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社会運動の快楽(母という存在から)

━━あの人はなぜ反ワクチン運動に駆り立てられたのか

著者:X、ハラオカヒサ

はじめに

この大変なコロナ禍に、あの人はなぜ陰謀論に取り憑かれてしまったのか、あの人はなぜ社会全体にワクチンを打つなと叫びつづけているのか。これまで数回にわたり論考してきました。

今回はタイトルにあるように「母親」という立場に注目し、社会運動を通じ思考や言動が先鋭化して周囲の人々との関係が崩壊するケースと、なぜそこまで進むのか社会運動で得られる報酬としての快楽を考察します。

コロナ禍にあってワクチン接種を拒み、非科学的な主張を根拠にしている人を取材すべく接触を重ねてきました。この人物から取材を拒否されインタビューを取れなかったものの、交渉の過程でさまざまなことがわかりました。

これとは別に、被曝デマ(原発事故後に流布された健康被害を煽るデマ)の影響で自主避難した人々と支援団体の貴重な情報がFさんから提供されました。この情報は、これまでXとハラオカヒサが関わってきた自主避難者問題の複雑さを別角度から証言したものでした。

ワクチン忌避と自主避難者問題。両者はまったく別ものですが共通項があまりにも多いのです。

前述のワクチン忌避の人物はふたりの子を持つ母親だったのもあり、原発事故で母親をターゲットとしてさまざまな危機感が煽られたのを思い出さざるを得ません。また背景に活動家がいて勧誘され運動に参加しているのも似ています。

そして家族のなかで父親が孤立し、母子から置き去りにされるのも共通しています。

母親だから古臭い良妻賢母でなければならないなどということはありません。社会運動だろうと政治だろうとやりたいことをすべきでしょう。

ただし非科学的な主張で運動を展開したり、運動の手段が不適切で社会に不利益を与えるとしたら問題ですし、自分以外の誰かを傷つけて顧みないなら社会を変える行動以前の話です。

社会を自分が理想とするかたちに変えるのはとても気持ちのよいものと想像されます。これまでに陰謀論の虜になった人たち、デマを信じ切って拡散した人たちを観察してきましたが、やはり原動力は報酬としての快楽でした。そして陰謀論やデマを信じ切った人々には社会を変えるという意識がありました(まったく社会変革の意識がない人もいますが)。

社会運動の原理と陰謀論を分かつものは、とても小さく微妙なものかもしれません。すくなくとも筆者は一言で説明できませんし、だからこそ今までの論考と今回の考察が必要だったとも言えます。

当記事によって、紹介した活動や母という属性に限らず何らかの普遍性を見出せるのではないかと思います。

なお当記事は社会運動をすべて悪と断定するものではありません。事例に登場する人物が、特定の社会運動に参加している人々を代表するものではありません。

母子に対して父親とは

まず準備として、母とは、母子とは、父の関わりとは何かを確認しておく。母子・父子関係はどのように培われるのだろうか。

やや古い調査だが他の調査と結果が大きく違わず象徴的な設問があるので、2016年の子育てへの参加実態と意向を調べたものを参考にする。(調査は男性の比率が低いため、この部分を差し引いて考える必要がある)

子育て1

昨今言われがちな「父親が子育てに参加していない」とするのは適切でなく、かなりの割合で妻(母)とともに子供の世話をしている。また家事にも参加している。

「育児・家事とも、すごくやってくれる」が32.7%で、かなりの高評価が30%を超えているのは注目に値する。

しかし母親が育児ストレスを「たまに感じる」29.8%と「たまに強く感じる」28.3%の計で60%近い割合になっている。

そしてストレスの理由は「自分の自由時間が取れない」55.0%、「ぐずる・泣き止まない・まとわりつき・離れない」が39.0%、「しつけに関すること」28.7%、「睡眠時間が取れない」26.9%までが上位4位。ルーチンの育児に忙殺されていることがわかる。5位以下の「パートナーが協力的でない」13.9%、「悩みを相談する相手がいない」6.0%が気になる。

父親の子育てへの参加率と、そのような父親への評価と合わせて、父親がいくら育児に参加しても時間と人手が足りないし、父親が家庭にいないとき母親のワンオペ育児になり更に負荷が大きいことを示唆している。育児に関して母親が主、父親が従なのが実情と言ってよい。

