限定品と転売

スポーツブランドの新作スニーカー、協賛企画の限定品など重要と供給がアンバランスな物を購入してお小遣いを稼いでいる、というような話は昔からある。

いつだったかそういった品の企画に携わったであろう人が「転売ヤー良い加減にしろ!」みたいな内容をSNSに投稿しているのを見た。欲しい人が買う意外は許さん、的な意味なのだろう。しかし数量限定とかで煽って売るような売り方をするからそうなるのであって、そうなりたくないのであれば販売方法を買えるべきだと思う。手にとれば理解できる企画の良さが売りなら、ひっそり市場に溶かし込んで販売し、客は勝手にそれを感じ取ればいい。数が足りず取り合いが起きるならば欲しい人に行き渡るだけの十分な数量を生産すれば良い。製品の魅力を大きすぎる声で語ったり、数量限定であることで消費者の心を刺激している限り、煽りの効力は自分達の手を離れてもある程度持続する。価値は消費者が感じるものであり販売者が与えるものではない。

転売を生業にしてる人が転売するためにする購入するのと、消費者が着るために買う、のはどちらも同じ[欲しい]である。売るために買う人、着てから売る人、着れなくなるまで着る人、着ないでとっておく人、どれが素晴らしいとか、嫌らしいとかはない。全て同じだ。そこに善悪や優劣の考えを持ち込むのであれば市場に参加してはいけないと思う。

美術館に飾られた著名な画家の絵をありがたい物として見れるのは、絵の内容どうこうもあるが、転売が繰り返されて一般人には到底手の届かない価格になっている、という事実が根底にある。

良い物は転売が繰り返されて市場価値が上がっていく。そういったもの憧れるという行為には慣れ親しんでいるのに、商品を提供する側になると、購入する当事者になると全く違う視点になってしまう人がいる。「これがあの有名画家の絵かぁ。」という感嘆の成分表には金銭的に測った魅力がしっかりと含まれている。そういう物の見方をしていることに気付かず仕組みを無視した感情の話を始める人は少なくない。

一度でも売ろうと考えた時点で走る位置が先頭でも最後尾でも同じビジネスマンである。そういう自覚があれば、自分が特別だと思っていなければ、販売の方法にも売った物の後先にも口を出そうなどとは到底思わないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?