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思い込み

この数日、昼夜が完全に逆転していたので、夫が起きる頃に眠るという生活が続いていた。

今日の午前中、松山では粉雪が舞ったらしい。
眠っていて見過ごしたが、驚いた。
瀬戸内では雪なんて降らないと思っていたのに。
思い込みだ。

今朝の七時。
眠る前に、多肉植物たちを日に当ててやろうと外に出したのだが、粉雪が降るほど寒かったとは、かわいそうなことをした。
昼は夜より暖かいはずだと思っていたのに。
思い込みだ。

どうせ誰にも分かるわけない、と眠る直前にうとうとしながら書いたnoteが、思ったより読まれている。
伝わるはずがない。
わたしは異端の人間だから、どこに行っても居心地が悪いのだ、と思っていたのに。
思い込みだ。

実際には、瀬戸内でも雪は降るし、昼間の方が寒いことだってあるし、異端者はとくべつ珍しくもなく、いろんな人が面白がってくれる。

つまり、思い込みって、私が「そう思いたい」ってことなんだろう。
「あれが苦手」「これが嫌い」も、思い込みである可能性もある。(ない可能性だってもちろんある)

私は、母が嫌いだ。
常に世間体を大事にして、外面だけよく、私たち姉弟の「世の中から評価される美点」だけを、ニコニコ褒めてくるところが、本当に嫌いだ。

辛い時、困った時、悲しい時、寄り添ってもらえた記憶が全くない。
どちらかというと、そういう時の私を、母は視界に入れたくないようで、弱さを責められたし、問題を外部に丸投げもした。

高校時代、失恋した私が家で毎日泣いていたのを、母はあろうことか、担任教師に連絡した。
思春期の子どもが、担任から呼び出され
「死のうなんて考えるなよ」
と言われる恥ずかしさ。
私の気持ちを想像できなかったのか、「こんなに娘のことを考えてます」アピールがしたかったのか。
聞いてくれればよかったのに、と思ったが、言わない私も悪かったのだろうとも思っていた。

実家にいた頃、私は自分のことを、母の「良妻賢母成績」を上げるためのツールのように感じていて、そう感じる自分がおかしいのかと思っていた。

しかし、とどめとなる出来事がおきる。
小学生の私が寝ていた時に、父から性的な接触を受けたことを、30年以上経って、やっと母に言えた時、母が言った一言。
「あの人は性欲の強い人だったからねえ」

「なんだ、こいつ?」
と心から幻滅した。
あの時は、まだ、言えば伝わるかと思っていたのだ。
この人とは、永遠に分かり合えないと思った。
子どもをなんだと思っているのか。
私は「傷ついた」と、訴えているんだぞ?

そんなわけで、私は先日、積もり積もったあれこれを一気に片付けようと、母に絶縁を宣言し、引っ越しを機に自宅住所も教えず、電話も着信拒否した。

なのに、スッキリするどころか、逆に気になって仕方ない。

母が嫌いだ、というこの気持ち。
これも、私の思い込みなんだろうか。

**連続投稿686日目**

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