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⚽️三笘薫と中村憲剛

今話題の三笘選手は、川崎フロンターレのジュニアユース出身で子供の頃から抜きん出た存在だったようです。元川崎フロンターレの主将、中村憲剛も、同じクラブの期待の少年をずっと見てきたとのこと、この写真で7番をつけてますし、ジュニアユースのエースだったのでしょう。

少年三笘君は青年となり大学卒業後、川崎フロンターレに入団し、1年目から大活躍します。そして中村憲剛も40歳にもなり引退が近づいてきました。

それまでの、中村憲剛は、川崎フロンターレの中心選手でありながら、優勝経験がなく、準優勝がなんと8回、あと一歩の呪縛から逃れられず、シルバーコレクターと言われていました。↓とても気の毒でしたね。

しかし、2017年、悲願の初優勝を遂げます。それ以降、川崎フロンターレの黄金時代が始まり、中村憲剛は安心して引退を表明することになるわけです。
↓この頃は、チームが強すぎて余裕で勝てるので、ゴール後のパフォーマンスなんかも色々考えて遊んでいました。↓ ゲッツのモノマネ。

そして、↓の動画が今回の目玉です笑
川崎フロンターレのスポンサーの一つであるスーツメーカーさんの営業イベントでの2人の寸劇です。ちょうど、三笘選手は海外移籍する半年前、中村憲剛は引退直後の頃かな、新人三笘が大先輩中村憲剛を「ゴール後のパフォーマンスなんか考えなくていいですから!」と、ドヤしつけていて笑えます。

三笘選手、スーツ姿もまたえらいカッコいいですねぇ。寸劇の冒頭「二億円プランですね!わかりました!」と言ってて笑えますけど、この2年後に、自分が数十億円価値の存在になってるとは、この時は、思ってもいなかったでしょうねぇ。

今、三笘選手は海外でも、かなり高いレベルにいます。彼のいる英国のリーグは、近年世界最高レベルにあり、その中でも彼が所属するブライトンはリーグ上位にいて、MITOMAはチームの重要なアタッカーとして貢献しているからです。

さて、中村憲剛、彼は話しが上手な人です。スポーツ選手で、ここまでトーク力があり、言葉を的確に使える人物は稀です。ぜんぜん受け答えがつまらない森保監督や、次期代表キャプテンであろう遠藤航選手には学んでほしいです。

川崎という街は、読売クラブが川崎ベルディに無理やりなったとか、複雑な過去があり、なかなか地域にサッカー人気が定着しませんでした。しかし、選手達が商店街で営業活動をするなど地道に地域貢献活動を続け、人気が定着していくのですが、そこで、球団の顔である中村憲剛のような人物が、スポークスマンとしての役割を担っていたことが、非常に大きな成果を生んだと私は思います。彼の挨拶の言葉や訴求する言葉は、プロスポーツ選手的ではなく、頭の良い大学卒のふつうの社会人的なので、一般の生活者とトーンが合い、大衆に好かれ、いっきに親交を深めていく力があります。

もともと、彼のキャリアは異色でした。都立高校、中央大学文学部、大学サッカー部では、関東リーグの2部でしたから、プロからお呼びがかかるわけもなく、ところが、川崎のスカウトの部長?だったか権限を持っている人が、なんでもない大学生の彼を取ると言い出して、スカウトチームのメンバー全員が他の選手を推すなか、結局、部長権限で中村憲剛を獲得します。他の球団にもまったく候補にもならなかった大学生を取った着眼点が凄かったということでしょうけど、それにしてもシンデレラストーリーのような話です。

雑草から這い上がってきた中村憲剛が、何年もかけて、この不人気球団を救い、何度も優勝を逃しながらついには頂点に立ち、その優れたクラブから、三笘薫のような金の卵が生まれた…
中村憲剛という雑草と、三笘薫というダイヤモンドが、手を繋いで入場してくるこの一枚の写真は、この球団の苦労の歴史と、輝く未来というふたつの象徴として目に映ります。

ジョニーニョ

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