見出し画像

【解説】今川焼き?大判焼き?いや,御座候!アレの解説!【民俗学】

みなさんは、「小麦粉をメインとする生地に餡を入れて、金属製の焼き型で焼き上げる和菓子」の名前をなんと呼称するでしょうか?
今川焼き?大判焼き?いやいや、御座候…などなど
終わりなき戦いが起きそうな話に展開しますが、では〈なぜ、同じ和菓子の呼び方にこれほど違いがあるのか〉気になりませんか?

今回は、そんな【アレ】の呼称の歴史について紐解いていきます。
めくるめくめぐるの世界へようこそ、書店員VTuber諸星めぐるです。

アーカイブはこちら▼


今川焼きの呼称の歴史

始まりは「今川焼き」

まずは、落ち着いて聞いてください。
「アレ」のルーツと考えられている【アレ】は1777年の『富貴地座位』江戸名物菓子之部に「今川やき 那須屋弥平 本所」の和菓子として登場します。

ただし、姿味不明です。ここ大事。

このため、今川焼きの由来は神田今川橋近くのお店だったから説があります。

この後、幕末の今川焼きは、くぼみに入れて炭火で焼くだけのもの(小豆入ってたか不明)であると考えられています。
このあたりでみなさんがイメージするアレの姿形に近づいているわけですが、原初のスタイルが不明である以上『ルーツだから、今川焼の呼称がふさわしい』と結論づけるのは禁物です…!!
(ちなみに、小麦粉生地の餡入り焼き和菓子は、京都発祥の「きんつば」というのもある…これはルーツになるのだろうか?)


明治30年代ごろに入り、鋳造技術とガス火が一般化。
ここから、文字焼、桃太郎焼きが巷に登場します。

そして、亀の子焼、人形焼、軍艦焼、たい焼きが続々と誕生し、【金型で焼いた和菓子】はどんどん種類が増え、全国に広がっていきました。


時系列は今川焼から大判焼き


愛媛県松山市から【より大判の今川焼き】として大判焼きが登場します。
そう、ここが大判焼きのスタートです。

昭和30年ごろ、菓子製造機器メーカーが売り出したのがきっかけに、東京から全国へと広がっていきます。
このあたりを考慮するなら『上位互換』というか、はたまた『二番煎じ』というのか……人によって意見が分かれそうですね。


ちなみに、回転焼きは円形の焼き型を回転させる製法にちなんだものです。そのまんまですね。


そのほか地方の呼称とその歴史

ここからは、今川焼・大判焼き以外のアレの呼称を見ていきましょう。
姿形は一緒でも、やはり地域性や民俗での「あたりまえ」の差異が見えてきます。
とても興味深いところ!

御座候

主に関西地方。
店の名前に由来、回転焼きに含まれがちだが筆者はこの呼び方で定着してる。

蜂楽饅頭

主に九州地方。
生地に蜂蜜を使用。昭和30年に初代社長が養蜂業を営んでいたから。

ベイクドモチョチョ

2021年6月に匿名掲示板で発生
アレの呼称の固定化について平和的解決を求める新たな一石だった。
しかし、戦いは終わらなかった…!!

夫婦饅頭

別名 ふーまん
岡山県中心。
焼くときに両方面の生地をべたっとくっつけるため。

二重焼き

主に広島県。
別々に焼いた二つの生地を重ねるから。

きんつば

主に会津
江戸で流行ったきんつばの原料を米粉から小麦にしたため。

昭和焼き

縦に長い今川焼き 文京区根津にて観測。

びっくり饅頭

広島県呉市
びっくり堂という店の名前に由来。
二重焼きより柔らかいらしいよ。

あじまん

山形県
味自慢の商品だから、あじまん
ちなみに冬季限定


じまん焼き(志まん焼き)

主に信州、富士アイスさんで販売しているものの名称
名前に濁音がついていると目にとまる説、自慢できるから「志」の字も当てた説、創業者の奥さんの名前から説などの説がある。


ポッポ焼き

楕円形、お好み焼きの具みたいなのもある

都まんじゅう

福岡県の鉄工所が昭和10年に出店
東京に進出したため


おやき

北海道での呼称 なんでやねん

オバントック(韓国)

トックはお餅の意味

車輪餅、紅豆餅(台湾)

紅豆は小豆だね!


まだまだ地域や製法で名前はいろいろ!
これからも調べていきます!
よかったらコメントで教えてください!

最後まで読んでいただきありがとうございました!
よかったらチャンネル登録・♡をお願いします!