また「悩みを相談する相手がいない」6.0%の母親は家庭でも社会でも孤立しているし、「パートナーが協力的でない」13.9%の人はいつか夫が協力的になってくれるという願望を既に捨て去っているだろう。いつまでも解決されない課題が、今後すんなり片付くと楽観できる人はほとんどいない。

いっぽう父親がやっている子供の世話が、遊び相手、お風呂に入れる、おむつ替え等の「目の前にあるできごとを処理する仕事」中心で母親のルーチンワークへの手助けだ。やっている内容が母親がして欲しい子供の世話とほぼ一致していることから、父親が気を回しているにしても、母親の意向だとしても、やはり母が主で父が従の関係を反映しているように見える。(実際にそうした傾向が強い)

母親のストレスの理由の、「しつけに関すること」28.7%のほかトイレトレーニングを母親は父親に肩代わりしてもらおうとせず、父親も参加していない。

しつけ(生活習慣と倫理観の獲得)に限らず、短期、中期、長期それぞれの視点に立って子供の成長や教育を考え対処しなければならない母親。子育てを務めとして全責任を負う(もしくは自らが主導したいため務めを手放さない)傾向がある母親。「母親が主、父親が従」は単なる労働量だけでなく、子育ての“主”導権を持っている母親と従う父親の構図がある。

主導権意識が強い母親がいたとする。母親が子育てのハンドルとアクセルを担当している。父親が助手席からハンドルへ手を伸ばしたら、どのように反応されるか。運転を交代で担当しようと約束して、母親が想定していた目的地や運転の速度配分を父親が変えた場合はどうか。

出産以来、子供と接する時間が夫より圧倒的に長く、常に責任と背中合わせの判断をしなければならないのが母親なら、子供を自分と分離しがたい存在、母子一体のものと感じるのは当然だろう。

無力で透明で邪魔な父親

子供たちに危機が迫っているとされたのが被曝デマであり、反ワクチン運動でもたびたび子供たちへの接種を危険視する主張が展開されている。

いずれの場合も、家庭内で母子対父の対立が発生しやすかった。

前述の調査結果、筆者のこれまでの経験と調査、Fさんから提供された情報を総合すると、母親の言動が先鋭化する典型例を下図のようにまとめられる。(もちろん、他の要因によって先鋭化する場合もある)

先鋭化

母(妻)が社会運動で先鋭化し周囲の理解の範疇を超えるケースは、家族仲にことさら問題がない場合もあれば、家族仲が悪い場合もある。これは当事者である女性も、もう一方の当事者である夫も証言している。

いずれにしろ問題が露呈して取り返しがつかなくなる前から家庭内で父親不在の状態が進行する。

「私がこの子を守らないといけない」
と自主避難者の女性から何度も聞かされ、反ワクチン派の女性も同じように言っている。どちらの例でも夫はあてにならないというだけでなく、端から関係ないとするニュアンスを感じた。

自主避難者への、
「お子さんと別れわかれになったのをお父さんはどう思っているのでしょうね」
という問いに彼女は夫については触れず、
「(自主避難は)子供と私のことなんです」
と断言した。

家庭内での夫の位置付けの曖昧さは、敢えて書くまでもないほどさまざまに言われ尽くしている。母親が考える母子関係の重さと父子関係の重さには大きな違いがある。こうした母親の感覚が肥大した状態だ。

陰謀論、デマ、社会運動で先鋭化する母親は、家庭内で孤立しやすいか、既に孤立しているか、コミュニティーが孤立しているケースが多々見られた。

Fさんは「生活のすべてがネットの人」という特徴を例に挙げている。「本来なら仕事や趣味や友人関係で多角的な考え方や社会を経験できたのだろうけど、それが出来ない環境」にある人とも証言している。

同居夫婦であれば、すくなとも夫との対人関係がある。だが前述のように母子が父親から分離し、父親が孤立(同時に母親が孤立)している。家庭内で父親と母子が分離されても、母と子は最小単位の集団を維持しているが社会のなかでは孤立している。

