FF思い出話

以前ドラクエよもやま話を書いたが、今回はFFについて語ろう。FFについて語ることはそんなに多くはないが、これもまた自分にとっては大事な青春の一ページであり、FFの楽しみは常に狂喜と興奮の中にあった。

FF1&2、ファミコン版の3はやったが、内容はあまり覚えていない。幼くて印象に残ってはおらず、恐らくゲームをやった回数より攻略本を眺めた回数のほうが多い。同世代なら理解できると思うが、攻略本を読むだけでプレイした気になるという感覚が確かにあったのだ。

そういう意味で幕開けを飾るのはやはりFF4が相応しい。暗黒騎士という耳慣れない主人公のジョブと天野喜孝絵、そしてドラマティックなストーリーで僕は一気に虜になった。FF4は一言で言えば出会いと別れのRPGである。最初に仲間になったキャラクターとはずっと苦楽を共にするものだという固定観念のあった僕は仲間の離脱に衝撃を受けた。そういう意味でストーリーは印象深く、夢中になって最後までプレイしたのを覚えている。反面、バランスはお世辞にもいいとは言えず、その奔放さに小学校低学年の僕は翻弄されっぱなしで、スカルミリョーネにボコボコにされて泣かされ、カイナッツォにはゲラゲラ笑わせられた。FFとはどういうものか、を叩き込んでくれたのは恐らくFF4で、間違いなく出発点はそこである。

次にプレイしたのはミスティッククエストこと、ファイナルファンタジーUSAである。これをFFの括りに入れるかどうかは非常に迷ったが、当時の僕はFFの外伝という位置付けに惚れ込んでやっていたため、これを外しては語れないだろう。ゲーム内容は学校の教材のごときシンプルさで、良くも悪くも薄っぺらく、システムも簡単で、前述のFF4と比べればヌルゲーもいいところである。難易度を極端に下げたゼルダのようなギミックのあるマップに、迷うことのない一本道、どこでもセーブできる親切仕様と、重さのない軽いノリ。お世辞にも出来のいいゲームではなかった。ただ、その簡単さもあってか、ドラクエ以外には手を出さなかった母がなぜか一緒にプレイしてくれた唯一のFFであるため、その簡単さに退屈しながらも、どこか憎めないゲームなのである。難しさは理不尽を生むが、このゲームにはそれがなかった。ゲームをやったことのない人用のRPGという位置付けで語るなら十分な出来のゲームだろう。とはいえグラフィックはチープで、今再びやったとしても懐かしさよりもつまらなさのほうが先に立つが、そうしたゲームもやれば思い出は発生する。ゲームとはそういうものなのだ。

たぶん、一番プレイしたFFはFF5だろう。土曜日が半ドンで終わった後、帰宅してランドセルを放り投げ、スーパーで買ってきたピザパンを紙のトレイから剥がして、その縁にかたくこびりついた焦げたチーズの端を齧りながら、スーパーファミコンの電源を入れる。紙の箱は出し入れのしすぎで折り目がついてクタクタになっており、取り出すたびにブリスターケースがガサガサと擦れる音がする。ソフトと説明書を引っ張り出して、スーパーファミコンにカセットを差し込む。FF5の説明書は冊子でなく一枚の紙になってて、広げると一面にジョブの説明書きが載っていた。それを眺めてまだ見ぬジョブに想いを馳せながら、菓子パンを頬張ってプレイする。そんな穏やかな土曜の昼下がり。FF5は常に小学生ライフのど真ん中にあった。

FF5は非常に戦略が幅広く、人によって戦い方がまるで違う。当時の自分は「ためる」と「魔法剣フレア」による「二刀流」のゴリ押しが大好きだった。魔法よりも剣が好きで、そんな僕にとって魔法剣は何よりも斬新でカッコ良かった。それはそうと、なぜ魔法剣士だけアラビア風の衣装だったのだろうか。大人になった今でも疑問は尽きないが、それを流して夢中になるぐらい、小学生の脳みそは単純だった。

取り逃がした青魔法の空欄を埋めている友人は尊敬の対象だった。オメガや神竜の倒し方に悩み続けた。「神竜はサンゴの指輪と飛龍の槍とジャンプで倒せるよ」との友人の言葉を真に受け、挑戦して、稲妻と吹雪であっさりやられてしまった。翌日、友人と喧嘩になったのは言うまでもない。

FF6にも同じく夢中になった。中世ファンタジーではない、機械に侵食された世界の話で、小学生の自分にはややアダルティで薄暗い物語だったが、クロノ・トリガーの未来を見た時のような、そんな怖さと絶望感があった。FF6は絶望と希望の物語で、それが90年代後半の終末観バリバリな、世紀末の世相にも噛み合っていたように思う。ロックはとても格好良くて、ちょうど同じ時期に「魔法陣グルグル」のニケが盗賊であることも発覚し、僕の周囲はにわかに盗賊ブームとなった。今までは勇者やパラディンといった剣士職が一択だった小学生の価値観の中で、盗賊というジョブはとても新しく、翌年に出た聖剣伝説3でも、盗賊という理由でホークアイを選ぶ小学生が急増し(同じぐらい人気だったのは獣人ハーフのケヴィンだ。シェイドの刻の遠吠えが当時の小学生の家にこだましていたに違いない)デュラン派は肩身が狭かった。

