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書く理由

引っ越しを機に、わが子の思い出にまつわるものをずいぶん処分した。

幼いころから撮りためた大量のフォトアルバムは、子どもらに送ったし、玄関で忘れ去られていた、フリスビー、縄跳び、ドッジボール、魚とりの網、などの無数の遊具も欲しい人たちにもらってもらった。
工作道具、絵の具、クレヨンなど、すでに使わなくなって何年もたっていたものは捨てた。
どれも思い出の品で、本当は処分なんてしたくなかった。
でも、もう使わないものを、私が持っていても仕方ないと、泣く泣く思い出の品々と別れたのだった。

それでも、処分できなかったものが、私の本棚にある絵本たちだ。
極力減らして、30冊ほどにしぼったのだが、これが、最近、私の中で困った存在になっている。

「いつまでも持っていて、どうしようというのだろう?」

時々考えてみるのだが、思いつかない。
いつか、孫ができたら、と思ったりもしたけれど、そんな時はきっと、張り切って新品を買って贈るだろう。
棚の絵本は、読み返すと小さかった2人を思い出してしまうので、ほとんど開けない。
子育ては後悔の塊のような記憶ばかりなので、思い出すのが辛いのだ。

生涯で2回しか経験してないのに、完璧な母を目指したって仕方ないとは思う。
しかし、子どもにとって、あまりにも不甲斐ない親だったという自覚が私を責めて責めて、どうしようもない気分になることはよくある。

私が、絵本を処分しないのは、きっと、それを忘れないようにするためでもある。
ちゃんと、ろくでもない人間だと自覚してないと、いつまでたってもろくでもないままな気がするから。

良い人間になりたいという願いは、半分くらい諦めた。
けれど、せめて、子どもたちにとって「放っておいても安心できるいい親」になりたいと思う。
書いている理由の半分くらいは、それだ。

**連続投稿195日目**


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