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ヒーターの記憶

12月になってすでに4日もたってしまった。

昨年のこの時期は、「ひとりアドベント企画」をやっていて、毎日、友人知人のみなさまにいただいたお題に沿ってnoteを書く、ということをしていた。
単純に「毎日ネタを自分で考えるより、人にもらった方が楽だろう」と思って始めたのだけれど、全然そんなことはなく、全く知らないテーマについては、調べるというひと手間が増える分、逆に大変だったりもした。
しかも、1日やそこらで、調べられることなんてたかが知れている。
決して面白くはなかっただろうな、と反省したので「今年は、やるならお題をもっと絞ってやってみよう」などと考えていた。
例えば、昭和のアニメについてとか、特撮ヒーローものについてとか。
(どっちもさほど詳しくはないけれど、リアルタイムで見ていた分、アドバンテージがありそうな気がしたのだ)
……なのに、すっかり忘れていた。

だって、暖かいんだもの。
日中は、とても12月という感じがしない。
クリスマスが近づく気配すら感じずにいた間に、12月になってしまった。
失敗した。

しかし、いくら暖かいとはいえ、さすがに夜は冷える。
昨日から、夜だけヒーターをつけている。
実は、このヒーター、娘が生まれる前に、夜間の授乳に際して寒くないようにと買ったものだ。
だから、もう30年選手である。
全く壊れる気配もなく、今日も元気にスチーマーとしても、活躍してくれている。

私の娘は2月生まれで、1年で1番寒い時に生まれた。
なので、極寒の夜中でも、すぐにパジャマをはだけて授乳できるよう、パワフルなヒーターは必需品だった。

音楽は、時々、記憶と密接に結びつくことがあるけれど、ある種の音にもそれと同じ効果があるようだ。
私はこのヒーターの「ゴー」という稼働音や、蒸気が上がる時のスチームアイロンのような「シュンッ」という音を聞くと、両手にあの頃の娘の重みを感じることがある。

生まれたての、鶏ガラみたいだった赤ん坊は、みるみるうちに、むくむく育っていくのだが、新生児の頃は、寒い外界に出てきたばかりで体温調節がうまくできなかったのか、よく泣いた。
私はその度、このヒーターの前で、オロオロしながら乳をやったり、おむつを替えたりしたのだが、2月の真夜中に下半身丸出しにされる赤ん坊は寒いだろうな、私の手は冷たくないだろうかと、いろんなことを心配しては、オロオロに拍車をかけた。

大事な大事な赤ん坊。

今思えば、「冷たい手で触ったくらいで死ぬかいな」と思うのだが、当時は大まじめに「冷やっこい手で触って心臓マヒを起こしたらどうしよう」などと、怖ろしい想像ばかりを頭の中に巡らせて、とにかく一人で命に向き合うのが怖かった。

あれが、生まれて初めて感じた「責任」というものだったんだろうと思う。

あれから娘は成長し、私より背が伸びて、姓も変わった。
それでもまだ、ヒーターの音を聞くたび、あのやせぽっちの赤ん坊が、泣きだすような気がしてドキドキする。

とにかく、生まれた命を生かすことだけで精いっぱいだったあの頃の記憶は、もう、甘いんだか、苦いんだか、自分でもよくわからない。

**連続投稿672日目**

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