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反・自殺論考2.14 自殺しかけたヴィトゲンシュタインの前半生

再び最前線へ

「自殺は基本的な罪」
 そう『草稿』に書いた頃、ヴィトゲンシュタインは再び戦場に立っていた。

 この時期の日記はないが、軍功が記された兵籍簿や、上官の報告書なら複数あり、賛辞が並ぶそれらを見ると、彼の活躍ぶりは想像できる。
 無論こうした戦時記録は、誇張して書かれるのが常なので、多少は割り引いて評価するとしても、ヴィトゲンシュタインは砲兵隊の監視係として、この時期も含めて勲章を三回授与されており、終戦時には予備役とはいえ少尉まで昇進していたから、それなりの活躍を見せたのは確実と言える。

 とはいえ、兄パウルも勲章を二個もらい、彼は中尉になっているから、あくまで「それなり」という見方もできる。

 戦線に戻った後のヴィトゲンシュタイン自身の肉声としては、

また仕事ができる。神に感謝。すぐに、詳しく、あなたがどうしているか書いてください。

1917年1月26日(切手の消印)

 とだけ書かれた葉書があり、それに対して受取人のエンゲルマンは本当に「すぐに」1月30日付の返信で、長々と「詳しく」自分の話のみならず、弟や友人の近況まで書いてくれている。

 ところがヴィトゲンシュタインは、二か月後ようやく、

近いうちに詳しく書きたいと思います。あなたのことをよく僕は喜びとともに思い出します。よろしく。

1917年3月29日

 というこれまた短い葉書を返しただけ。
 と思いきや、やっと余裕ができたのか3月31日付の手紙で、かつて自分がフィッカーを通じて寄付したエーレンシュタインという作家の本を送られたと報告し、それを「犬の糞」と酷評した時の心境など、わりとどうでもいいことを詳しく書き綴る。
 さらには、

かなり僕は頑張って仕事をしています。もっと善く、もっと賢くなりたいです。これら二つは同じ一つのものなのです

 とどうでもよくないことも書き、これは「論理と倫理は結局同じものである」というヴァイニンガーの文句を彷彿とさせる表現と言えようが、もっとどうでもよくないのは四年後、インスブルックのホテルで、ヴィトゲンシュタインと会談したラッセルが、自伝に「賢さより善が優る、と彼は大真面目に説いた」と書き残していることだ。
 つまり、まだ彼が戦時中は「善い」と「賢い」を同一視していたこと、しかし戦後は、両者に優劣をつけたことが分かるのだ。

 が、それも今はどうでもいいだろう。
 一番よくないのは、5月27日に兄パウルから送られた手紙である。
 これはヴィトゲンシュタインが砲兵から歩兵になることを希望し、転属の根回しを家族に頼み、兄が然るべき要人とは会談したけれども、実現の見通しは不透明であることを伝える内容になっている。

 転属?

 兄も要人も上官たちも理解に苦しんだようだ。
 無理もない。戦場の最前線を離れ、もう少し安楽な部隊に移りたいというならまだしも、今よりもっと危険な任務に従事し、しかも将校ではなく、より死ぬ可能性の高い一兵卒に戻りたい、という希望だったのだから。

自殺しかけたヴィトゲンシュタインの前半生(15)「もっと善ければ」に続く

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「良いプレゼントを贈るのにお金を沢山かける必要はない。しかし時間は沢山かける必要がある」 そうヴィトゲンシュタインは言いました 良いサポートにも言えることかもしれません 少しでも長く物書きの仕事が続けられるよう、ご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします