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EP『VISION』ディスクレビュー


10月9日にNEW EPをリリースしたフレデリック。
『VISION』と銘打って、世に放たれた3曲入りの本作について紐解いていく。

まず、『VISION』はどうしてこのタイミングにリリースされたのだろうか。
前作『フレデリズム2』を発表してから約半年、来年の2月に控えている横浜アリーナ公演まで約4ヶ月。
そして、『FREDERHYTHM TOUR 2019 ~UMIMOYASU編~』の幕が開ける直前というこの時期。

考えうる理由はたくさんあるが、ここでは私の持論を紹介したい。
夏季に、フェスやイベントなどを通じて(ある意味で)不特定多数の耳に触れることになったフレデリックの楽曲。
「フェスで見てかっこよかったから音源を聴いてみた」という出会い方は、きっと珍しいものではないだろう。
その『フレデリズム初心者』に向けてのメッセージとして繰り出した、というのがまず1つあるだろう。

さらに、非常に強いメッセージ性が込められていた『FREDERHYTHM TOUR 2019 ~リリリピート編~』を終え、ツアーが新たなフェーズに向かっていく上で、フレデリックのバンドとしての指針を見せる、という意味合いも受け取れる。

バンドとしての『覚悟』と言っても過言ではない本作をリリースするという事実そのものの意味を考えていく中で、彼らがある一定の層のみに向けた意味合いを込めて来ることは考えにくいだろう。だって、フレデリックというバンドは、そういうバンドだ。


まぁ何にせよ、フレデリックという罪作りなバンドが新作をリリースする中で、リリース時期が『何となく』で決まっているはずがないよね!という話がしたかっただけなので、この話はそんなに気に留めてもらわなくてもいい。
「どうしてこのタイミングでリリースされたのか?」よりも「このEPには何が込められているのか?」の方がよほど(私が話したいという意味で)重要なので、その話をしよう。

この『VISON』というEPには、一体何が込められているのだろうか?

俗に言う『いい曲』とは、きっといろいろな意味があるだろうが、その中には
『自己投影をすることができる』
というものが確かにあるだろう。
ラブソングでも応援歌でも何でも、
『自分に照らし合わせて聴くことができることで、その曲が自分の中で大切な曲になる』という事実は往々にある。

が、このEP『VISION』に収録されている3曲に、私はその要素をあまり感じなかった。自己投影の余地がない、というのは言い過ぎかもしれないが、『VISION』も『イマジネーション』も『終わらないMUSIC』も、普遍的で聴く者の生活に寄り添った内容を歌っているわけではない。

しかし、自己投影の余地という部分を差し引いても、余りあるほどの『覚悟ある熱意』が本作には込められているように感じる。

フレデリックというバンドが、フレデリズムという音楽が、これからどう在りたいのか、どこに向かって行きたいのか。私は本作が、それを示したナビゲーションのように感じる。
3曲全てに込められた『覚悟ある熱意』を、以下解剖していく。



『VISION』

EP『VISION』の一曲目で、さらに表題曲であるこの曲は、初夏から秋に掛けて様々なイベントやフェスで披露された。(私がレポを書いたラブシャでもやっていましたが、誤ってそのレポを削除してしまったので参考となるページはないです。他の人のレポを見て。)
リリース前からMVの公開や、ラジオでの音源解禁などで耳にする機会が多かったこの曲は、間違いなくフレデリックの歴史の中で大切な一曲になるだろう。

前作『フレデリズム2』の収録曲である『逃避行』を彷彿とさせる、異国情緒漂う音運びのイントロで幕を開ける本作。
イントロやAメロ、間奏では、レトロ感のあるリフがふんだんにあしらわれているが、サビに向かっていくBメロでは近代的な打ち込みの要素が色濃くなっている。
休符を挟んで迎えるサビでは、レトロ感と打ち込みの要素が心地よく混ざり合った音作りが印象的だ。

