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別子銅山&竹田城は過去文明の痕跡?

認識する世界の転換


前回の鉱山跡もそっくりさんだらけ記事を書いた後,

さらに調べていると次々とと新しい発見がありました。

けれども、過去の文明・タルタリアの構造物の特徴を知らなければ、

ー明治時代の日本は意外にすごかったのねー

という程度の認識で終わってしまったと思います。

タルタリア(タータリア・タータリー)について御存知のない方は

とりあえず下記の記事に目を通してからお読みいただくと

今まで私たちが認識していた世界とは全く違う世界が見えてくると思います。


城壁や石垣についてはこちらを参考に


別子銅山は東洋のマチュピチュ


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新居浜life様からお借りしました。

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伊予ネット様から

別子銅山の東平(とうなる)地区です。

タルタリアの歴史的建造物・スターフォート(星形城塞)を見慣れてきた方なら、なんだ~これは?!!となるのではないでしょうか?

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旧端出場(はでば)水力発電所(登録有形文化財)
明治45年(1912)建設。当時、わが国最大級の出力を誇り、山麓の端出場から遠く四阪島製錬所まで、海底ケーブルで送電。

赤レンガと赤白のタルタリア仕様の建物ど真ん中です。

煉瓦は蓄電効果があるそうです。

全国に残る発電所の遺構には赤レンガのものが多くあります。

それにしても 明治時代から海底ケーブルで送電?!!ですか?

ほんまでっか?


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これは北海道三笠市にある旧北海道炭礦汽船幌内炭鉱変電所


別子銅山に戻ります。

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別子鉱山鉄道 下部線(下部鉄道)跡
国領川渓谷沿いには、山裾を縫うように走った下部鉄道軌道跡が残り、往時をしのぶことができる。写真は物言嶽(ものいわだけ)トンネル。廃線跡には現役の坑水路が通る。(※一般立入禁止)

またしても赤レンガのトンネル。


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煉瓦にところどころ十字の穴が開いたお洒落な壁です。

旧別子にある接待館跡
旧別子には、料亭や醸造所、劇場、気象観測所もあった。今も山中に多くの石垣やレンガ塀の遺跡が残り、静かに往時の栄華を語っている。

今も山中に多くの石垣やレンガ塀の遺跡が残る~って

東洋のマチュピチュではなく、タルタリア時代の城塞都市だったのでは・・・(^^;

採るもの(銅)だけ採ったらあとは放置・・・

なんてことを連想してしまいます(^^;

*画像と引用文は新居浜Life様からでした。


竹田城は日本のマチュピチュorスターフォート?

次は兵庫県朝来市の竹田城

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観光ジャパン様より

こちらは日本のマチュピチュと言われていいて、幻想的な雲海に浮かぶ城としても有名な竹田城です。

この石垣の角の正確な連続は明らかにスターフォート・星形城塞を思わせます。

私としては雲海はどうでもよいから竹田城の全景・全貌がしっかり見せてという感じですが、そこは抑えたこちらを


映像を見るだけではよくわからないところも多いですが、

石垣といい、この城全体のありようと言い、高度な技術を感じます。


おまけ 大分の岡城

竹田城を調べていたら、大分の竹田市の岡城も発見しました。

こちらも見事な断崖絶壁のような石垣

これを江戸時代に造る事ができたのなら、現代はもっと違っていてもいいと感じてしまいます。

そもそも江戸時代というものがあったのか・・・

私は武士が登場し、戦国時代~江戸時代の約千年分の歴史は、

無理やりぶち込まれた・・・?ような気がしています。

けれども、結論は急がすに、日本に現存しているものを

じっくり楽しみながら調べていきたいと思います。

感じること、他情報などコメント下さるとうれしいです。


本日もお読みいただきありがとうございました。










どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。