見出し画像

統一教会追及とヘイト・クライムの今 ──アメリカ政府の視線

加藤文宏

信者たちに人権はないの声

 筆者は1980年代の大学構内での統一教会による布教活動だけでなく、90年代の著名人をめぐる信仰と脱会の騒動を目の当たりにして、この宗教に批判的な立場をとってきた。仏教徒でありながら短い期間だったが神学に触れた身としては、納得がいかないことばかりだったのである。そのうえで旧統一教会(家庭連合)の信者、信者二世、三世、信仰を継承していない家族を取材した。信者ら関係者の発言と物腰から、教会の体質が変化しているのがわかった。

 旧統一教会の献金といえば、破産するほどの大金を上納させられて身を滅ぼすイメージで語られているが、訴訟数が急激に減少して皆無になったのでもあきらかなように、コンプライアンスが格段と向上している。そして、教会の変化が確実に信者たちを変えていた。そもそも破産者ばかりなら教会が維持できないはずで、訴訟が頻発していた背景は後述する。

 家庭連合の職員からも話を聞いた。

 職員らを圧迫しているものは、昨年の夏以来の旧統一教会を追及する報道や政治の動きであり、呼応して快哉を叫ぶ人々の声であるのはまちがいない。だが、これら以上に反論を黙殺するメディアとの関係に教会は苦しみ、虚像が拡大されていくいっぽうの状況に戸惑っている。

 このように書くだけで、「被害者はもっと苦しんでいるぞ」と言い出す人たちがいる。旧統一教会(家庭連合)には発言権はおろか信教の自由なんてないというのだ。旧統一教会が政治家を通して日本を支配しているかのような陰謀論を信じていない人々も、このように確信しているケースがあまりに多い。

 口を封じられたのは職員たちだけでない。

 マスコミに登場する信者家庭の子供たちとは意見を異にする二世らがいる。彼らが開催して登壇したシンポジウムは、大手マスコミ各社に取材されたもののまったく報道されなかった。マスコミに取り上げられ発言している信者家庭の子供たちは、元テレビ局Aの職員でのちに番組制作会社を設立してワイドショーに関わった人物によって集められ、あたかもマネージメントされるかのようにメディアに登場している疑いがある。報道機関や番組制作と一体となった証人集めが、異なる意見や批判を封じているのではないかと考えざるを得ないのだ。

 反論が封じられて、マスメディアに流れる情報が一方的になった影響は大きかった。

 旧統一教会追及の不自然さを問い続けてきた筆者は、教会の信者、広告塔とレッテルを貼られた。揶揄だけでなく脅迫もあいつぎ、ある界隈に「あいつと関係するな、取り上げるな」と怪文書がまわされたと聞いている。とうぜん仕事は撃滅し、身辺を守る必要にも迫られた。信者とは別の窮地に立たされたのだ。似た状況に置かれた人たちも多かったであろうし、気配は世の中に伝わり口は災いの元と沈黙した者もいたことだろう。

 こうして統一教会日本支配説があたりまえのように信じられ、幾多の宗教のなかで家庭連合だけが解散請求の標的にされていった。そして「被害者はもっと苦しんでいるぞ」に代表される、教会と信者に対してなら何を言ってもやってもよいとする風潮が常識とされるまでになったのである。

注[当記事では家庭連合を旧統一教会と表記するが、現在の教会が行ったことを明示する必要があるときは文脈に応じて家庭連合または両名称を併記する]


高齢女性の信仰を巡るできごと

 ある高齢女性の信仰をめぐって発生したトラブルの顛末を語る家庭連合職員の口調は、やりきれなさに満ちていた。

 高齢女性信者が心身のおとろえによって生活に差し障りが出たため、包括支援センターの助けを借りることになった。ここまでは信者にかぎらずいたるところでみられる光景だ。しかし、この際に彼女の預金通帳を見たセンター担当者が支出に懸念を抱いて、全国統一教会被害対策弁護団に相談した。弁護団はセンター担当者とともに高齢信者宅に出向いて、女性信者が事情をよくわからないままであるにもかかわらず代理人契約を結ぶに至った。献金額は生活を脅かすような莫大なものではなかった。それ以前も以後も、彼女は教会が催す集会に参加していたのだから信仰心がなくなっていたわけでもない。事態を知った周囲の信者が、当事者の意思を確認のうえ弁護士への解任通知を取りまとめて提出した。

 あらましを書き出しただけでも複雑だが、一つひとつのできごとはさらに難問ばかりである。しかも高齢者の特性を知っている者にとっては、これまでに経験したさまざまなトラブルを彷彿とさせられるできごとのはずだ。

