清宮よ憤怒の河を渉れ〜オカダvs清宮戦について思うこと〜

オカダvs清宮、例の顔面蹴りがかなりの物議を醸していますね。単純な行為のアリナシに留まらず、それぞれの団体の価値観や個人のプロレス観にも抵触する事柄だったせいか、TLはしばらく炎上状態にあり、どの意見も興味深く読ませていただきました。僕はオカダも清宮も好きですし、なんなら世代的に不穏も殺伐も大好きなので、どんな意見でもニコニコして読めるかと思いきや、同床異夢の渦中に落とし込まれて、どの意見を見ても必ずどちらか片方がdisられているという憂き目に遭い、とても心がかなしかったですね(笑)

いやまあ冗談はさておき、せっかく二人のファンでいて、また両団体のファンでもあるので久しぶりにこの話題を掘っていきましょうか。試合の詳しいリポートに関しては以前のnoteで書いたので、今回は新日とNOAHの双方の観点から雑感を中心として書きたいと思います。

・顔面蹴りの是非について

賛否の否の部分で一番多いのはここですよね。Twitterやnoteにも書いた通り、あくまで僕自身はプロレスの範疇を逸脱したとは思っておらず、アリかナシかでいえばアリです。否定意見は大まかに分けて二つあり、一つはプロレスの範疇とはいえ危険すぎる!という批判と、もう一つは所謂「カタい」攻撃をつい入れてしまった「アクシデント」としての批判であり、この二つは似て非なる意見ではありますね。ただ、否定的な感情が沸き起こるのは当然でもあり、ここは一番個人のプロレス観が問われる部分ではあるでしょう。

まず逸脱してない理由として、一連の乱闘シーンを通して見た場合の双方の攻撃ターンの配分にあります。もしガチの不穏試合であるならば、初撃の顔面蹴りでKO、もしくは病院送りであり、よしんばそうならずに乱闘になったとしても、基本的には両者組みついての取っ組み合いがほぼ中心になるでしょう。かなりグダつくでしょうし、レフェリーが止めるのももっと早いはずです。

あとは感覚的な表現になりますが試合全体を通して見たときの「後味」でしょうかね。不穏試合は例外なく後味はそれなりに悪いものですが、この試合はどうでしたか?炎上こそ凄まじく、行動に対するモヤつきは各自あったでしょうが、後味の悪さのようなものはあまり感じなかったと思います。凄惨だったわりに決着戦への期待感というポジティブな試合だったのが凄いところなんですよ。

冷静に見れば分かる通り、清宮が仕掛け、オカダが反撃し、清宮がやり返し、オカダが報復するという風に矢継ぎ早にターンを渡していて、どちらとも弱く見えないようにものすごく丁寧かつシビアに調整された乱闘だったなと。これを一切ファンに悟られず、出し抜けにやるあたり二人のプロ意識の素晴らしさがあり、顔面蹴りに対しての頭突き、解説席へのボディスラムに対する場外ジャーマンと、技の帳尻は合わせているのも見事です。それ自体が互いの意地でもあるのでしょうし、変に計算せずに感情の赴くままに身を任せ、それでいてギリギリのラインでコントロールするという。逸脱しかねない流動的な攻防を慣習的な作法に則って纏め上げ、プロの戦いとして昇華する。かなり本質に近いタイプのプロレスだったなと思います。

逆の見方をすれば、この大乱闘はレフェリーやタッグパートナーが二人を止めに入るタイミングがいちいち絶妙で、その緩急によって攻防のシーンの切り替えがスムーズになっていたのには驚愕しました。いやはや……本当に素晴らしい。それでいて、やった側が一旦クールダウンはするけどやられた側が収まらないという感じの応酬になっていたのが良かったですし、何より止められても向かっていくのはまさに「喧嘩」そのものであり、その熱量がやればやるほど互いに加速していったのがよかったのですよ。

他にもオカダのハンマーブロー等のプロレス仕様の打撃技からも察するに、これが非常に洗練されたプロレスであることは伝わったとは思いますが、白眉なのはこれが「日和った」ようには見えないことですね。荒れかけた試合を「プロレス」としてなんとか処理したという文脈を読み取れますし、こうした振る舞いが逆に事象のリアルさを担保したなと思う部分でもあります。

