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『道訓』の典拠と思想的背景

(以下の文章は、花園大学少林寺拳法部OB会の会報『花大拳報』2011年秋号に載せたエッセイを改稿したものである。)

『道訓』については、以前から道教経典『関聖帝君覚世真経』との共通性が指摘されてきたようです(私はインターネットの某掲示板でこの経典について知りましたが、ある道院長さんからも同じ情報を聞きましたので、それなりに知られていることではないかと思います)。

『関聖帝君覚世真経』は、明清時代に成立した善書あるいは勧善書とよばれる文献群を代表するものの一つです。関聖帝君とは、『三国志演義』などで有名な関羽のことですが、中国では関帝廟などで神様として祀られていることはよく知られています。善書とはその名の通り、「善を勧める書」という意味で、人の禍福は神によって決められているのではなく、行動の善悪によって決定するので、善を行いなさい、という内容となっているのが特徴となっています。

『関聖帝君覚世真経』は明清時代に流行し、現在でも中華圏では広く読まれているものです。戦中に中国で活動をしていた開祖・宗道臣は、中国の秘密結社相手の任務につき、その中で拳技を習得したと言われています(少林寺拳法の技には、義和拳=義和団、三合拳=三合会、紅卍拳=紅卍字会のように秘密結社の名前がつけられものが多いということはよく知られています)。その中で、『関聖帝君覚世真経』などの道教経典に触れる機会も多かったのではないかと思われます。

道教経典というと、仏教を標榜する少林寺拳法=金剛禅の教義と矛盾するのではないか、と思われる方もおられるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。そもそも道教は、儒教や仏教(特に禅)の教義をかなり引用してできあがっていますので(もっと言えば、中国においては儒仏道の三教はお互いに影響を与えあっていますので)、道教だから仏教とは別物だと一概に言うことはできないと思います。詳しくはこれから述べますが、『関聖帝君覚世真経』はかなり儒教の影響を受けている経典です。そして、私の考えでは、開祖は『関聖帝君覚世真経』のなかに仏教的な要素を見出し、『道訓』として再編成したのではないかと考えています。

ではまず、『道訓』と『関聖帝君覚世真経』を比較してみましょう。『関聖帝君覚世真経』の原文は中国語ですが比較しやすいように書き下し、対応すると思われる箇所に下線を引いています。

『道訓』(金剛禅)と『関聖帝君覚世真経』の対照表

以上、一見してわかるように、『道訓』は『関聖帝君覚世真経』を簡略化するとともに、『関聖帝君覚世真経』では「神」になっている部分を「神仏」にするなど、仏教的要素を付加していると言えます。

冒頭の「道は天より生じ…」の部分については『関聖帝君覚世真経』に対応する部分がありません。現時点では明確な典拠を見つけることができていませんが、恐らくは『中庸』とその注釈をベースにしているのではないかと思われます。たとえば『中庸』冒頭には次のようにあります。

天の命ずるをこれ性と謂う。性に率(したが)うをこれ道と謂う。道を脩むるをこれ教(おしえ)と謂う。道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。是の故に君子はその睹ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。隠れたるより見(あら)わるるは莫く、微かなるより顕わるるは莫し。故に君子はその独を慎むなり。

『中庸』

これは、『道訓』の「道は天より生じ…故に道は、須臾も離るべからずと、いう所以なり」という部分に対応するでしょう。また、山崎闇斎の『中庸或問』には、

道は人の共に由る所なり。法と則とを兼ねて之を言うなり。法は法度を謂う。人の当に守るべき所なり。則は準則を謂う。人の正しきを取る所なり。

山崎闇斎『中庸或問』

という一節がありますが(朱熹の『論語集註』に「凡そ道と言うは、皆、事物当然の理、人の共に由る所の者を謂うなり」などとあるのを元にしているか)、これなどは『道訓』の「道は…人の共に由る所とするものなり、その道を得れば…以て守るべく…」の部分に対応するでしょう。

ところで、上に引いた『中庸』冒頭部分にある「独を慎む」は、『関聖帝君覚世真経』でも強調されているところです。『道訓』では省略されていますが、『関聖帝君覚世真経』には「故に君子は三畏(天命、大人、聖人の言の三つを畏れること)と四知(天知る、地知る、汝知る、己知る)を以て其の独を慎しむ」という一節があります。もっとも、「独を慎む」自体は『中庸』だけでなく、『大学』『礼記』その他にも説かれていることですので(例えば『関聖帝君覚世真経』にある「十目十手」というのは、『大学』の「独を慎む」の箇所に続いて出てきます)、何を下敷きにしているのかは、現時点では正確には言えませんが、儒教の影響であることは間違いないでしょう。

では、「独を慎む」というのはどのようなことなのでしょうか。簡単に言えば、人目があるところにいるときだけでなく、人目のないところに一人でいるときも自身を律して道理に従った行動をとる、ということのようです。『道訓』や『関聖帝君覚世真経』に「一道一静、総て神仏の観察する処、報応昭々として、豪厘も赦さざるなり」や「人見ずと雖も、神仏既に早く知りて…ダーマの加護を得られるべし」などとあるのは、人目があろうとなかろうと、神仏やダーマが観察していると思って善を行いなさい、ということでしょうから、まさに「独を慎む」を仏教的(あるいは道教的)に言い換えたものだと言えるでしょう。したがって、他にも様々な要素があるとはいえ、「独を慎む」という思想を『道訓』(と『関聖帝君覚世真経』)の主要テーマのひとつと考えて良いのではないかと思われます。

そして、ここからはまったくの私の想像なのですが(いずれ開祖語録などを調査してみたいと思います)、この「独を慎む」と『聖句』の「己こそ己の寄るべ」が私には通底しているように思われます。若干ニュアンスは異なりますが、いずれも他者の評価や価値判断ではなく、自己の判断、決定において道にかなったことを行わなければならない、という点は共通するのではないかと思われます。岩波文庫『大学・中庸』の訳注をしている金谷治氏は、「独を慎む」の「独」は単なる「ひとり」ではなく、荻生徂徠を参照しつつ「内面的に独立した己れ自身をさす」と述べています。この解釈による「独」と、「己こそ己の寄るべ」の「己」とに共通性があるかどうかについては今後の検討が必要でしょうが、一つの視点として提示しておきたいと思います。

以上、非常に雑駁な考察でしたが、諸賢のご叱正をいただければ幸いです。

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