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ジャクソン•ブラウン My Opening Farewell

私の好きな70年代のミュージシャン達は今はもう高齢なので、どうしても訃報が続きます。ずっと頭に残っているのはクリスティン•マグヴィーの訃報で、もう一年以上経つのに、彼女の「ソングバード」を街でよく耳にするからです。この曲はそんなにメジャーだったの?と不思議に思いつつ、亡くなってからその人を象徴する曲が広まっていくのは、寧ろ素敵に感じます。

今も健在だけど、もし亡くなったら、個人的に一番悲しいミュージシャンは、ボニー•レイットとジャクソン•ブラウンです。

年齢がひとつ違いの二人は、もう70代ですし、私も、もう40年以上もこの二人の曲を慕ってきました。

ジャクソンブラウンの1stアルバムのラストに「マイ•オープニング•フェアウェル」という曲があって「はじまりに続くさよなら」といった意味でしょうか。
ボニーがこれをカヴァーした関係で、後に二人がデュエットした映像(↓一番下)は、とても感慨深いです。

「フェアウェル」という言葉は「グッドバイ」より古風な響きがあってグッドバイはGod be with youという神があなたと共にありますようにの短縮形で、別れる際に神様の加護がありますようにという言葉です。

フェアウェルは「立派にやっていきなさいよ、しっかり旅路を歩んでいきなさいよ」と相手を送り出すような言葉です。

(歌詞)
汽車は毎日 どちらの方向にも去っていく
そこには きみも知ってる世界があり
そこにもまた進む道がある

きみはまもなく旅立つけど
それはいい機会なんだ
これが僕の
はじまりに続くサヨナラなんだ

ジャクソンブラウンは後にインタビューで、この曲について、こう述べています↓

レコードを作るのは本当に辛い作業だ。自分が何者かを突き詰めることを、一番あと回しにして、それ以外のことをしてしまう。僕は彼女との関係を利用してそのことから逃げていたんだ。あの曲は、彼女が別の場所に行きたがっていてそこから去りたい、先に進みたい、と思っていることに気付いしまった瞬間を歌ってるんだ。
スタジオでレコーディングしていて、僕らは近くの古いホテルに宿泊していたんだ。その近くを汽車が走っていた。つまり「汽車が毎日 両方向に走っていく」というのは、僕らがどちらかに進むことができる、ということなんだ。僕らは自分達の関係にもがいていた。僕はレコーディング中の身だったにもかかわらず、内心は、彼女と一緒にいたいと思っていたよ。

ポール•ゾロ著 「インスピレーション」 

つまり、音楽の創作に身が入らないから、お互いの成長のために離れよう、それはそれぞれの始まりであって二人のさよならなんだ と言っているようです。
彼女と一緒にいたいと思っているのに別れるって、どういうことなのだろう。凡人の私には分からない。ミュージシャンが自分を突き詰めるためにはアリなのだろうか。次に進むため?発展的解消?

両方向に汽車が走っていく風景を見て、グッドバイではなくて、それぞれの旅路を行こうというオープニング•フェアウェル(はじまりに続くさよなら)という言葉は、ミュージシャンらしい抱負と決意を含んでいるように感じます。

ジャクソン•ブラウン 1st

70年代のボニー•レイットは、アルバムに一曲はジャクソン•ブラウンの曲をカヴァーしてきました。その選曲やアレンジが素晴らしくて私がボニーレイットを好きになった大きな理由でもありました。

マイ•オープニング•フェアウェルは、元曲であるジャクソンの曲は、内省的で弾き語り調なのに対して、ボニーのカヴァーは朗らかに歌い上げています。他のジャクソンのカヴァーにしてもそうなのですが、内省的に深遠な調子で歌うジャクソンを、ボニーがカヴァーで盛り立て応援している様に感じます。
熱いハーブ演奏の「Under the falling sky」(2nd)や、リトル・フィートサウンドな「I thougt I was a child」(3rd)も、ジャクソンブラウンの曲を歌うボニーは素晴らしいのです。

二人が若き日に、デュエットで「マイ•オープニング•フェアウェル」を歌い終え、最後にそっと手を合わせるシーン↓をみると、売れてなかった二人が、それでもコマーシャルに走らずに良い音楽を求め続け、支え合ってきたのだろうと思えます。

一度も恋仲にならずに
ミュージシャンとして自立してきた二人
自分をつきつめるため
現実をつきすすむため
幾多ものオープニングフェアウェルを
乗り越えてきたのかもしれません。

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