社会の中で妻が孤立していることを夫が気づいて手を差し伸べても、無視するかはねのける例がみられた。

最終的に夫は無力であり、邪魔な存在で、妻からは透明人間のように扱われている。これは「子供と私の問題であって夫は関係ない」という自主避難女性の発言の通りだ。

相談、共感につなげる脅迫

母子が社会で孤立する方向へ進む場合と、母親同志の集団としてクラスター化する場合があった。

過去はわからないが、現代ではLineを使ったコミュニケーションとTwitterやFacebookなどSNS上の交流が母親クラスターの実態と言ってよい。あきらかに相談、共感の場だ。

下記の記事で紹介した事例でも、母子避難をした女性は放置して休眠状態だったSNSのアカウントに復帰し、むさぼるように情報を集め、母親クラスターに没入して行った。

こうした集団に積極的に関与しないまま孤立している人がまったくSNS等を利用していないという訳ではない。いわゆる「見るだけ派」だ。見るだけとはいえ、共感を求めているのはクラスター化する母親たちと変わりない。

純化

孤立化、クラスター化。いずれもこだわりが純化されることで、根本問題だった不安や苛立ちが濃縮される。悩みは解消されないが、対立するものを強く意識するようになって元の生活へ戻る選択肢を失いがちだ。

たとえば放射能は怖い、ワクチンは怖いという思いがますます強まって、このような感覚を共有できない人たち(夫や社会)と対立し、敵とさえ思うようになれば元の生活へ戻るはずがない。

ここに陰謀論、デマ、社会運動へ勧誘する人や団体が現れる。彼らの積極性とサークルをつくるに止まらない活動から、規模を問わず「活動家」と呼んで差し支えないだろう。

勧誘に対して参加で応じるなら、活動家に組織化され囲い込まれ、家庭内では夫とさらに距離を置きくようになる。そして彼女らの考え方と活動は先鋭化の一途を辿る。

Fさんは自主避難団体の勧誘について「説明会に来場するのは99%以上母親」(つまり母親以外いないも同然)とし、そもそも父親へのアプローチが皆無だったと証言する。

Xが取材交渉を進めた反ワクチン派の女性もまた、母親をターゲットにした講演会に参加したことで過激な反ワクチン思想に入り込んでいった。

もちろん男性や父親をターゲットにした勧誘がないとは限らない。しかし母親に対して子供を人質に取るような不安を与え、その不安からの開放を呼びかける勧誘が多い。

本来、母子に限ったテーマでなくても母と子の問題として訴求される傾向がある。福島県の子供たちは、もう少ししたらバタバタ死んで行くとする(ということを予報する)デモがしつこく行われたが、母親が(人質であり)ターゲットにされている典型だろう。

覚醒とうま味

「もっと勉強しないと、ちょっと話にならない」

Xが接触した反ワクチン派の女性はしばしばこのように言った。たしかに彼女はこうした発言をしたくなるだけの地位に身を置いている。

彼女は反ワクチン派の講演会や草の根的イベントを取り仕切るだけでなく、集まった母親たちに講師とともに自説を発表している。団体の幹部や講師陣とはメールアドレスだけでなく電話番号も交換しているので、いつでも連絡を取り合うことができる。

だが数年前までは、娘にワクチンを接種させろと自治体から学校から夫から迫られたらどうしたらよいかわからない一人の母親にすぎなかった。

「そこから勉強したんだから、ほかの人にも教えなくてはいけない」と言う。

彼女にとって反ワクチンは正義であり、この立場を選択することが正解なのだ。このように覚醒した彼女は団体の影響力を存分に利用している。

Fさんが証言する自主避難者団体に近づく人、取り込まれた人たちの様子にも反ワクチン派の女性とそっくりの傾向があった。

そして団体に近づいたり、構成員になることで様々なメリットがあった。Fさんの証言と筆者の知見を合わせると以下のようになる。

メリット

●実利のつまみ食い
団体から協賛者から参加者から、寄付品ががもらえたり何かに参加する権利を得られたり、普通は手にできないものまで無料で斡旋されたりする。それは書籍など情報だけでなく、自主避難の例では旅行と解釈して活動に参加するちゃっかりした人までいる。

●仲間と賛同者
話し相手、慰めあいの場、愚痴相手といった濃密な共感の場に身を置ける。誰も自分を否定しないし尊重され、否定するような人は徹底的に排除される。こうした人々と怒りを共有して連携して、敵対するものへ向けることができる。

