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『つまらない歌こそ デカい声で歌ってやろう』



私は、誰かの好きなアーティストがその歩みを止めることがどれだけ大きなことなのかを、今日この日まで何も分かっていなかった。

どこかでバンドが解散して誰かが悲しんでいる。
どこかでアイドルが卒業して誰かが悲しんでいる。

それを見て
「私も残念に思います」
なんて言うのは酷く身勝手だし、そんな気軽に発していい言葉ではないと今までは思っていた。
全くそんなものは実在しないのに
『悲しむ権利』
というものがこの世界には暗に存在していて、
その権利を持っている人が、真に悲しんでいい人なのだと頭のどこかで思っていた。

そして今日、私は晴れて『悲しむ権利』を手に入れた。
2019年11月15日、ロックバンド NICO Touches the Wallsが活動終了を発表した。

偶然、本当に偶然今日の私はNICO Touches the WallsのバンドTシャツを着て出かけていて、駅のホームで携帯の画面を見つめたまま突然泣き出したNICO Touches the Wallsの文字を背中に掲げた女、という図はあまりに滑稽だった気がする。

『このたび、僕たち4人はNICO Touches the Wallsを終了することにいたしました。』

この変えようのない事実に納得したわけでも腑に落ちたわけでもないのに、ただただ涙だけが(あとついでに鼻水も)無残に溢れていった。




こんな日なので、身勝手な自分語りを許してください。
NICO Touches the Wallsがどれだけ勝手で、傍若無人で、そして世界一カッコいいのだと、これを読んでくれた人には知ってほしい。

私がNICO Touches the Wallsに出会ったのは、高校1年生の頃。
きっかけは、隣の席だった男子が
「NICO Touches the Wallsって知ってる?」
と聴いてきたことだ。
「知らない」と答えた私は律儀にその日の帰りにTSUTAYAでNICO Touches the WallsのCDを数枚借りて帰った。
だって、好きな人の好きな曲は聴いておきたいと思うでしょ。

彼に勧められたのは、
『妄想隊員A』と『N極とN極』の二曲。
今考えると、この二曲を勧められていた時点で私の失恋は決まっていたような気がする。

「君のためなら死ねると言った
僕はなんだかダメだよ」
と歌う『妄想隊員A』

「僕はN極 君と同じ
僕らはお互いこんなに似てるのに
大人になっても もう遅いんだろうな」
と歌う『N極とN極』

セーラー服姿の私は、この二曲を何度も何度も繰り返し聴いて、私と彼に重ねて涙を流した。
私とNICO Touches the Wallsの出会いはそんなありふれたものだった。

大学に入って、ついぞ叶うことのなかった恋を未だ燻らせていた私はほとんどヤケみたいな気持ちでNICO Touches the Wallsのライブに行った。(もしかしたら彼に会えるかもしれない)なんて不純な想いを抱えたまま向かった2017年のニコフェストで、私はまた恋に堕ちた。
彼が好きなバンドだとかもうどうでもいい。私はNICO Touches the Wallsが好きなのだと、そう確信した。
幕張の大箱のほとんど一番後ろで聴いた『Ginger Lily』が今でもずっと鳴り止まない。その場にいた誰もが初めて聴く新曲として公演の一番最後に披露されたこの曲。初めて生で聴くみっちゃん(Vo.光村龍哉)の歌声は、音源の何倍もの迫力で体の奥底まで届いてくる。初めて聴く曲なのに、歌詞が一言一句聴き取れるのだ。そんな声で大切に言葉を発する人を、私はみっちゃん以外に知らない。

「夢が絡まってる
未来は今日を待ってる
つまらない歌こそ
デカい声で歌ってやろう」

初めて見るアーティストの初めて聴く曲で涙を流すなんて思ってもみなかった。けれど、確かに目尻は濡れていた。
耳が多幸感で満たされたまま夢見心地で歩いた帰り道を、私は今でも覚えている。


NICO Touches the Wallsと出会ってから、たくさんの音楽や人に出会ってきた。
NICO Touches the Wallsと出会っていなかったら、私はこんなに音楽に心酔することはなかった。
NICO Touches the Wallsと出会っていなかったら、私はこうして筆を取ろうとも思わなかった。

NICO Touches the Wallsと出会っていなかったら、こうしてこの文章を読んでくれているあなたとも出会うことはなかった。


けれど、
あのニコフェストで私が恋に落ちなければ、
全然小まめに連絡をくれないバンドの運営に悶々とすることもなかったし、突然発表される新曲やMVに心を振り回されることもなかった。
それはそれは健全に、遊び呆ける大学生になっていたことだろう。そんな未来の可能性をかっさらって、それで突然

「壁」はなくなった!

