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八方塞がっていたか?

陰陽道には、「八方塞がり」と呼ばれる年があるらしい。
厄年とは別もので、どう違うのかよくはわからないけれど、とにかく、新しいことを始めるのには最悪な年らしい。

岩手県伊勢神社 人生儀礼年齢早見表より

ちなみに、女性の場合、19歳と37歳が「厄年」と「八方塞がり」が重なっていて、とんでもなく大変なようだ。

まめに日記をつけていれば、この年が本当に「とんでもなく大変」だったかどうか検証できるのだが、いろいろあった出来事の全てが、忘却の淵に沈んでいて取り出せない。

ただ、19歳は人生初の挫折を味わった年ではあった。
取れるはずの数学の単位を落とし、そのために留年が決定してしまったのだ。
ずっと優等生をやってきた自分にとって「留年」の2文字は、当時は死刑宣告並みの重さがあった。

親になんて言おう。
留年して奨学金がストップする間、どうやってやりくりしよう?
4年で寮を出なくてはならないのに、5年目のラストイヤーをどこで暮らせばいいのだろう?
一通り悩んだが、考えたところで、おきてしまったことは仕方ない。
開き直って、暇なのをいいことにいろいろ手を出した。
サークル、バイト、寮自治会。

わたしの道が塞がっていたのは、主に「進級」という学校に関することだけで、残りの七方はスカスカに空いていて、拍子抜けするほど何をしてもいい自由があった。
八方塞がりだと思ったことはなかった。

37歳はどうだったか?
計算してみると、夫が長い単身赴任生活を始めたのが、この年だ。
子供たちがいれば楽しかったし、毎日、自由しかなかったと思う。
やはり、どこも塞がってはいなかった。

八方塞がりとは、一体どのような状態を指すのだろう。
わたしが鈍すぎて、塞がっている箇所に気づいてないだけだったのだろうか。

おそらく、そうではない。
人生を塞ぐ障害が「障害たり得ない」ほど、現代ではいろんなことが進歩してきたのだろう。
病気、怪我、飢饉、江戸の街を焼くような大火。
いずれも、被害を最小限に食い止める手立てが発明され、実装されてきた。

わたしが留年して、卒業が一年遅れたところで、家族の誰かが死ぬようなことにはならなかった。
学費を余分に支払ってくれた両親には申し訳ないけれど、私にとっては、留年は大した「厄」ではなかったし、その後の人生を塞ぐような大障害でもなかった。

現代では、セイフティネットも発達しているし、八方塞がりはかなり起きにくいのではないか、というのが結論である。

とは言いつつ、見えない何かを信じる気持ちも持ち合わせていないわけではないのが、めんどくさいところ。
「全部見えたらいいのに」とも思うし「それじゃ面白くないじゃん」とも思う。
科学とそれ以外の間で揺れているのが現代人で、グラデーションはあれど、だいたいみんなそうなんじゃないかと思っている。

**連続投稿286日目**

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