その理由として、これは今回の試合が盛り上がった要因でもあるのですが、オカダ・清宮の双方ともにこうした不穏試合のイメージがなかったことが挙げられます。だからこそ予想外の一撃による不穏さがサプライズとして機能し、途中の意地の張り合いもリアルな軌道修正として読み解かれ、結果的に試合のリアリズムを担保したーー僕はそんな風に捉えています。こういう不穏試合って見透かされた瞬間に価値が暴落するものですが、今の世だと逆にプロレスとして昇華したことでアクシデント性のほうに注目が集まり、結果的に不穏試合となって響くのかもしれませんね。

こう書くとまるで所詮「プロレス」なんだよと揶揄してるように聞こえるかもしれませんが、不穏試合ではないという意見はこの試合の価値を下げるものではありません。勘違いしないように書いておきますが、不穏試合>プロレスとはならないのです。またこの手の試合が起こるたびに「実は了承が取れている安全なプロレス技の数々」みたいな切り口で語る人もよく見かけますが、こうした見方も本質を捉え損ねている気もします。そもそも価値基準はそこにはないのですよ。不穏であろうとなかろうと、清宮がオカダの顔面を蹴った。これがゆるぎない事実であり、その衝撃と両者の感情は間違いなくホンモノなのですから。

ああ、書き忘れましたが、清宮の顔面蹴りをあれは下手だからor話題作りのためにやりすぎちゃったアクシデントであり、危険だという声もチラホラありますが、あれはギリギリプロレスの範疇に収まるな、というのが個人的な見解です。顎や鼻といったKOの可能性や折れる危険性のある箇所を避けた額へのピンポイントの蹴り。元々はカットに入って仕掛けた技であり、さらに言うなら「挑発」の意図が強い技なのは明白ですし、壊すつもりでもうっかり入ったものでもないでしょう。この"ギリギリ"というのがミソで、意図的に危なっかしく"見えるよう"仕掛けた、というのが正確な所だと思います。以前書いた通り、この試合自体が不穏試合の再演を狙ったものではなくとも、過去の事件が念頭にあったのはほぼ間違いないと見ていますし、要素だけ拾ってのオマージュではある以上、所謂不穏試合でもアクシデントでもないように思います。

なぜ他の技ではなく顔面蹴りなのか?挑発なら他の技でもいいのでは?という意見もなくはないのですが、ビンタやストンピングではなく、顔面蹴りでなければいけなかった理由もあるとは思います。例のKO騒動でビンタもかなりデンジャラスなイメージとなり、実際にこの乱闘の最中に清宮も繰り出したわけですが、それでもまだビンタは技としての使い手が多く、プロレスの範疇に収まる技だという認識が一般的でしょう。ストンピングも同様です。だからこそ不穏試合との「誤認」を狙う上では、顔面蹴りが技としては最適解であった。これらは想像に過ぎませんが、僕の考えはこんな感じですかね。清宮が使うイメージはあまりなく、顔面蹴りはオートンのパントキックなどテクニシャンな選手が使うことでよりアンバランスさと酷薄さが際立つ技であるとも思いますが、技そのものとしては藤田和之からのラーニングというのもあり、実際に藤田との試合でもお株を奪うサッカーボールキックを見せていましたね。闘魂を欲しいままにしていた男に勝利して得た戦利品を、今の新日のアイコンに叩きつけたと見ることもできるでしょう。清宮、マジで豪胆ですね。

・オカダ、清宮の評価について〜side:njpw〜

今回の件で一番の断絶というか、隔たりを感じるのは何を隠そう清宮海斗の評価でしょう。行為の是非を超えた部分での清宮に対する低評価が表出しており、ざっと見る限りでは多数の新日ファンは今回の清宮に対して拒絶反応を示しています。

なぜそうなるのか?ここからは多数の見聞きした意見を元にした分析、もとい単なる想像でしかないのですが、恐らく清宮海斗というレスラーが「よくわからない」というのが正直な所だと思います。

清宮海斗の名前は知っていても活躍は公式の切り抜き動画か無料配信、はたまた伝聞程度でしか興味がなかった層からすると、清宮って本当に「よくわからない」んですよ。天才・武藤敬司を継承したテクニカルな若手王者というイメージなはずなのに、この試合で見たのはデンジャラスな顔面蹴りと喧嘩っ早さ。シングルマッチを要求するわりには「とっとと帰れ!」と罵倒し、しばらく経てばゴールのないマラソンの並走を「オカダさん」に要求する。平たく言えばキャッチーさがまるでなく、言動やスタイルに一貫性を感じられないんです。

