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大学入学④ 学生相談室その3 カウンセリングと休学

カウンセリング、カウンセラーとの出会い。

記憶が朧げながら、辿ってみると、最初はカウンセラーが目を瞑り聞いてるんだから聞いてないんだかよくわからない中話をしていくなか、

寝てるんですか⁉︎

と聞いたこともあったような記憶が。

ただ、小さな熊というかずんぐりむっくりとした男性のカウンセラーで、あまり警戒心を抱かず、自分の思ったこと、感じていることなどを話していった記憶がある。

そして、話進めていくうちに、このまま大学に残って、なんとなく流れに乗って学生生活を送ることにすごく抵抗があることから、大学を辞めようかとも思ったのだけれど、ひとまず休学してみようかという考えを持つようになった。

それは、別にカウンセラーに促されたわけでもアドバイスされたわけでもなく、人に話を聞いてもらいながら自分の頭で考える…という形をとることが、はじめての経験で、自分で自己決定してる感もありつつ、誰かに話を聞いてもらうという自分を受け止められてる感があり心強いというか、安心感のようなものもあったかもしれない。

休学というのは、一旦学校から離れてみて、流れから離れてみて、やっぱり学校に行かないのか、それでも行きたくないのか考えてみるということからの休学で、距離を置いて考える、冷却期間というか、自分がどうしたいのか考える猶予期間を取るとともに、大学に戻る選択肢も残しておくという選択だった。

そして、そのカウンセラーは、身体感覚に焦点をあてて問題にアプローチしたり、その人らしく生きたり、自己決定したり内省するという、ある心理学の技法が専門であり、相談室のやり取りの中で、少しそのようなアプローチをされることがあり、そこで感じた、生まれてはじめてあまり頭で考えずぼーっとしていられる感覚や、体の感覚に焦点をあててみるという体験が、当時の自分には新鮮に感じられ、また、話を無条件に無批判に聞いてもらえるというそれまでの人生になかった経験から、その相談室での対話の時間は自分にとって心地よく必要なもののように感じられ、そのカウンセラーからその技法を用いたカウンセリングを受けることにした(それを決める前に、その技法がどんなものであるか参考図書を教わり、その本を読み、納得して受け入れてカウンセリングを進めるという形)。

今考えると、その技法自体には深い興味や関心があったわけではなく、また、その技法を取り入れる中でもなんだかうまくいかなかったりよくわからなさはあったのだけれど、来談者中心ということで、あれこれ根掘り葉掘り聞かれたり、しゃべったことに批判的な発言をされたり否定されることなく、自由にしゃべれるという対話や面談の時間というものが、自分には心地よかったり気に入ったり必要としていたように思う。

そんなわけで、それから、大学を休学することと、学生相談室でのそのある技法を織り交ぜたカウンセリングを受けることを決め、また、そのことを親に告げることになる。

そこでの体験経験や家族との対話会話は、それまでの自分の人生になかった、ある種レールから外れたり、自分の意思でなにかを選んだり決断することだったり、本音や本心を親や家族と話すという、転換的で、自分にとっては大きなものだった。

つづく

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