 福祉の支援を受ける人であっても、その人の意向は大切にされなければならない。だが包括支援センターの担当者が当事者の意思を確認しないまま、さらに教会ではなく対策弁護団に連絡をとった背景には、旧統一教会を会話や交渉が成り立たない巨悪とみなす意識があったはずだ。担当者とともに弁護士が自宅を訪問したことで女性信者は警戒を抱くことがなかっただろうし、「面白いからやってみたら?」や「お金が戻ってくる」という言葉で誘われたという。社会的な信用を背景にした人たちから圧倒されたかたちだ。脱会の手続きが進められているのを知った高齢女性信者は驚き、そのつもりではなかったため狼狽している。

 以上の事情から、相手側弁護士解任へ動いた信者や家庭連合を悪質であると決めつけられるものではない。また教会は献金を止めていて、金銭に執着していないのがわかる。

 だが対策弁護団は会見で、家庭連合側が一方的に解任通知を作成して提出したと発表し、これに報道も従った。いっぽう家庭連合の弁明を伝えるメディアはなかった。「常に統一教会が悪い」「やめさせられるなら、そのほうがよい」が前提や常識となっている証左だ。


アメリカ国務省が言及した問題

 高齢信者をめぐる一件は、家庭連合の信者に棄教を強制し、献金の返金を求める活動と共通するものがある。

 家庭連合が統一教会を名乗っていた1960年代から現在まで、信者が拉致監禁され棄教を迫られるできごとが続き、同教会からの被害者は4300人にのぼるとされている。棄教の強制を行ってきたのは脱会業者とキリスト教の聖職者などだが、拉致や監禁を正当化する雰囲気を生み出していたのが「信者はマインド・コントロールされた状態にある」とする世の中の認識だった。信者は正常な判断能力を失い、本人の意向で信仰しているのではないとする見方だ。前述のできごとでは、高齢で福祉の手を借りる人の信仰心はあてにならないとされた。

 マインド・コントロールは精神医学や心理学や法学で定義された概念ではない。マインド・コントロールされた状態を証明するのは不可能で、その人の信念が宗教で変わったとすると、これは宗教的回心にすぎないといえる。宗教的回心まで否定すると、基本的人権である信教の自由に抵触する。このほか頻繁に使用されるカルトという呼称は、宗教上のある側から見た異端を示すものにすぎない。たとえばキリスト教にとっては隠れキリシタンのマリア観音信仰はカルトであるし、青森県戸来村にキリストの墓があると語られるのもカルトである(厳密にはニカイア信条他の基本信条から逸脱しているものが異端視される)。当のキリスト教もまたユダヤ教にとって異端であったため、イエス・キリストは処刑されている。

 たとえ余人にとって信心が変なものであると感じられても、未知の宗教とはこうしたものであり、異教徒からしたら神道や仏教を反映した人々の生活や思考もまた奇妙奇天烈なものだ。筆者が仏教徒として色即是空に真理を見出し、ぼんやり功徳について思い、菩提寺の仏像に手を合わせるのをマインド・コントロールによるものとされては困るように、家庭連合の信者たちも自分たちの信念や習慣をマインド・コントロールで説明されては迷惑きわまりないだろう。しかもマインド・コントロール認定は内心の自由と、本人の意向への侮辱であるだけでなく、棄教を強制されるとなれば人権侵害である。高齢信者の例では、加齢とともに心身が弱った人の尊厳にかかわる問題として考えなければならない。

 日本が批准している国際人権B規約20条2項は次のように定めている。

差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。

 根拠のないマインド・コントロール呼びも、カルト呼びも、これらを用いた日本支配説も、棄教の強制も国際人権規約に違反している点は注意したい。もちろん拉致監禁は犯罪である。しかしテレビ番組で拉致監禁を問題視したタレントの太田光を、他の出演者が吊し上げるできごとがあったのは記憶に新しい。しかも他のメディアまでもが太田を「統一教会の御用芸人」などと一方的に決めつけたのである。

 これらを、あたりまえなことではないとしたのがアメリカ政府だった。

 アメリカの国務省が2023年5月15日に『2022 Report on International Religious Freedom: Japan(2022年信仰の自由に関する国際報告書: 日本に関する部分)』を公開した。