だなんて、やっぱり身勝手で傍若無人だ!と思う。思ってしまう。
けれど、それにしたって私はNICO Touches the Wallsを愛することをやめられない。


先ほどは、便宜上『突然』という言葉を使ったが、決して彼らの活動終了は『突然』ではなかった。

SWEET LOVE SHOWERに出演してから音沙汰なくなったSNSの数々。
あまりに意味深な『18?』のMV。
迫りくる記念日の11/25(イイニコの日)。

NICO Touches the Wallsを愛してしまった人達の頭の中にはきっと共通認識として、彼らが何らかの形で活動に終始符を打つシチュエーションがよぎっていたはずだ。
けれど、
「そんなことない、大丈夫大丈夫」
と言い聞かせて11/25が来るのを待っていた(はず)。

発表のタイミングは青天の霹靂だったが、内容は決して想定外のものではない。

それが尚更、『悲しむ権利』を強固にするのだ。
NICO Touches the Wallsならこうするだろうな、というのが分かってしまうから、納得せざるを得ないのだ。

『悲しむ権利』はきっと誰にでもある。
ワンマンに行ったことがなくても、アニメの主題歌になった曲しか聴いたことがなくても悲しむことは誰にも許されている。
けれど、彼らの音楽とバンドとしての生き様に寄り添って、
『わかってしまう』人だからこそ分かる悲しみは確かにあるのだ。優劣ではない。ただ『わかってしまう』から人一倍悲しい。
それが『悲しむ権利』の正体なのだと、当事者になってやっと理解することができた。悲しい哉、きっとこれは本当に当事者にならない限り分からないのだろうな、とも思った。
悲しんで悲しんで、それでも音楽と向き合い、愛する人はきっと強い。
悲しみを『わかってしまう』人の言葉はきっと強くて優しい。そう信じていないとやってられない。



そう。

活動を終了した、ということは
私はもう二度とNICO Touches the Wallsのライブレポートを書くことはできないのだ。そして、どれだけ頑張って努力をしてもNICO Touches the Wallsのインタビューをすることはできないし、私が書いたNICO Touches the Wallsの新譜のディスクレビューが誌面に載ることはない。
活動を終了するとは、そういうことなのだとこうなって初めて気が付いた。
叶えたかった夢が叶わないまま死んでいく。
どうしようもないけれど、それがどうしようもなく悔しくて悲しい。

そして、
『NICO Touches the Wallsを終了することにいたしました。』
という言葉。
活動休止でもなく解散でもない。終了する、というこういう場面では少し聴き慣れない言葉だ。

NICO Touches the Wallsはなくならない。
けれど、NICO Touches the Wallsは終わる。NICO Touches the Wallsという姿のまま墓に入る、ということだ。
休止でないから再開もないし、解散でないから再結成もない。
大好きだったNICO Touches the Wallsはなくならないけれど、NICO Touches the Wallsは終わる。
散々私達の心を振り回してきたNICO Touches the Wallsは最後にとんでもない呪いを残していった。

きっと、この悲しみの深さは時間と共に浅くなっていくだろう。
けれど死ぬまで、いや、音楽を手放すまで、決してNICO Touches the Wallsを忘れることなんて許されない、そんな呪いを残していった。
忘れることなんてできるはずがない。
目に、耳にこびり付いているNICO Touches the Wallsの音楽がいつまでも鳴り止まないように。NICO Touches the Wallsからの最後のメッセージはあまりに残酷で、あまりに愛おしい。


