日目にもなると、こどもたちも休みを満喫するというより、退屈に感じていた。庭の草むしりでゲームの時間を延長できることにしたり、あの手この手で暇を紛らわせようとしたが、ずっと家にいるという大変さはこういうことか、と感じることが多くなっていった。学校や幼稚園に加えて、いつも助けてくれる妻の実家のありがたみが身にしみた。特に、お菓子やアイスを絶妙のタイミングで玄関の前に差し入れて連絡をくれる、義理の母には頭が上がらないと思った。こどもたちのことをよく分かっている。とにかく、ありがたいの一言。

この日の夜は「ヴェノム」の続編をみんなで鑑賞。
待機期間の生活のサイクルができてきた。

金曜日|5日目

この日は日中、改めて自分の予定を整理した。
整理してみると連絡が漏れていたところもあり慌てて連絡。

そして一息ついたときに、気づいた疲弊感。
これまで、とにかくこどもたちを守りたいということだけを考えていた。かかってしまえば、たとえ症状は軽くとも、この先後遺症という可能性もゼロじゃない。
当事者になって初めて、本当の意味での医療従事者の大変さの一片を知った。こんな状況が、何年も続いている医療従事者の方は、本当にすごいと思った。

そしてその夜、何を見るかでもめにもめた。こどもたちが全員一斉に泣き出すという、ここ数年無い自体に。2階から妻がみんなに声をかけてくれて「ゴーストバスターズ2」を観ることで落ち着いた。この日、最後に場をかき乱したのは自分だった。深く深く反省。本当にごめんよ、こどもたち、ありがとう妻。

土曜日|6日目

この日の朝、隣で寝ていた一番下の娘が熱い気がして目が覚めた。体温は37.5度。保健所に連絡し、指示の下、午前中のうちに病院へPCR検査に。ぐんぐん熱はあがり、病院では38度超え。検査後、解熱のくすりも処方してもらい帰宅。

帰宅後、この先どういう生活にするか迷った。
まだ陰性の可能性が少しでもあるなら、検査の結果がでるまでは陽性の妻と一緒にしないほうがいいのではないか。細心の注意で、2階の別室で私がこの日は娘をみようと決めたが、3歳の小さな女の子。高熱の状況で、母親を求めるのは仕方がない。そして、何より私が感染してしまったら、残された息子たちはどうするのか?そんな葛藤の結果、娘は妻にまかせることにした。

この日の晩は、アニメがみたいということで「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール」を観た。寝る用意を早く済ませて、映画をみて眠るという習慣のおかげか、生活のリズムは悪くなかったように思う。

日曜日|7日目

娘の検査の結果は陽性。濃厚接触者としての待機期間も延びた。
この時点で息子たちが検査を受けることができて、結果が陰性なら、より安全な実家に避難させるというのもありではと考えたが、今の制度上、少しでも症状がでてからしか検査は受けられない。理にかなっていないなと心では感じつつも、ごねてどうなる話でもない。結局、できることをやるしかない。

幸いだったのは娘の熱もこの日には下がり、ケロッと元気になっていたことだった。本当に軽症でよかった。熱のあと頭痛が続いた妻も、ようやく落ち着いてきていた。

そしてこの日の夜、また息子がひとり発熱。
私も少し喉に違和感を感じはじめていた。
もうひとりの息子は鼻水。これはまた、月曜に検査だな。
そう思いながら、早く寝ることにした。

(つづく)

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