まだ本当の清宮海斗を知らない層は多く、そんな人たちからすると新日とのマッチアップは全て清宮の「査定試合」なわけなんですね。それでいて「よくわからなかった」場合、人はそれを読み解くために色々と理由を探します。そこで腑に落ちるのは、やはり「若いから」なんですよね。清宮にとって若さは最大の武器である反面、それを理由にナメられやすいのも事実で、こうした辻褄の合わなさは全て「若いから」で処理されてしまうのです。若いから拙い。若いから青臭い。清宮はまだまだだ……そんな感じの思考の変遷を辿ったのではないでしょうか。清宮の若さや成長物語を肯定的に捉え、好意的に解釈してくれる人たちばかりではないという、当たり前の話なのです。団体の外側にいる、ファン以外のリアルな評価。それが清宮に対して突きつけられた現実です。

もちろん、一年前のオカダに罵倒された経緯は知っていて、その文脈は理解していたとしても、この試合で見たかったのは成長した清宮がテクニックでオカダを圧倒する姿が見たかったのであって、安易な顔面蹴りで火をつけたというのは受け入れ難いものがあるのでしょう。顔面蹴りしか印象に残ってない人も多いかもしれないですし、まずは段階を踏めと、そう思ったファンは多いでしょうね。たとえばスジを通すなら第一コンテンダーである鷹木から挑戦権を奪い取ったりとか、そんな真っ当な振る舞いを期待したのかもしれません。そうした本来見たかったであろうイメージの乖離が低評価に拍車をかけて、さらにAbemaの扇情的な煽りも手伝って露悪的な話題作りに乗っかってしまった若いチャンピオン。そういう風に解釈されたのでしょう。

そんな清宮に対して異例の「対戦拒否」を打ち出したオカダですが、これに対する批判もわりと多く、一番見聞きするのはそれで猪木を背負うのかという意見ですかね。

これに関しては自分の中では一応の結論が出ており、オカダの猪木模倣は敬意はあれど、ぶっちゃけた話、単なる「あやかり」なんですよ(笑)あやかっているだけだから許せるというか、猪木の現役引退にギリギリ間に合った世代とはいえ、フィクサー時代の猪木と接した時間のほうが長いファンからすると、猪木を継承すると言った輩は例外なくろくでもない奴しかいなかったので、オカダが変にかぶれずに、言葉こそ悪いですがママゴト程度で済ませてくれていることには安堵の気持ちがあるのです(笑)それにどれだけ模倣して背負おうが、猪木のイメージはオカダのイメージに全然ハマらないですからね。それぐらい両者は遠く、こればかりはレスラーとしての気質の違いとしか言いようのないもので、どちらが上とか下とかもないです。

オカダは闘魂やストロングスタイルは部分的に背負っていたとしても、より深い部分での思想としての猪木イズムは継承していませんし、昔の猪木、現在のオカダとして、並び立つ顔役として捉えているフシがあります。つまりは猪木を現代に継承しよう、甦らせようという考えは微塵もなく、猪木のエッセンスを取り入れつつも、あくまでレインメーカー ・オカダとしてどう振る舞うか。常にそれを意識してる部分を強く感じるんですよね。真似事やママゴトは敬意であり憧れでありつつも、あくまでそれらは意匠を借りているに過ぎず、あくまでスタイルは自分のままでいく。そんな強烈な自負心がオカダにあるのですよ。むしろ自分をそんな風に相対化させることで、間接的に猪木と競おうともしてるのでしょう。オカダが目指しているのは時代のアイコンであることで、目標とすべき過去のアイコンとして猪木を捉えているに過ぎないのです。

猪木を背負うなら「いつなんどき、誰の挑戦でも受ける」のがスジではないのか。そうした批判も多いですが、そもそも元祖の猪木からしていつ何どき誰の挑戦でも受けたわけではないことぐらい、猪木をちゃんと知っている人間なら釈迦に説法でしょう。猪木は意外とスカしますし、煙に巻く男ですよ。もう少し掘り下げていうならば、恐らくそうした人たちが本当に言いたいのは、そんなストロングスタイルが築き上げてきた「幻想」と比較して、オカダが打ち出している「幻想」にはロマンがまるで足りない!ようはオカダのスカし、プロレス冷笑仕草には全然ワクワクしねーんだよ!ってことなのだと思います。まあそれなら理解できなくもないんですけどね。