『さあ。
「壁」はなくなった!
一度きりの人生、どこまでも行くよ!』

そう締め括られる、NICO Touches the Wallsからの最後のメッセージは言葉の選び方から、どう見てもみっちゃんが書いたメッセージだが、NICO Touches the Wallsというバンド名の後には4人の名前が記されていた。
こういう時、メンバー一人一人からのコメントを発表されるのが常だが、彼らは違った。それもNICO Touches the Wallsらしいではないか。

「みっちゃんの言葉はNICO Touches the Wallsの言葉」

そんな3人のこれまでの姿勢は決して惰性ではない。
この世界にいる誰よりも光村龍哉に惚れ込んでいる3人からの愛がそうさせるのだと思うから、やっぱりNICO Touches the Wallsを愛することをやめられないのだ。

「壁」はなくなった、という言葉。
バンド名にあるWallsから来たものだが、一見すると酷く残酷なように感じる。
まるで、バンドが足枷だったかのようにも受け取れる。

しかし、NICO Touches the Wallsはなくならない。
なくならないまま、終わる。

これまでずっと「壁」触れて、向き合い続けて来たNICO Touches the Wallsはついに「壁」を打ち壊した、

と私は思う。
「一度きりの人生、どこまでも行きます!」
ではなく「行くよ!」なのは、「君たちも一度きりの人生なんだからどこまでも行けよ!」の意図だと思っていたい。


二度と叶わない夢があって、
大好きなバンドが終わっても寝て起きたら明日が来る。

なんだか、生きてる意味なんてないような気がしてくる。
こんなふうに文章を紡ぐことにだって、なんの意味もないような気がしてくる。

それでも『一度きりの人生』なのだから、どこまでも行こう。

NICO Touches the Wallsそんな死ねない呪いを最後に残していった。



私事の、
つまらない話こそ、デカい声で紡いでやろう!

涙で思いが滲む前に立ち直れるように、悲しみを知っている人は強いから。




『NICO Touches the Walls
(SWEET LOVE SHOWER 8/31@LAKE SIDE)
 
 「雨止んだじゃねえか!馬鹿野郎!」
Vo.光村の雄叫びで幕を開けた、LAKE SIDEのトップバッターNICO Touches the Walls。懸念されていた天候にも恵まれ、厚い雲の隙間から太陽が顔を覗かせる中、『手をたたけ』『THE BUNGY』とキラーチューンが観客の手拍子も相まって、雨雲も吹き飛ばすパワーで奏でられた。
エレキギターをアコースティックギターに持ち替えて、続く曲は『夏の大三角形』。時折、山中湖から涼しい風が吹く会場に心地よく馴染むバラード調のアレンジがなされたこの曲は、エレキギターを掻き鳴らす普段のNICOとはまた一味違う姿を見せた。

MCで光村は6月にリリースしたアルバム『QUIZMASTER』への想いを語った。
「こういうアルバムをいつか作りたいという思いがデビュー当時からあった」
もし気に入ったら聴いてみて下さい、と付け加え収録曲の『MIDNIGHT BLACK HOLE?』を披露した。
それまでの曲とは打って変わって重厚な低音と悲痛な叫びが際立つこの曲では、会場中を巻き込む津波のようなセッションが観客を覆う。
その余韻を切り裂く鋭いギターフレーズが印象的な『Broken Youth』。“とっちらかった感情で切り開けよ/壊れそうで壊せない僕らの勝利”そう歌う光村も、その歌声を支え彩るBa.坂倉、Dr.対馬、Gt.古村も、その表情は清々しいほどの笑顔だった。
音楽を始めた初めから抱えていた一つの夢であるアルバムを完成させた彼らは、最後にその証である曲『18?』を奏でる。
熱気に包まれるステージ中央で光村は、アコースティックギター一本で歌声を響かせた。『どうして夢を見るの?』その問いかけにドラムとベースが生むグルーヴ、丁寧に楽曲を彩るギター、澄んだコーラスが次々に重なり、重奏は次第に大きなうねりを作り出す。
この日のMCでの光村の言葉を借りて言えばこのステージは、『ロックンローラーとして生き続ける意地』が生んだ『QUIZMASTER』というアルバムが彼らの行先を明るく照らすものであることを、NICOの音楽を愛する観客と共に確かめたものだ。薄雲から顔を覗かせる太陽が照らすものはきっと、山中湖畔だけではないだろう。』


TEXT DĀ




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