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奈良はローマ・アジア・タルタリアの交流の地?

シルクロードの終着点?

奈良・東大寺そばの正倉院は、『シルクロードの終着点」と言われてきました。

遠い昔に大陸から海を渡り、いろいろな宝物が運ばれてきた

ということになっています。

とてもロマンティックな話ですが、

タルタリアという広大な国があったことを知ってしまうと、

シルクロード?それ何?ってことになりますね。

まして日本がタルタリアの海軍拠点だった可能性があるならば、

保管されている宝物も何なの?ということになります。

正倉院の管轄は宮内庁です。

タルタリアに関して御存知でない方はこちらを

奈良・京都の巨大な木造建築

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京都 南禅寺三門

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奈良 東大寺南大門

大きいですね、何の疑問も持たなかったときは、

すごいな~おおきいな~ぐらいにしか思わなかったのです。

門をくぐって横木(?)をまたぐのにとても違和感を感じます。

気合い入れて、どっこいしょとならないとまたげません。

最近、バリアフリーの建物や乗り物が増えていますが、全然バリアフリーじゃない(笑)

けれど、巨人の存在を知ってみると、これは大きい人が造った

大きい人用のものではないかと考えるようになりました。

奈良はローマ・アジア・タルタリアの交流の地だったのではないか?

巨大な寺と呼ばれる木造建築は、京都、奈良に集中しているように感じます。

他を知らないだけかもしれませんし、破壊されたり、焼失した可能性もあると可能性もあると思います。

上の記事で触れていますが、巨人たちは指導的立場にあったと考えると、巨大な寺も西洋の教会と呼ばれる石の建造物のように学ぶ場所であったのかもしれません。

世界的な統一政府は、その後、ローマ・アジア・タルタリアに分割され

そして大きい人はいなくなり中ぐらいの人が、支配するようになっていったようです。

日本は海に囲まれた島ですから、どこ地域からも大量の物資や人が船でやってくるには便利な国だったと思います。

ということは、各地域の人々や文化が集積する場所でもあったと思います。

奈良には、タルタリア様式・ローマ様式・アジア様式がミックスされたように感じる建物があります。

特に感じるのは旧国鉄奈良駅

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瓦屋根が後からとってつけた感がなく、最初からこうだったのでは・・・・

と感じます。

聖徳太子とは誰か?&『和』の意味

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奈良 法隆寺の売店で購入した一筆箋

この図柄の元は

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国宝 四騎獅子狩文錦

遣隋使が持ち帰り、聖徳太子が自身の御旗としたとされます。

フェノロサと岡倉天心が夢殿の厨子を開いたときに発見、

縦250×横134の布で、ベニバナの赤や藍色の青など原色を多用した華やかなものだったといわれます。

法隆寺所蔵とされていますが、売店の方の話ではなかなか公開されず、自分達も見たことがないと話されていました。

ペルシャの影響を受けていると説明されていますが、それは本当だろうかと思います。

日本はタルタリアの海軍拠点だった の記事で取り上げたこの動画

最後の方、29分20秒に日本の皇帝とされる画像がでてきます。

頭にターバンを巻いたいわゆるトルコ風の衣装を身に着けています。


四騎獅子狩文錦の騎馬の人物と服装などの特徴が似ていると思います。

タルタリアの騎馬兵(将校くらい?)はこんな様相だったのかもしれません。

さて聖徳太子ですが、昨今、いなかった説も登場し教科書からもなくなります。

法隆寺にある聖徳太子の等身象とされる救世観音(178,8cm)は500ヤード(457m)の布でぐるぐる巻きにされていたそうです。

さらに、仏像の背面がくりぬかれ空洞になっており、光背が 直接後頭部に打ちこまれています。

私は、タルタリアと同じように徹底的に封印されていると感じます。

聖徳太子とは、タルタリアとしての日本の皇帝・もしくはタルタリアから派遣された日本担当の執政官 のような人ではなかったかと思います。

彼の主張した『和』とは、分裂してしまった世界、

ローマ・アシア・タルタリアの和 を説いたものではなかったか、

と思うのです。

現在 聖徳太子1400年記念展が開催されています。

このポスターにある像は、法隆寺の百済観音堂を中心とする大宝蔵院の見学順路の一番最後にありました。

中心は百済観音像で、内部は空調設備があって撮影禁止でした。

この扱いはいったい何だろうと思います。

タルタリアの存在を知った今、聖徳太子(この名は後付けだと思いますが)

は1400年前の人物とは、到底思えないのです。


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法隆寺 東院 夢殿(八角円堂)の救世観音

本日もお読みいただきありがとうございました。


どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。