FF7は実はリアルタイムではプレイをしていない。PSを買うのが遅く、手をつけたのはインターナショナルが出てからだ。なので実は思い入れはさほどないのだが、世間のインパクトは非常に強く、コンビニで予約ができたゲームソフトという印象がある。それでもティファは性癖ドストライクであり、エアリスの人気の方が上と知った瞬間にはやはり肩身が狭い思いをしたものだ。ストーリーだけは知っていたので、高校の頃にアドベントチルドレンのソフトを買ってみんなで回して見たわけだが、ソフトに傷が入って僕のところに返ってくるころには視聴できなくなっていた。当時のPS2の一部はDVDに傷が付くことで有名で、それでズタズタになったのだろう。修理してなんとか見れるようになったのを思い出す。

FF8はシステムこそとっつきにくかったものの、今にして思えばあれほど斬新なシステムもそうはなかっただろう。今でも定期的にやりたくなるゲームの一つである。キャラクターにはさほど思い入れがなく、と、いうか7以降のキャラは微妙に好みではないのだが、唯一例外があり、それはラグナの存在だった。マシンガンを手に持った元兵士のジャーナリスト、という職業からして大人の雰囲気があり、リアル厨二病真っ盛りの僕の心を一瞬で射抜いてしまった。正直ラグナパートだけのソフトがやりたいと思ってしまったのは内緒で、どうやら僕は正統派な二枚目より、飄々とした三枚目のキャラクターが主人公の作品が好きらしい。のめり込むようにプレイし、徹夜もザラだった。この頃のFFのストーリーは面白く、一本の映画を見たような満足感があった。徹夜でやったRPGといえば、やはりFFになるだろう。

FF9は原点回帰、とのことだったが、当時の僕は中学校にはほぼ登校しておらず、ゲームの話題をする友人は1人もいなかった。ゲーム雑誌でも攻略情報が伏せられており、どのゲーム雑誌の紙面もそれはメーカー側の意向で、頑張ったけどここまでしか無理だった、というような長い言い訳が飾ってあったような気がする。情報を見ずにプレイするスタイルとはいえ、まるでないというのも困った話だった。仕方なく僕は中学校に登校し、クラスメイトとFF9の攻略について話した。ドラクエよもやま話でも触れたが、それが不登校脱出のきっかけであり、ゲームの絆は時に友情よりも強い。小中学生の友情の半分はゲームの共通体験で出来ていると言っても過言ではないのだ。ゲームをやっているだけで友達になれた、あの日々がたまに懐かしくなる。

FF10の思い出は高校の時に遡る。無事なんとか指定校推薦で高校には滑り込んだものの、そこはヤンキー校でヨタりだした生徒をシメるために校則は鬼のように厳しかった。入学して三ヶ月もしないうちに退学する生徒もザラにおり、入るなり軍隊のような行進の毎日と厳しい叱責で「フルメタル・ジャケット」の微笑みデブのように僕は心身を破壊されてしまった。唯一の救いは同じような不登校の生徒が多かったことで、そんな共通の挫折体験があったせいか、ヤンキー、オタク問わず、みんな仲がよかった。その反面、妙な地元志向というか、ノリについていけない部分があったのも事実で、それが浮き彫りになったのは野球応援だ。僕は野球にはほとんど興味がなく、体育でやるのは好きだったが、見る側としては、ドラゴンボールを野球中継で潰された恨みのほうが強かった。また母校への愛校心も極めて薄く、生来の無精が再発動して、野球応援の日はピンポイントで学校をサボった。

休んだとはいえ暇なことには変わりなく、そんな退屈をまぎらわしてくれたのは同じ時期に出たFF10の存在である。機械とアジアンテイストのファンタジーという特異さがFF10の持ち味であり、発売前から世界観設定やその謎について友人たちと興奮しながら激論を交わしていたのを覚えている。一番ホットだった話題は「シン」の正体で、シンはかつて滅んだ機械文明の遺産で、古代機械の集合体というのが僕の見解だった。発売と同時に謎が解かれるのを指折り数えて待っていた。

そして運命のXデイ。今でも覚えている7月19日の木曜日。みんなが真面目に野球応援へと行くのを横目に僕は学校を休み、真夏の日差しの中、自転車を漕ぎ、ゲームショップへと足を運んだ。そして買ってきたFF10。傍にはキンキンに冷えたラムネを置き、PS2の電源を入れた。窓の外は茹だるような暑さで、TVをつけたらちょうど高校野球の特集をやっていた。罪悪感……が浮かぶなんてことはまるでなく、すぐさま外部入力に設定を合わせてPS2を繋いだ。そしてクーラーの効いた涼しい部屋で、蝉の声を遠巻きに聞きながら、ボイスの入ったキャラたちの身振りに夢中になり、PS2の美麗グラに圧倒され、そのまま10時間以上プレイし続けた。当然、僕がゲーム目当てで学校を休んだことは友人を通じて教師にも知れ渡ったおり、翌日登校するなり生徒指導室に呼び出され、鬼のように詰められて別室で反省文を書かされた。同じように野球応援をサボっていたヤンキーと一緒に反省文を書きながら、FF10の進捗状況で話が盛り上がったのを覚えている。ヤンキーやオタクの属性問わず、皆を惹きつける魅力がFF10にはあった。「明日は休むなよ」生徒指導に睨まれながら下校したが、帰宅後即電源ボタンをいれ、再びザナルカンドへと逃亡した。そのまま徹夜して、遅刻して、再び叱責を受ける。当時の夏はそんな風にして過ぎていった。