●正義感で他を圧倒する
有力者と強力なコネクションがあり、仲間がたくさんいるのだから、多勢に無勢な状態をつくれる。正義は我にありと、敵対する人や団体を堂々と殴りつけることができる。

●善行と感謝
困っている人を支援できる立場になる。団体に参加した後輩の面倒をみる。精神的優位と満足感がある。また他人を思うように誘導する心地よさに目覚める。

●覚醒者の地位
まだ気がついていない人たちや、勉強しない人たちと違い、覚醒した私は特別な存在である。

●名誉の座
団体やイベント等の代表の地位につく。有力者とつながりを持ち、有力者のお気に入りになる。本を出版する機会や講演会に登壇できるようになる。メディアから取材を受ける。Fさんによれば、作家を名乗り出した女性がいた。

●国や行政、企業への影響力
一介の市民だったときは自治体の首長や政治家、企業のトップなどに面会し要望を入れ、相手を圧倒するのは不可能だったが、団体の影響力があるならさほど難しいものでなくなる。Fさんは「声をあげなければ損」「私が言えば行政が動く」と自負する人がいると証言する。

このように「昨日までの私ではない」と言える立場に身を置くことは快楽そのものだ。

強い快楽は人間性を変える。Fさんの証言を紹介する。

その自主避難者の母親は頻繁に講座や講演会にゲストとして招かれ、謝礼や寄付金を得る生活に傾いていった。

講演慣れするうちに「ウケる話」「話のツボ」といった話術を身につけ、やがて自主避難に至る身の上話がどんどん盛られていった。

こうした活動の延長線として自主避難の経緯を自費出版する。反原発団体がまとめて購入し、実績となったことから「作家」を名乗り出した。

自主避難者に貸し出された住宅に必要な備品がないと感じたことから、首長に要望して導入が決まり希望が叶えられた。

だが、貸し出し住宅内の隣人の個人情報を講演会で語ったことから、実績を背景にした地位と信頼が崩壊する。コミュニティ内でトラブルを起こし、自主避難者内で疎外されて行く。

彼女は避難しない人たちと帰還者を「低能な人たち」と言い、大変な思いをしている自分を肯定している。

噛み合わない正義

社会運動に関わる人は運動そのものが商売になっている人、利益を別の何かに誘導しようとしている人、そして正義を信じ込んでいる人とさまざまだ。これらが複合している場合もあるだろう。そして正義を信じていなくても、信じているふりをするだろう。

正義には正統化がつきまとう。

社会のなかで正しいとされるものがあるとする立場や正しいことをしようという意見があることは誰もが理解するだろうが、意見が一致するとは限らないため、特定の考えを社会のなかで支配的な言説つまり正統な言説に仕立てる闘争がはじまる。

正統性を主張するのだから唯我独尊になる。「反原発は正義の自覚が強くあり、そのため反・反原発の意見を「国の陰謀」などと聞く耳を持たない」というFさんは言う。正義が噛み合わない状態であり、正義と正義が出会えばとうぜん噛み合うはずがない。

先鋭化2

正統化は、不正義状態が放置された社会との間で発生する。

正統化は異なる正義を唱える集団との間に闘争をまねく。

正義の正統化のため集団内に同調圧力が高まり、異物を排除しようとする作用を生む。

正義の“正統化”が外へ向かっても内へ向いても、“正当性”の純化に拍車がかかるため原理も運動も先鋭化を免れない。こうなると原理主義者と過激な言動をする者が高く評価され、ますます「覚醒者の地位」を上げ、「名誉の座」を確固たるものにする。

集団の指導者は、こうした快楽を報酬に活動を活発化させる。

前出の反ワクチンの女性の存在をXに知らせた人物は、団体内部の同調圧力に弾き出されたのちに運動のばからしさに気づいた元活動家だ。この人物について反ワクチンの女性は、

「変な疑問をもつ人はどうしても混じる。そういう人が内側から(運動を)壊そうとする」

と言った。

似たセリフは他の社会運動の内部から聞いたことがあるだけでなく、企業経営者や会社員、趣味のサークルに属する人も口にしていた。ずっと以前に遡れば、中学生時代の部活でも言われていた気がする。

この反ワクチンの活動家女性と、部活のやけにまじめな女子集団の姿がオーバーラップした瞬間だった。

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