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夢を見る

悪化していた腱鞘炎も少しずつ鎮まり、リハビリを兼ねてリースを作りました。

使い慣れない左手で、これを仕上げるのに1時間以上かかりました。

ワイヤーできつく縛れず
多少ゆるゆるに。

けれども久しぶりにしっかり手を動かせました。


半年程前から吊り下げていたドライフラワーと、下半分はヒムロスギとブルーアイスです。途中何度も休憩を取りながらの作業でしたが手を動かせた事が何より嬉しく思えたのでした。


さて、この日は友人が遊びに来ていて

「昨日凄く変な夢を見てさ」

友人のこの言葉に、立ち止まってしまったのです。

まったく普通の、なんて事の無い会話でしたがこの日初めて、夢は見てるの?体験してるの?

と、思ったわけです。

視覚的に見ているのとは違う、何だかとても不思議な感覚を夢に対して持ったのです。

なんで「夢を見る」と表現するのでしょうね。変なところに引っかかってしまいましたが、確かに友人の見た夢は、変な夢ではありました。


ネイティブアメリカンの考え方に、ドリームタイムというものがあります。

それを夢時間、日常レベルとは別の次元、別の時間の流れが存在する別の空間、と彼等は夢を捉えているようです。

これから起こるであろう出来事を別の空間で体験したり、予知夢の様な形を取って事前に体験しているのだと。

または先祖や自然界の霊体とのコンタクトが、違う形として現れる場所…の様な捉え方です。

自分自身を自然物のひとつと思うなら、この様な考え方はとても自然な事の様にも思えます。晩秋から葉を落とす木々に新芽が芽生えて来る事と、亡くなった人でさえ生き生きと夢に現れるのとでは何が違うのでしょう?

夢は私にとっては不思議であると同時に、懐かしさもそこにはある様に思えています。

殆どの場合、睡眠というのは休息のためなのでしょうけれど、懐かしい空間への旅も休息の一つと思うなら、ネイティブアメリカンの伝承にある様な、別の時間が流れる別空間で、心休まる懐かしい場所へ旅をしている。というのも

夢の形の一つ。と思えたのでした。


ところで、母が癌を患い入院していた時のことです。眠っている母のベッドの横に腰掛け私もウトウトしていた時に、母の眠るベッドから、無数の蝶が空へと飛び立って行く…という夢を見て、母は多分助からないな…

と、感じた事がありました。

あまりにも美しすぎる光景は哀しみを覆い隠し、同時に2つの感情と、2つの世界があることを、その時、感じました。哀しいという表立った感情だけではない、何か別の感情が芽生えてはいましたが、それを言葉にするのは
とても難しいと思います。

また、これから母が向かうであろう場所を知れた様な気持ちも持てました。


地球から見上げる瞬く星の数々も、その幾つかは既に消滅していて、けれどもそれを眺めているという世界でもありますから。

解けない世界があるというのは素晴しい

言葉にならない感情があるのも素晴らしい

その数々は多分、こちら側では形を持てないものと思えるので。


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