好きなのはFF5とFF6なのだが、振り返れば思い出が多いのはFF10で、かなりハマっていたように思う。雷平原の雷200回避けで何度もキレそうになりながらも、しっかり隠し要素まできっちりと楽しんだ。主題歌の「素敵だね」はCDも購入した。周りのFF10の人気も上々で、やはり一番人気はアーロンだったが、僕個人はワッカが意外と好きだった。部活動に入っておらず、中学にも行ってなかった僕にとって、ワッカの朴訥とした兄貴さ加減は、先輩や後輩といった関係性に似ていてどうにも憎めないものがあった。ヒロインはユウナも悪くはなかったが、好みで言えば断然リュックで、リュックとずっと旅したいと思っていた。

語弊を恐れずに言えば、FF10は個人的な評価としては70点の作品で、自身への影響やストーリーの全体的なまとまりという意味ではFF5やFF6のほうが個人的には上だと思う。今やるとあの青臭さや甘酸っぱさが少しばかり鼻について、気恥ずかしくなるだろう。それでも恐らく、やれば興奮し、懐かしさに涙すると断言できる。それはやはり青春真っ盛りの高校の時にプレイしたという思い出補正のほうが極めて強く、時にそうした体験はゲームの評価を底上げする。FF10はまさに青春のど真ん中の作品で、そういう意味では僕の中では限りなく100点に近い70点の作品なのである。

オンライン化したFF11を飛ばし、FF12をプレイするころ、僕は大学生になっていた。FF12はガンビットシステムがどうにもややこしく、古いRPGを好む僕にはやや受け入れ難い面もあった。加えてストーリーもよく言えば重厚、悪く言えばロマンがなく、終始蚊帳の外だった主人公に言いたいことは山ほど多い。国家レベルの陰謀に一般人が関われるわけがないという意味ではリアルなのだが、それだけに忸怩たる思いも多く、主人公が主人公として振る舞える数少ないシーンには燃えた気もする。当時懇意にしていた先輩がバルフレアに棒を使わせていたのがやけに印象に残っていて、周囲はバルフレア一色だった。パンネロは好きだし、賛否あれ、ストーリーも面白かった。だが思えば、別離の兆しはこの時にすでに訪れていたのかもしれない。昔のFFほど興奮はせず、徹夜もしなかったし、隠し要素も探そうとはしなかった。結局、これが最後にプレイしたFFとなったわけだが、その頃にはFFは僕にとってのブランドではなく、数多くの中から選ぶRPGの一つとなっていたのだ。

昔、FFの発売日は大事件だった。だがいつしかその重要度は薄れてしまい、昔ほど夢中にはなれなくなった。12の出来が悪かった、というわけでもなく、また昔のFFと変わってしまった、というわけでもない。ただ言えることは、どこかで僕は「卒業」してしまったのだろう。ゲームからの卒業は、現実の卒業のように明確な区切りがあるわけでなく、なんとなく気がついたら離れているもので、自覚した瞬間、あれだけあった衝動がすっかり消え去ったことに一抹の寂しさを覚えるものである。繰り返すが、FFが悪いわけではない。単に僕のゲーム人生を看取ったのがFFだったというだけの話であり、卒業とはすなわち、青春からの卒業だったのだろう。

「思い出の中でじっとしていてくれ」アドベントチルドレンの台詞である。FFはその言いつけを守りながら、じっと静かに胸の内にいる。語る時は過去形で、その思い出を振り返るたびに、郷愁が胸を襲う。またいずれ、FFに夢中になれる日が来るのだろうか。でもあの時のような、徹夜してボスを倒した時の興奮や、区切りのいい所までイベントを終えたころに、部屋に射し込む朝日を眺めた時のような達成感、そのまま次のストーリーを想像しながら床につく幸福感、あれらは恐らくもう二度と味わえないのだろう。厨二病の夢がそのまま実現したかのような、自身の感性を揺るがすようなクリティカルヒットがあるかどうかも分からない。僕はすっかり大人になり、ゲームからも離れてしまった。もはや今の僕はゲームが趣味とは言えない。興奮と感動。突き詰めれば、陳腐なキャッチコピーにもならない言葉だが、最後に残るのはいつもそれで、それが思い出の全てである。しかしFFの思い出がある限り、またそれらと出会う日が来るのだろう。惰性にまみれた大人になった今、欲するのはあの時のような脇目もふらない衝動だ。再開を楽しみにして思い出を抱えつつ、今日の所は筆を置く。

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