ただ一点、猪木とオカダに違う点があるとするならば、オカダにはこの抗争にちゃんと幕を引いてくれるという安心感があることでしょう。猪木って石を投げ込んで波紋は起こしてもその後にはわりと無頓着なことが多く、それで振り回されたことは数多くありましたしね。それと比較すると、オカダは何を言って何をやったとしても、一応の落とし所はちゃんとつけてくれるというか、ケツは拭いてくれるんですよね。それだけでもオカダであることに意味はしっかりあると思います。

話を戻すと、先ほど清宮のスタイルに一貫性がないと書きましたが、オカダのスタイルは終始一貫していて、好き嫌い、詳しい詳しくないに関わらず、いけすかないエリート気質の王者像というパブリックイメージは変わらないんですよね。さらに言えば、清宮がオカダの顔面を蹴れば「事件」になりますが、オカダが清宮の顔面を蹴っても「事件」にはならない。その非対称性こそが純然たる格の差であり、今回の件はそもそもがオカダの首に価値があるからこそ成立した事象です。イニシアチブは清宮が握っているようで、オカダが対戦を受諾するかどうかで試合が決まってしまう以上、依然としてボールはオカダの側にある。主導権を握っているオカダが清宮を格下扱いするのも無理はないと思います。

総じて、他者から見た場合のイメージやプロレス界全体を見渡したときの自分の役割やブランディング。それを含めて清宮はちゃんと考えているのか?団体側やファンの見たい「成長物語」に神輿として乗っかっているだけではないのか?そんな思いがあるのかもしれません。そう考えると本当に戦うに値しない相手だとオカダは思ってそうですね。「お前の成長物語に付き合う気はない」ーーそんな声が聞こえてきそうです。

・オカダ、清宮の評価〜side:NOAH〜

さてさて、新日ファンとしての清宮の見解を書いたので、次はNOAH、もとい清宮のファンからの意見を書きましょうか。

清宮への批判はとにかく多いのですが、別に清宮も突飛な行動を取ったわけではなく、自分のイメージにない技や行動をドンピシャのタイミングで選択しただけでレスラーとしての嗅覚は超一流だと思います。それに普通に考えて、一年前に屈辱を味わわされた相手と、タッグとはいえ相対したらそのニヤついた顔面を蹴飛ばしたくなるのは当然でしょう。そもそも恨みを買った人間を相手にするにはオカダは清宮を舐めすぎていましたし、キャリアや年齢、序列に関わらず、一度リングに上がれば全てが許されるのがプロレスです。これが対抗戦である以上、仕掛けられても文句は言えない。戦いとはそういうものであり、ビジネスとして考えても今回の事件以上の反響はここ数年なかったのは間違いのないことです。その盛り上げかたが気にいらないというのは意見としては理解できますが、はっきり言えば反響ならKENTAの乱入劇を超えたとさえ僕は思っていますし、不穏テイストのプロレスとしては小川vs藤田とは比べ物にならないぐらい出来はいいと思っています。

清宮を未熟と評する声もまた多いのですが、これは本当に清宮の王座戴冠からの王座戦をちゃんと見てるか否かで反応が変わるので何とも……。ただあれは間違いなく神童ですよ。25歳であのレベルに達しているほうがそもそもおかしい話であり、団体の垣根を超えた天才たちの遺伝子のリレーをたった一人でやっているわけですから。

これは以前から何度か書いている今のNOAHに対しての個人的な評価なのですが、いい機会なのでまた書いておきましょう。新日が捨てて絶えて久しくなったマット界という文脈を拾い集めて再構築し、再び歴史として繋ぎ合わせたことに今のNOAHの価値があります。令和の世に武藤というブランドを新しいプロレスファンにも分かりやすい形で蘇らせて、現役の選手と絡ませつつ華々しい引退劇に仕立て上げた手腕はまさにそれでしょう。単なる懐古趣味でベテランを多数起用してるわけではなく、それらを手薄だった世代交代の駒として使いつつ、歴史の継承を果たしているのが今のNOAHのやっていることなのです。本当にNOAHが単なるオールドタイマーなら清宮はベルトを巻いていませんし、現役世代と対等に競わせることで世代を超えた夢の対決を提供し続けているわけですね。その到達点の一つが武藤敬司の引退劇というわけなのです。

