見出し画像

ジェイムス•テイラー 想い出の町

1984年頃の学生時代、私レンタルレコード店でバイトの店員をしていました。その頃、私とバイトの相棒の先輩が「ヤマハの姉さん」と名付けていた女性がいて、同じビルの五階のヤマハ音楽教室のスタッフさんで、私と歳が近い感じです。よくビル清掃のことで連絡に来てくれるので顔見知りでした。

Her Town Too 「想い出の町」1981年
ジェイムス•テイラー& J.D.サウザー

彼女の町でもある というこの曲を聞くと、ヤマハの姉さんの事を思い出します。

レンタルレコード店は、駅前ロータリーの角地のビルの地下にあって、周囲は雑然とした界隈です。
ビルを出て左手に廻ると、暗くて狭い立ち食いうどん店があって、とても入る気になれないのですが、ある日時間が無くてやむを得ず入った時、店の壁の奥から音楽の低音がズンズンと店内に響いてくるではないですか!
あちゃー、この真下ってうちの店?怖くて入れないと思ってたのにウチから不気味な音を提供していたとは…。

ビルを出てすぐ右は、少しだらしない身なりのおじさんがやってる、やる気のないタバコ屋さんで、隣のビルの持ち主です。
ある日突然店じまいして、ついに引退かと思っていたら、その後新装オープンしてクレープ屋さんに変身したのです!そしてそのタバコ屋のおじさんがクレープを作ってるではないですか!?あちゃー、おじさんが作るのかー。鼻毛ちゃんと切ってよね。

立ち食いそばの隣は八百屋さんで、ご夫婦がいつも店頭にいました。駅前なので人が絶えず賑やかで、夜遅くまで店を開けていました。毎晩忽然と灯りを灯した八百屋さんは、いわば駅前ロータリーに輝く月でした。

八百屋の隣は、和風な佇まいの鰻屋さんで、そこそこ有名なお店らしく店内も綺麗でした。私は二回独りで入りました。何か特別にイイことがあった時だったと思います。

ある日、バイトのシフトに入る前に、向かいのファストフード店に行くと、ヤマハの姉さんとレジ前で顔を合わせました。「あら、こんにちは」「これからお仕事ですか?」店内は狭く、同じテーブルに座って、私達はビルの周りで起きている日常を、面白おかしく話して笑い合いました。「あのうどん屋はヤバいと思ってたらウチの騒音がしててさ…笑」「私もあのクレープ屋さんでは食べたくないわ…笑」彼女は、聞き覚えのある音学大学の学生さんで、アルバイトとして勤めていました。その話し方や佇まいは、駅前界隈の雑然とした空気の中では特異で、可憐でした。

それからは、私は彼女と話す機会を心の中で求めていたと思います。彼女はレコードを借りに来る事は無かったし、ましてや地下でガンガンうるさいロックとは無縁な人だとすぐに分かります。それで、ある日ビルの回覧物を階上へ持っていく際に彼女の事を思い出し、私は1.2.3.4階の回覧をすっ飛ばして五階へ持っていき、ヤマハ音楽教室の入り口ドアを開けて、中へ入りました。

彼女は数名の方々と一緒に歌を歌っていて、私に気づいてこちらへ歩いて来ました。
「こんにちは(笑顔)。なにか?」「回覧持ってきました、下の階、飛ばしてます(笑顔)」「ご苦労様です(笑顔)」彼女はファストフード店で会った時よりも可憐に見えました。

それから何ヶ月か経ったある日、彼女がレンタル店に来て「私、音楽教室を辞める事になったのでご挨拶に…」と言いまして、私は驚いて店長にレジを任せて、入口でもう少し話しを聞きました。彼女も私を気にしてる様に思えました。彼女には弟がいてサッカー部をやめて今はやりたがっているという話は以前に聞いていたので、弟君を私のチームの次の日曜のゲームに誘う様な話しになって、それでなんとか関係を繋ぎとめたような変な形でお別れをしたのです。

その弟君が、サッカーに招いた翌日に店に来て、お世話になったからと言って新しいサッカーストッキングを私に渡しました。一度参加しただけで、わざわざ贈り物をするのはお姉さんの気持ちなのではと思ったのですが、あっという間に弟君は帰っていきました。

会う理由が足りなさ過ぎて、時は過ぎました。私はひとりでファストフード店に行って、空想をしていたと思います。二人で再びここで会話をし、親しくなって二人で向かいの鰻屋さんで一緒に食事をするという空想を、していたと思います。

それからしばらくしてレンタル店は閉店し、
私もこの町を離れました。

ほんの狭い界隈と、ほんの狭い駅前のビル。小さなビルの中で、うまく交わることが出来なかった存在と音楽。
そこが私の想い出の町でもあって、
彼女の住む町でもありました。

彼女がその後もその町で住み続けたと知ったのは、それから15年後、彼女が偶然にも私を見つけてくれたからなのですが、少し悲しくもある再会でしたので、この話は、これでおしまいです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?