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エクス・マキナ 検索エンジンの薄気味悪さ

AI vs.人間のサイコスリラー

世界最大手の検索エンジンで知られるブルーブック社でプログラマーとして働くケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、滅多に姿を現さない社長のネイサン(オスカー・アイザック)が所有する山深い別荘に招待される。
しかし、人里離れた別荘を訪ねてみると、そこで待っていたのは女性型ロボットのエヴァだった。
ケイレブはそこで、エヴァに搭載されるというAIの実験に協力することになるが、美しいエヴァに心を奪われてしまう。
平たく言うとAI vs.人間のSFサイコスリラーという枠組みで描かれるが、本質はかなり哲学的な映画。
それを裏付けるシーンとしてはたとえば検索エンジンの社名である「ウィトゲンシュタイン」が書いた哲学書「ブルーブック」についてや「ジャクソンポロック」のアクションペインティング絵画などで語られるのだがここでは省略する。
それはかなり難しいテーマなので解釈は人それぞれかもしれないが、人間のコミュニケーションにおける言葉や思い込みの危うさ、みたいな事ではないだろうか。

美しい女性型ロボットのエヴァ


現代において検索エンジンを使わない日は多分無いと思う。そして検索エンジンは我々に一番身近なAIといえる。
この映画に出てくるエヴァのAIのベースになるのも検索エンジンの膨大なビッグデータ。人格形成としては膨大な経験値が蓄積されているのだ。

さて、我々は毎日知りたい事を検索するわけだが、ヒットする情報は正しい事か間違っているのかは分からない。信用するかしないか決めるのは自分自身。そしてある意味間違った解答であふれている。

ケイレブはエヴァに心を奪われてしまう


エヴァの人工知能が検索エンジンがベースだとすると恐ろしい。
もうひとつ、エヴァの形の考察があり。簡単に言うと人型である必要があるのかという事だ。
人型である以上、男なのか女なのかという性別が出てくるし、そもそもAIが人型である必要性はあるのかどうか。

主人公のケイレブはエヴァに対して好意を抱くが、造形が女性であり自分の好みであったりするからだ。
そして、好意を抱いてしまうと人間は思い込みや勘違いが起こる。
この辺りがこの作品の大きなテーマになっている。

ネイサンが作っているAI搭載ロボットのプロトタイプもすべて女性の形をしている。なぜ全て女性の形をしているのか。映画を見て考えてみるといいだろう。

ネイサンの作る美しい女性型ロボット


今、既存の検索エンジンはユーザーの検索を学習し、インタラクティブなコミュニケーション(嗜好性に対応した商品のお勧めなど)をするところまで来ている。
ただ感情は持たされていない。
AIの開発は急速に進んでいるのだが、その時人間の嗜好性で人型の造形にしたり、喜び、悲しみ、怒りなど人間の感情を埋め込んだりすることは、我々が人間である以上、思い込みや勘違いが起こり非常に危険だ、ということをこの映画は警告しているのではないだろうか。
監督はアレックス・ガーランド。
第88回アカデミー賞で脚本賞と視覚効果賞にノミネートされ、視覚効果賞を受賞。

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