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【介護体験】サービス付き高齢者向け住宅経験1年目を紹介します!

Ⅰ:在宅復帰が1年延長、母の介護生活が続く!

≪母の介護生活は?≫

 母の1ケ月の生活は、食事は施設で食べるので、2回/週のデイサービス、2回/週のリハビリデイサービス、2回/週の訪問介護のサービスを受けている。その他には、1回/月の内科診療、1回/3ケ月の訪問美容、1回/月の私との買い物・食事が主な生活です。 

 以前より、高齢者が一般的に処方される薬を飲んでいる。種類も多く、副作用もあるので、注意することが大切であると思います。診療所には、できる限る薬の削減をお願いしています。今回の転倒も薬の影響もあると思えるからです。

◆薬の飲み方で暮らし方に影響がでます?

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Ⅱ:在宅復帰が1年間延長で私の遠距離介護が始まる!

≪遠距離での対応内容ですが?≫

 私は、自宅から、バス、在来線で40分、新幹線で1時間30分以上、さらに、在来線に乗り換え55分、バス又は車で30分程度の移動時間で約4時間程度はかかる、また、その当時の私の仕事は全国を飛び回り、特に毎週東京への出張が多い仕事でした。何かあっても、すぐには、母の元にはいけない現状だったのです。

 一般的な毎月の行動は、毎週土曜日6時45分頃に、母の携帯電話に必ず電話をして1週間の母の話を聞くようにしています。同じような話がよくあるのですが。必ず返事なり、相づちをしています。

 毎月1回は、母のサービス付き高齢者向け住宅へ訪問、自宅の空気の入れ替え、掃除等の実施(1泊2日:土日を活用)、昼飯は母のサ高住にて、夕方は一緒に1)買物2)夕飯食べるよにしていました。

1)買物内容:・季節の洋服等(入居に合わせて自宅の服は処分:入院で約10㌔体重が減った)
・日用品:ティッシュペーパー、トイレットペーパー、掃除道具、歯磨き関連等
・食べ物:お菓子、果物、インスタントコーヒー、フリカケ、調味料等
・デイサービス等で使用する:クレヨン、絵の具、折紙、のり、半紙等である。
2)食事環境:・テーブル席、トイレは洋式、あまり騒がしくない
2)メニュー:施設で余り食べないもの、焼き肉、ラーメン、回転寿司、中華料理等

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 翌日は自宅で朝食後母のところでゆっくりしたのち、大阪の自宅へ帰ります。帰りは、大体17時頃になる生活です。移動時間は、私の自由な時間なので読書、飲酒等をしながら楽しむようにしています。介護は何処かで、ストレスを発散することが大切と思います。各自で見つける必要があります。

 既に1年以上この生活スタイルを続けています。時には、1)一緒にお墓参りに行きました。サ高住からの一緒の外出も大切と思います。

1)お墓の掃除と管理:(お墓の管理会社より、掃除道具は借りました)
① お墓のある区画の清掃落ち葉集め、雑草の除去をする。
② 墓石の水洗いは、スポンジに水を含ませて洗います。
③ 墓石を洗剤で洗うまでは、ほどんどありません。
④ 小物類は、花筒や線香皿等を洗います。
⑤ 拭き取りは、乾いたタオルで拭き取ります。
※時間は短く、母の足に負担がないよう配慮をしていますが、いつも喜んでくれます。
墓参りもできる限り行きたいと思っています。

お墓参り

Ⅲ:施設入所後の主な出来事を紹介します!

≪叔母の入院連絡がありました≫

 
 母の唯一の身内である叔母(妹)は、母が入所6ケ月頃には、お見舞いにいきたいと電話して来るほど元気であったが、その後、胃がんの再発で入院するとの連絡が叔母自身よりあった。母は、お見舞い行きたがった。

 どうにか、お見舞いをさせてやりたいので、体力の回復がまだ十分ではない母の、長時間の移動は、体力的にも、精神的にも、負荷がかかるので、十分な準備をする必要があった。

 連休を利用して、車移動で2時間計画をし、その準備をしていきました。高齢者は水分を多くとる必要があるので、移動途中でのトイレの確認が一番大切である。また、トイレが和式はダメなので、洋式先の確認(休憩先)、食事先、等の選定、行動を計画化しました。

 その他、携帯品として、お水(水分関連)、何かの為のオムツ関連、着替え等も事前に準備した、もちろん一般的なお見舞い関連は事前に準備しました。車はレンタカーで乗り降りの際に足、膝への負担が余りかからない低床スライドタイプにしました。

Ⅳ:面会(お見舞い)交流ができました!

≪母の姉妹へのお見舞い≫

 叔母も一人暮らしで、家族は私同様に遠距離でした。今回の入院では、地元の病院では、家族が定期的看病ができないので、家族のいる、町まで、約3時間かけて、転院していました。

 過去には何度か入院をしていましたが、今回は、難しい病状でした。やはり、本格的な看病となると本人の慣れた地元から、遠く離れた、家族居る町へ移動せねばならなくなります。最後は、やはり、家族の見守りが必要なのです。

 電話では元気であった叔母が、母がお見舞いに行った時には、ベッド生活で、食事もままならない状態でした。症状は大きく変わっていました。

 母は、手をさすり、足をさすり、髪をとき、会話はほとんどできない状態でしたが、姉妹の確認と情を確かめ合っているようでした。

 約2時間程度滞在して、名残惜しくその場を離れました。もう、最後の別れになるとの思いが母にはあったと思います。帰りの車は、お互いに静かでした。簡単に夕飯をとり、施設まで送りました。

 今回は、あえて多くを語りませんでしたが。半年前は、母も、同じような危険な状態でした。なんとも言えない気持ちでした。

伍:大切な叔母が亡くなり、母は葬儀に参加しました!

≪母の姉妹の葬儀に参加≫

 1ケ月後に叔母は亡くなりました。母の身内はいなくなりました。葬儀は、地元に帰らず、子供たちが住んでいる町で親戚が集まっておこなわれました。

 今回は、安全に配慮しながら自宅に戻ってもらい、喪服に着替え、準備し参列しました。親戚との久しぶりの会話では、私の従兄弟関係が主で、親戚も親の代から、子供、孫の代に変わって、お互いに遠距離にいる関係もあり、会う機会も少なくなり、だんだんと昔のような親戚関係は薄くなっていくようでした。核家族化で、葬儀ぐらいしか会わないようになっています。 

 葬儀の帰り、母より、ぽっんと、『兄弟姉妹がいなくなり、ひとりになった』と言われてしまいました。母は5人兄弟姉妹です。『子供も孫もいるではないですか』と言いましたが、私達は、遠距離に居て、簡単には会えないのです。なんとも、言えない気持ちでした。

 人は、年齢を重ねると、別れが多くなります。

Ⅵ:地域の包括的なケアで助かる昔の職場の友人、近所の友人の存在は大切と思います!

≪皆様に感謝しています≫


 自宅の近くの施設に入居しているので、近所と友達もよく遊びによくきてくれています。母が元気な頃は、旅行等を一緒によく行っていた仲間の人たちです。

 昔の職場の仲間の人も遊びにきてくれているようで、漬物、お菓子、庭で取れる果物等が部屋には沢山ありました。私も、近所へは、挨拶をしたり、お礼に行ったりしています。

 私より、頻繫に、訪問してくれている友人の方々に、本当に感謝しております。地域で見守っていただいております。年齢を重ねても、地域との繋がりを持っている母です。

 皆さんに、大いに感謝しています。いろいろあった、1年目でした。今後も続きます。ありがとうございます。

仲間で食事

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