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退団宣言

「わかった」
 そう聞いて、ホッとした。
 でも次の言葉でギョッとした。
「次の公演は君をヒロインにする」
「は?」と、喉まで出かかったのを飲み込んだ。
 ああ、だめだ。
 やっぱりこの人は何もわかってない。
「いつも瀬菜がヒロインって正直マンネリ化してきたし、君も入団してもう三年になるよね。実力は十分だと思う」
 思うってなんだよ。あんたが決めるんだろ。なんで断定しないの?
 カフェラテを一口飲んで呼吸を落ち着かせる。
 円満に、円満に。
「佐藤さんは」才能ないと思う、じゃなくて。「私が、なかなかヒロインやらせてもらえないから、辞めたいって言い出したと思ってるんですか?」
「役者として、主役を演じたいと思うのはすごくいいことだよ」
「……」
「最近は脇で主役を支えたいとか、センターより個性派的なポジションにつきたいみたいな奴多いからさ。別にいいんだけど、ホントに? って思ってるんだよね。主役になれる自信がないからそう言ってるだけで、ホントはやりたいんじゃないの? って」
 ホントに? とは私も思ってる。ホントに、この劇団が飯食えるレベルになっていくと思ってるんですか?
「いろんな感情体験できるし、一番経験値入るのが主役だからさ。お客さんの目に長く晒されるってのも大事だし。みんなやりたがるべきなんだよ、主役」
 話が長い。
 今この人の考えてること、手に取るようにわかる。
 私が辞めたがってるのはヒロインが回ってこないせいじゃないってことは――それも無関係とは言わないけど――薄々気付いてる。核心を突かれるのが嫌で、舌を回すことで時間を稼いでる。あわよくば、このまま話題を逸らし切って煙に巻こうとしてる。
「あー、逆に、脇役でしか学べないこともあるからなあ。そう、そうなんだよ。見落としてたわ。そういう意味じゃ瀬菜にも悪いことしたな」
 瀬菜さんは美人で、佐藤さんの彼女。
 鼻っ柱が強くて、誰も逆らえない。殺陣のうまい女優って触れ込みになってるけど正直トロいと思うんだけど口が裂けてもそんなこと言えない。私もトロいし。
 座長の彼女が正ヒロイン。ハタから見ればステキな劇団なのかもしれないし、私も入団した頃はそう思ってた。この世界にありがちなコソコソ乳繰り合うやつじゃなくて公認なのが良かった。
「あっ、来た! いま完全に降りてきた」
「何がですか」と聞くしかない。
「佳子のヒロインのイメージ、一瞬で固まった。すげえ。やれるじゃん、ヒロイン! いやー、今までもったいないことしたなあ。気付いてあげられなくて悪かった。帰ってすぐ台本書くわ」
「楽しみにしてます」と言えば、すべて丸く収まるのだろう。
 他の子ならいざ知らず、私は瀬菜さんに嫌われてない自信がある。そんなにピリピリしないはず。ついに初ヒロインですって言ったら、家族や友達も喜んでくれるだろう。
 円満に、円満に――

(楽しいことがないわけじゃなかった)

 ――でも、辞めるのは確定事項。絶対に譲らない。
「ごめんなさい」
 佐藤さんがぐっと黙る。
「キャンツリに入りたいんです」
 劇団キャンディーツリー。小劇場から商業にステップアップした稀有な例。
「……キャンツリって、入団試験あるよね?」
「はい」
 養成所に入るのは難しくない。一年通って、卒業公演で成果を認められたら、団員になれる。
「……じゃあさ、もし、もしだけど、だめだったら、また戻っておいでよ。いつでも。待ってるから」
 笑いそうになってしまった。
 止めないんだ。いや止められても困るんだけど。
 優しさのつもりですか? キャンツリのお下がりでいいんですか? あんたのとこよりキャンツリがいいってハッキリ選んだような奴を舞台に立たせるんですか?
 言おうか。もうこの際。
 辞めたい理由は、そういうところ。
 場当たり的で、雑。強い意志も明確なビジョンもなく、人気劇団の批評ばかり得意で、どうすればあの人たちと肩を並べられるのか、戦略らしいものは何もない。良いものを作ればいつか売れると信じてるくせに、脚本の〆切すら守れない。演劇よりアニメやゲームの話題のほうが盛り上がる。
 実は、キャンツリに入りたいってのは嘘。憧れてた時期もあったけど、もう年齢制限ギリギリ。私より若い子たちが遥か高みにいる。実家に帰ろうと思う。
「佐藤さん、そんなこと言わないで、キャンツリ追い越してくださいよ」
 ああ、冷たいな、私。本当のことを言ったほうが佐藤さんたちのためになるはず。でも、情報を渡したくない。このまま沈んでけと思ってる。
「今までありがとうございました。お世話になりました」
 カフェラテ代は払ってもらい、店を出る。
 空が高い。もう秋だ。
 未来は何も見えないけれど、足取りはずいぶん軽くなった。

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