「昔の音楽が好きな人と、今の音楽が好きな人、その両方を繋ぎたい」

といういつかの言葉が蘇って来る。


『目線 視界良好
今宵は同じ月が見えますか』
という歌詞で始まる『VISION』は、その名の通り、フレデリックというバンドの未来を見据えた楽曲だ。

『期待した未来 理想以上のVISION
見てみたい この目で
この手で確かめて』
『肥大した未来
遮ってしまったVISION
自分次第 この目で
この手で生み出して』
1番では明るく照らされる未来に向かって手を伸ばしていくような印象を受ける。しかし、2番では先の見えない未来を自分の手で切り開いていく『決意』めいたものを感じる。
『もう全部作っちまうさ』と歌っていた当時と、根本は何も変わってはいないだろうが、その伝え方、言葉の選び方には確かな変化を見出すことができる。強さ、(良い意味での)頑固さの中に優しさ、柔らかさが生まれた歌詞が『VISION』の特徴といえるだろう。

『不器用でも希望の世界を
見極めるんだ 今はただ
これから映りこむこの全ては
君の世界だ 問いただして』

先に、
「EP『VISION』に収録されている楽曲には自己投影の余地がない」という話をしたが、決してそれは「楽曲の中に聴く者が登場しない」というわけではない。

『まだまだ見ていない
世界 未来 時代がある
君はどうする
その目と手で確かめて』

『君はどうする』という強い言葉で問いただされている『君』とは、フレデリズムに触れフレデリックの音楽と出会った者達のことだろう。(その意味で『VISION』は“私達の曲”なので、自己投影の余地がないというのは間違いかもしれないね)
いつかの記事でも書いたが、これから彼らの音楽を携えて未来へ突き進んでいくフレデリックと、それを受け取る側である私達の間にある物理的な距離は広がっていくだろう。バンドを応援したい気持ちと、小さな箱で好きな音楽を近距離で浴びたい気持ち。その根元はどちらも音楽を愛するという点で共通するが、結果として相反する気持ちは、きっとどうしようもないファン心理なのだろう。
それでも、確かな言葉で私達に未来を『問いただす』フレデリックというバンドはきっと、これからも(精神的な意味で)私達の側に在り続け、音楽を通したコミュニケーションをしていくのだろう。
私は『VISON』を聴いて、そんな確信めいた気持ちを抱いた。



『イマジネーション』

この曲も『VISON』と同様に、この夏各所で開催されたフェスやイベントで披露された。『まちがいさがしの国』を連想させる、ミドルテンポでギラついたグルーヴの攻撃力たるや、というこの曲。
喩えるなら、一発K.Oの右ストレート、というよりも、ジワジワと効き続けるボディブローを毎秒キメられるようなイメージを持つ。

が、しかし、初めて音源で『イマジネーション』を聴いた時にそのイメージは一変した。
七色の幻、というかもはや薬で見せられた幻覚の如く聴いた者を魅了するイントロ。ジワジワ効いてくるなんてとんでもない。開始1秒でノックアウトだ。完敗。火傷しそうなほどの熱量で歌う健司さんのボーカルも相まって、聴いた者に立ち上がる隙すら与えない。

『自分らしさって何だ? 探し求め
変わらない表情ずっと
変われないならいっそ
新しいシューズ履いて
踏み込めばいい』

まるで胸ぐらを掴まれて言葉を浴びるような感覚。一曲目の『VISION』とはそのスタンスが少し違うことがわかるだろう。
「問いただす」というよりむしろ「音楽で完全降伏させられる感覚」。ほら、だって、恋愛だってたまに乱暴になったり強いところを見せられたりするとグッときてしまうじゃないの。
まぁそれと同じ、とは言わないけれど、この『高カロリーさ』が耳から全身に染み渡っていくのは、きっと一聴していただければ分かるはずだ。

『ひとりじゃ映らない景色に
七色の光が差し込んだ
知らないことがまだあったなんて
なにかが生まれそうだ そうだ』

新しい音楽に出会った時、新しい小説を読んだ時、新しい絵画を目にした時…
えも言われぬ感情が湧き上がってきて、
「私も早く作りたい、生み出したい」
そんな経験がある人がきっといるだろう。万人が経験するに違いない!とは言い難いが、少なくとも私はその経験がある。というか、そんな経験の毎日だ。
その経験は、経験しようと思ってできるものではないだろう。アクシデントのように『出会ってしまって』経験する。
ある意味で『イマジネーション』は、その事故のような出来事を描いているようにも感じる。

『さぁ イマジネーション
イマジネーション
夜が明けるまで
さぁ イマジネーション
イマジネーション
夢が叶うまで
さぁ 触れ合って 触れ合って
さぁ 広がって 広がって』