 報告書では、日本におけるウイグル人やロヒンギャ族迫害問題とともに、安倍晋三元首相暗殺事件を端緒として旧統一教会追及がはじまった経緯が取り上げられ、信者への攻撃つまりワイドショー劇場とカルトの専門家から発生したトラブルが説明されている。家庭連合は「安倍首相が暗殺されて以来、信者が攻撃、暴行、殺害予告を受けた」と証言し、国際NGOであるCAP-LC (良心の自由のための団体と個人の連携)が旧統一教会が「不寛容、差別、迫害キャンペーンの被害者となった」と報告した内容を掲載した。旧統一教会とCAP-LCに対して思うことがあったとしても、信教の自由に関する報告書に意見が記載された意味は重い。

 前記した太田光の吊し上げでは、いわゆるカルトの専門家とされる弁護士の紀藤正樹氏、当時国会議員だった有田芳生氏、ライターの鈴木エイト氏が、信者に棄教を強制する拉致監禁を支持している。統一教会追及の急先鋒だったワイドショー『ミヤネ屋』で宮根誠司氏は、スタッフに家庭連合の信者がいないか調べなければならないと言った。信者らは、こうした言動に怯えるだけでなく、実際に「信者ではないか」と聞かれたり、取引先から商談を断られた例があると証言している。市議会で「旧統一教会および関連団体と一切の関係を絶つ決議」を可決した富山市を、信教の自由を侵害するものとして提訴した男性信者が報道で顔にぼかしをかけ仮名を名乗らざるを得ない点に、信者が置かれた危機的状況が集約されているといえる。

 旧統一教会への当然の区別として、教会と信者に対してなら何を言ってもやってもよいとする風潮が常識とされているのが異常なのだ。その異常さに向かって、説明や反論をする機会を抹殺した社会は危うい。特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる、嫌がらせ、脅迫、暴行等の犯罪行為「ヘイト・クライム」を正義として疑わない社会が健全であるわけがない。


門柱、プラモ、改造車、献金

 安倍晋三元首相暗殺事件をきっかけにして旧統一教会が日本社会で注目される二十年ほど前のことだ。酒の席で「親が寺に門柱と敷石を寄進してしまった」とこぼす人がいて、これを聞いた人が「うちなんか毎年神社に奉納しているし、お祭りになると酒や食べ物をたくさん寄付している」と言い出した。いったい何百万円かかったかわからないと二人は嘆き、これだけのお金があればアレも買えた、コレもできた、相続だってできたと愚痴が止まらなかった。

 夫のプラモデルをすべて捨ててしまった妻が話題になったとき、脳裏によみがえったのが酒場での話題だった。この妻にとってプラモデルは、酔っ払いにとっての門柱や奉納金と同じ無駄なものでしかなく「こんなものにお金をかけなければ……」と苛立っていたのだろう。その後、旧統一教会(家庭連合)の現役信者や二世、三世を取材するなかで、話題が献金問題におよんだとき連想されたのも酔っ払いの愚痴だった。

 旧統一教会(家庭連合)二世のAは「破産するような献金はしないし、あたりまえだけどできません。それでも献金するなんて信じられない、もったいないって人がいるのはわかっています。10,000円だって、1,000円だって言われると思います。この人たちも戒名代とかいろいろ払っているはずなんですが」と言い、教会一世のBは「車に大金を注ぎ込んでいる家庭を知っていますが、車の値段に改造費とものすごいことになってます。自分には理解できませんけど、どうこう言うつもりはないし、改造ショップも悪くないでしょう。でも家庭連合は悪人みたいに言われました」と嘆いた。

 二人にそれぞれ酒場の愚痴とプラモデルを捨てる妻について話題を振ると、二世問題のすべてではないが確実に一部と共通しているのではないかと答えが返ってきた。破産するような献金やネグレクトでもないのも、これらの家庭と同じだという。

 またBは「寺に寄付した親が、監禁されて、改宗させられて、寺にお金を返せと裁判を起こされたら、世の中の人もおかしいと思うはずです。親や兄弟が脱会屋を使って信者を拉致監禁しようとするのは、こういうことなんです」と言った。

 「わかってもらえるでしょうか」と尋ねるBに、「わかる人は、もう『壺』とも『ずぶずぶ』とも言っていないと思いますよ」と答えたが、何ひとつ救いになっていない。

 正義と思い込んでヘイト・クライムに加わる人々は聞く耳を持たない。こうした人々を生み出したのが、アメリカの国務省が報告書にまとめた「不寛容、差別、迫害キャンペーン」だった。共産党は追及が旧統一教会との最終戦争であったのを認め、ワイドショーにとっては視聴率のため、いわゆるカルトの専門家にとっては各自の思惑のためキャンペーンが展開されたのである。


 


会って聞いて、調査して、何が起こっているか知る記事を心がけています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。ご依頼ごとなど↓「クリエーターへのお問い合わせ」からどうぞ。