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【花の民俗学②】今日は重陽の節句!知って面白い菊の文化史

9月9日は重陽の節句、またの名を「菊の節句」とも呼び、
この日は菊の花を飾ったり、菊の花びらを入れた菊酒をたしなむことで
長寿を願う日とされています。
・・・なんででしょう?
めくるめくめぐるの世界へようこそ、書店員VTuberの諸星めぐるです!

今回は、日本人にとってなじみの深い花の民俗学第2弾
菊の花と日本の文化史を民俗学の視点から愛でていきましょう
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菊とは


そもそも、菊の花といわれて、どんな花をイメージするだろうか
お墓の仏花お葬式といった特定の行事風習での菊もあれば
刺身の盛り合わせの上に乗った黄色、品評会菊人形での菊など
さまざまな生活の場面で菊の花は欠かせない存在であることがわかる。

最近では花手水でもよく見ますね


菊は、秋に咲くキク科キク属の多年草の総称である。
現在では白、黄色、ピンクなど、様々な形や色の花々を見ることができる。

そんな菊は、いったい「いつ」「どこで」日本にやってきたのだろうか。

3千年前の中国からこんにちは

はじまりは鞠


現在における菊のもともとは3千年前の古代中国が原産である。
前漢の経書に「鞠」という植物が登場したのが初とされている。
この「鞠」は「キク」と読み、現在の菊の原種であると考えられている。
菊の栽培は6世紀から始まっている。さらに、品種改良は唐の時代以降盛んになった。

日本に菊がやってきたタイミングは2通りの説が存在している。
ちなみに、この読み方が花とともに伝わり、現在の漢字の「菊」になっていったと言われている。

菊と宮中行事


1つ目は、奈良時代に原種が日本にあり、品種改良の菊が遣唐使により
伝わった説。

2つ目は日本には8.9世紀の平安時代に中国よりもたらされたという説。

がある。

いずれにせよ、平安時代には貴族、つまり宮中で大人気となる。
具体的には、歌集の中での取り扱われ方に変化がみられる。
菊は「古今和歌集」にて人気を博し、頻出の花になっていったのだ。

その背景にはやはり、宮中行事が大きく関わっている。
重陽の節句は、奇数の最大数としての9が重なるたいへん縁起の良い祝いの日として重宝される。

その際に使用する菊は貴族のほかに、寺院でも菊が栽培されていく。
平安時代から室町時代にまで、貴族や僧侶たちも菊を庭に植えることが当たり前のステータスになっていく。

当時の観賞用の菊は、その香りと時間の経つにつれて変色する様子を楽しんでいたと考えられている。
このような貴族の園芸文化を背景として、長年培ってきた菊栽培の技術と観賞の伝統が近世園芸文化に開花した菊ブームの礎となっていくのである。

江戸で花咲く菊の愛で方

江戸の大園芸ブーム


やがて時代は下り、貴族から武士、武士から庶民へと嗜好の習慣は広がっていく。
桃山時代には、品種改良によって白色の花だけではなく黄色や桃色などの新色が生まれていく。

そして、最大の品種改良と人気を博すことになるのは、民たちの間であった。
菊の栽培は、江戸時代の大園芸ブームの中で上方・江戸どちらの民衆にも広く受け入れられていった。

その背景には以下の要因が絡んでいる。

江戸時代菊の栽培ブームの背景
出版文化の活発化(同人誌即売会みたいな)
菊の品評会の活性化(菊の栽培技術を競いあう専門性)
植木屋が菊の花形,色そして値段を記した販売カタログを出版

上方でも江戸でも自らが作り出したオリジナルの見事な菊の品評会は開催されていく。
その中で上方では、園芸文化や料理文化のような、もともと一部の上流社会の人々に握られていたハイカルチャーが裕福な町人層にも広がりを見せていく。
その過程においては、寺院が利用されていたことが特徴的である。
一方江戸では、寺院の役割は武家が担う。彼らを媒介として同じ役割を果たすこととなり、結果的に全国的な菊の栽培ブームにつながっていった。

更に、菊の花には行事としての面でも大きな役割があった。
幕府は五節句の制定し、9月9日が「重陽の節句」となり、こうして太平の世に品種改良一大菊ブームが起きる。

菊細工のエンタメ性


このブームの中、今にも続く菊細工「花壇菊」「形づくり(造り菊)」が盛んになっていく。

花壇作りの白菊


この起源については1804年と1811年説があるが、いずれにせよ一大ブームとなっていく。
はじめのころは富士山などの風景や動物などをかたどった菊細工が人気を博したが、ブームとは過ぎ去るもの。一度廃れることとなる。
その後菊細工は、有名な作品の一場面を切り取ったような時代菊人形の飾り物をきっかけに、ストーリ性の獲得により再開されていく。
今で言うところのジオラマである。
いつの世も、人はエンタメ性が大好きなのだ。。。

まっこと罪作りな「犬神家の一族」よ・・・


菊の民俗学

菊は不老不死の薬?!


食用菊が先か、観賞用菊が先か


さて、ここから先は民俗学の視点から菊の花を見ていく。
そもそも品種改良の前、古代中国において菊は[長生きの効果がある薬]であった。
(実際に食用菊の栄養価は高い)

そのため重陽の節句である9月9日に菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだりして、長寿や無病息災を願う習慣
不老不死を望んだ古代中国の薬としての菊の呪力の名残なのである。

不老不死の研究は王の特権だったこともあり、菊は「権力」「崇高」「尊厳」の印象を帯びたままに日本の貴族たちの中に受け入れられていく。

菊と家紋


日本において菊の家紋といえば、天皇家のイメージが強いと思う。
この理由には、後鳥羽上皇が大の菊好きだったことがきっかけだとされる。
後鳥羽上皇以降、天皇家に代々菊紋章が引き継がれていくことになり、
1868年に最高の権威の象徴「十六弁八重表菊紋」が規定された。

1871年以降は、以前より乱立していた菊の紋章の使用が禁止される。
そして戦後になり、今のように自由に使用できるようになる。

十六弁八重表菊紋


菊の俗信

やはり、万病の元という考え方は庶民にまで浸透している。
このため、菊の一部を使用した民間療法的な使用がされていく。

俗信の例
「鼻血には菊の葉を栓にする」
「菊の花を氷に浸したもので
 目を濡らすと目が良くなる」
「菊の花が早い年、白さが多い年は米豊作」
などなど


今回はここまで!
みなさんも、今日は菊を愛でて
遥か3千年前の人々の「不老不死」のロマンに思いを馳せてみてください!

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それではみなさん、さようなら×3