清宮海斗がそこで果たした役割とは、そうした歴史のバトンを上の世代との戦いという承認を通し、新世代として歴史を受け継いだことです。武藤敬司と藤田和之。90年代の純プロと格プロの両翼を担った二人を超えることで、今なお残滓のように色濃く残る90年代新日の幻想にケリをつけたわけですから。そして今回、闘魂というイデオロギーを熨斗付きで叩き返すことで、本丸の新日との歴史を接続しにきた。これは忘れ去られた真実の歴史からの、大いなる反逆なのです!(笑)

……まあ冗談はさておき、清宮の魅力ってまさにここにあるのですよ。三沢光晴という憧れの喪失から彼の物語は幕を開け、その懐刀であった小川良成から伝統的なレスリングテクニックを学び、桜庭や青木といったMMAの達人から現代的かつ実践的な技術を体得し、三沢光晴の永遠の恋人であった武藤敬司が壁となり、最後には師となることで彼を鍛え上げ、昭和の香りを色濃く残す人間風車2世との死闘を経験して強さの承認を得て、猪木イズム最後の継承者である怪物・藤田和之を倒し、そして一年前に屈辱を味わわされた2010年代の象徴であり、マット界の中心に君臨し続けた男、オカダ・カズチカに喧嘩を売る……。ざっと書いたので抜けがあったら誰か追加しておいてください(笑)この大いなる物語や盛りまくった属性を見ても分かる通り、清宮海斗はまごうことなき「主人公」なんですよね。ここに果てしなくロマンを感じてしまうというか、ワクワクしちゃうんですよ。

清宮LOVEを長々と書きましたが、抗争としては実のところ語る部分はそんなに多くはなく、ようは、喧嘩を売った。そして売られた喧嘩を買うかどうか?問うているのはそれだけで、ただそれだけのシンプルな話なのです。売られた側はその落とし前をどうつけるのか?ようはそういう話ですね。

オカダ、もとい新日側からすると、すでに相当にリスキーな選択になっているというか、やらなければ当然「逃げた」と後ろ指を指されるわけですし、やるやらない、勝つ負ける以前の話で、オカダvs清宮のストーリーがここまで盛り上がった段階でオリることはできなくなってしまったんですよ。

実のところ一番危惧すべきは、やるかやらないか、勝つか負けるかの話ではなく、このシチュエーションにこそあると思っていて、オカダ世代との世代交代が他団体であるNOAHと成立してしまっていることを一番危惧しなくちゃいけないんですよ。清宮はオカダより一回り下である以上、これはマット界の次代の顔役を決める戦いであり、それ即ち次の時代のバトンはオカダの手から清宮の手にへと渡りかけているということです。ゴールのないマラソンを〜の清宮の言葉は一番真に迫った挑発というか、これからはオカダと清宮が主役という「同時代宣言」なわけですから。他のレスラーが入る余地がないラブコール。あれは凄く重い言葉ですよ。

よしんばオカダとの世代交代劇をやるに相応しい選手を今後新日が自団体で生み出したとしても、それは所詮は団体内の序列の話であり、今回の一戦の熱量を超えるかと言われたらかなり厳しいです。仮にそれができたとしても、その選手の格がその頃にまで成長を続けているであろう清宮と比較して上回っているかと言われたら渋い顔にならざるを得ないでしょう。清宮はすでに同年齢の中ではトップの選手であり、その時点でスタートラインでは負けているわけですから、顔役として格負けしてる可能性すらあるわけです。加えて今回は両団体のファンを巻き込んだマット界を巻き込んだ争いでもあり、スケールが非常に大きいんですよね。つまりここで出る杭を叩いておかないと、今現在トップだとしても、今後トップではいられる保証はどこにもないのですから。清宮が台頭し、ここまで仕掛けてきた時点で、対戦拒否によって頂点であることの証明を保留できる時間は案外もう残されてないかもしれません。オカダも新日も、ここが正念場ですよ。





いかがだったでしょうか?相変わらずべらぼうに長くて申し訳ありません。それにしてもイデオロギーや団体間やファン同士のバチバチを除けば対戦は非常に楽しみで、血湧き肉躍るとはこのことでしょう。こうしてわざわざ別枠でnoteを書くぐらいには楽しみで、どんな試合結果であれ、こちらの想像は軽く超えてくるでしょうね。ではまた対抗戦でお会いしましょう。ではでは。