そんなアクシデントの繰り返しで新たな世界を開拓していくフレデリズム。
フレデリックの未来を描いたEP『VISON』がフレデリズムを広げていく。その波が広がっていった先の、誰も知らないところではきっと今日も、『アクシデント』が起きている。



『終わらないMUSIC』

EP『VISON』の終曲、さらに2月の横浜アリーナ公演の副題にもなった『終わらないMUSIC』。
これまでもフレデリックの楽曲で『終わり』を描いたものは多くあるが、この曲もその1つだ。『オワラセナイト』『CLIMAX NUMBER』。また、「終わらない」という意味では『エンドレスメーデー』や『リリリピート』もそうかもしれない。

『FREDERHYTHM TOUR 2019』の『終わり』を結ぶタイトルとして銘打たれた『終わらないMUSIC』は、どこかもの寂しさを感じさせる楽曲だ。

それは、過分に色付けられていないインストのシンプルさや、
時折散りばめられているマイナー調のメロディ、
派手に歌い上げるシーンのないボーカルや、
壁を一枚隔てた向こう側で歌っているようにも感じられるオートチューンによるアレンジなど、この曲を構成する全てのパーツが組み合わさって、黄金比率の『もの寂しさ』が完成している。


『終わらないMUSIC 僕らのMUSIC
いつまでも離れない
後腐れのないメロディに包まれ
変わらない歌を
終わらないMUSIC 僕らのMUSIC
退屈じゃ届かない
遥か彼方のメロディに誘われ
波に揺られようよ MUSIC』

『繰り返されるフレーズが中毒性を呼ぶ音楽』と称されることの多いフレデリックの楽曲だが、それだけではないことを私達はよく知っているはずだ。
『いつまでも離れない 後腐れのないメロディ』とはまさにフレデリックの音楽のことじゃないか、と私は思う。『退屈』ととられてしまいがちな『リピート』を、あらゆる場所から引っ張ってきた知識に基づいたメロディで色付けて生まれる『フレデリズム』。
その在り方は、これからもずっと変わらないよ、という『覚悟』が、『終わらないMUSIC』からは感じられる。

『正解はどこにある
君の想像で 想像で
偶然に惹かれ合う
君の想像で 想像次第で』
『どこまでもMUSIC 僕らのMUSIC
この歌の主役が変わることはない メロディを求めて
明日の空に歌おうよ MUSIC』

『この歌の主役が変わることはない』『変わることはないメロディを求めて』
この華麗なダブルミーニングにも目を見張るが、その歌詞が持つ『強さ』にもやはり注目したい。
『イマジネーション』とは少し異なるこの『強さ』。
有り体に言えば、酸いも甘いも経験して得た強さと言えようが、それだけでは言い表せない含みがあるようにも感じる。

何にせよ、きっと来年の2月までお預けを食らうであろうこの曲を、そのお預け期間を利用してしゃぶり倒してやろうと思っている所存だ。
『想像次第で正解の場所は変わる』
その意味を咀嚼するためのお預け期間だと思っておこう。そうでないと拗ねてしまうぐらい、この曲は素晴らしい。





EP『VISION』の初回限定盤は、紙ジャケ仕様になっており、開くとEP『VISION』のイメージイラストが描かれている。
楽曲の中に登場したモチーフやジャケットのイラストに通ずるイメージが描かれているのだが、詳細は初回限定版を買って確かめてくれ、という感じなので一点だけ。

遠くに見えるドアの先の光に手を伸ばす二本の手。
その手が、見える『未来』を指し示しているのか掴もうとしているのかは定かではない。しかし、白で描かれている二本の手には今にも消えてしまいそうな危うさを孕んでいる。

そしてその手の先にいる一人の人間。
二本の腕では届かないけれど、四肢を携えた人間ならば、その足で歩いてその手で未来を掴むことができる。
そんな意味を見い出せはしないだろうか。

時に『視界良好』で、時にもの寂しさを感じてしまう道中だけれど、確かな強さで歩いていける。
EP『VISION』は、そんなフレデリックの『覚悟ある熱意』いや、『熱意ある覚悟』がひしひしと伝わって来る一枚だ。




TEXT DĀ


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